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少年への献花

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後編




夜も更けて、一般の参列者たちは帰途についたあと。
通例では親族や親しいものだけでそこで一夜を過ごすことになるのだが、少年を池袋に誘った幼なじみは、そこで少年の家族に頭を下げた。


「わがままなことだって、分かっているんです。でも、お願いです。少しでいいので・・・少しだけ、帝人と二人に、してくれませんか?」


土下座せんばかりの彼の熱意に負けて、少年の家族がそっと休憩室に下がったあと、幼なじみは何を言うでもなく、じっと棺の中を見下ろしていた。
何から言えばいいのか、よくわからなくなってしまった。
言いたいことはたくさんあったはずだった。少年が死んだと聞かされてから、嵐のように駆け巡ったすべての感情を少年に言って聞かせたかった。どこまで、何を言えばいいのかわからない。何を言おうとしても、喉が震えるばかりで、声が出てこない。言葉にならなくて、結局は嗚咽に飲まれて消えた。
棺の中の、穏やかなその表情。
なあ、どうしてそんなふうに笑えるんだと、訪ねたかった。
意を決して、もう一度息を吸い込み、声をあげようとしたその時だ。


ガタッ。


静かな葬儀場に、その音は酷く大きく響いて。
「・・・なんだ、紀田君か」
低い掠れた声が、棺の前に佇む少年の耳に落ちる。
「・・・何しに来たんですか、臨也さん」
紀田君と呼ばれた少年は、くるりと振り返って、泣きはらした目で今会場の扉を開けた男を睨みつけた。薄暗い葬儀場で、しかも男まではかなりの距離があるので良く見えなかったが、いつものコート姿で、何か袋を片手に持っている。
「・・・君には、用はない」
答える男の声は、普段のような覇気がなく、酷くかすれていた。そしてつかつかと近くへ歩み寄ってきた男の姿を薄明かりの中に見て、少年は小さく息を飲む。
その服も、肌も、どこか険しい山にでも入ってきたかのように、酷く汚れていたから。
「臨也さん・・・?」
それはどうしたのかという問いかけに、男は小さく息を吐いて、それから歩み寄った棺の中を無造作に覗き込んだ。
そこに眠る、男が大事な手駒だと思っていた少年の亡骸を、無言でしばらく見つめる。普段よくしゃべる男にしては珍しく、酷く静かな雰囲気だった。
「・・・紀田君さ」
少年の顔から目を離さないまま、男は隣に呼びかけた。その声は普段の男からは想像がつかないほど、頼りなく細い。


「ちょっとでいいんだけど。ちょっと、二人にしてくれない」


まるでどこかで聞いたようなセリフを吐く、黒い男のその手が。
震えていることに気付かなかったなら、親友をかばうようにその間に立って、出て行けと言ったかも知れない。
「・・・頼むよ」
初めて聞くような言葉だ。頑なにこちらを見ようとしない男のその態度が、演技にはとても思えなくて。だから。
少年の幼なじみは、少しだけ迷って、それから無言のまま男に背を向けた。たった今男が入ってきた扉から外に出て、ゆっくりとそれを閉める。ぱたん、と静かにその扉が完全に閉じられたのを確認して、男は息を吐いた。
「・・・帝人君」
男の黒いコートを縁取る、白いファーがだいぶ汚れている。棺の中に手を伸ばしかけた男は、手元のその汚れに気づいて一瞬動きを止め、持っていた布袋を静かに床に置いてから、トレードマークとも言えるそのコートを脱いだ。棺の中の少年の下半身にかけてやり、もう一度改めて手を伸ばす。
のろのろとその頬に、唇に、髪に、手のひらがゆっくりと触れて。
「・・・帝人君、さ」
男の声は細かく震えていて、喉が乾いているのか掠れていた。けれども自分ではそれに気づかないらしく、構わずに男は続ける。
「お人好しが過ぎるとばかを見るよって、俺は、忠告したこともあったと思うんだけど。車にひかれそうになった子供を助けたって、あんまりにも君にお似合いの最後すぎて、笑うしかないじゃない」
笑うと言いながら、男の顔は泣き出しそう、と表現するのが適切な表情だった。きゅっと寄せられた眉が、眉間にシワを作って、口元が歪に歪む。その口元が、もう一度息を吐き出した。
「死んだって、本当なの」
棺を目の前にして言うようなセリフとは思えなかった。実際、男はニュースでもネットでも新聞でも、出来る限りの媒体で少年の死を知っていた。けれども、実際に目の前にしても、それを信じきれない。
「嘘じゃ、ないの、ねえ」
そんな未来は想定したことがない。
男は少年に告白されたら振ってやろうと思っていたけれど、そのあともずっと少年には構うつもりだった。少年が面白くなくなったら捨てようとも思っていたけれど、それでも捨てたあとだって、気まぐれに構ってやるつもりでいた。なんとわがままなことだろうと言われようと、無神経だとなじられようと、それは男の中で当たり前の事実のように決まっていたことだった。
少年は、男の人生の先の先にまで、存在している予定だったのだ。それを、男は疑ったことさえなかった。死んだと言われて葬式だと言われて、それでも信じきれなくて、今になるまでこの会場に足を向けることさえできなかったなんて、どういうことなのだろう。ただ男は、その少年の亡骸に問う。
「帝人君、ねえ、答えてよ・・・嘘なんでしょ、ねえってば」
軽く、ゆすぶった体は酷く冷たかった。冷房のせいだと言い聞かせても、誤魔化し切れないほどに。男は、震える指を少年から引き剥がし、もう一度棺の中を覗き込む。
「・・・みかど、くん」
頼りない子供のような声が、滲むように響いた。
瞬きの拍子に、涙が信じられないほど滑らかに頬を伝って落ちる。泣いたら少年の死を認めることだと分かっていたから今まで泣かなかったのに。
「・・・俺、ねえ、君の髪の毛が好きなんだ。柔らかくて猫でも撫でてるみたいでさ、俺と同じで真っ黒だしね」
ぽたぽたと服に吸い込まれていく自分の涙も、みえていないかのようで、男はそれをぬぐいもしなかった。
「あと、でこ。つつくのが好きなんだ。君が何するんですかって目で睨んでくるから」
軽くその額に触れながらそんなことを言って、男は小さく笑う。
「・・・唇。馬鹿みたいに甘い」
一度だけ触れたそれは、他愛もない冗談で終わらせてしまったけれど。あの時少年がもし、からかわないでくださいと笑ってごまかさなかったら、どうなっていたのだろうか。男はそれについて少し考える。確かに一度、重ねあったぬくもりは。
くらくらするほど、甘かったことを覚えている。
「君はさ、なんでもっと俺に求めないの。なんで何も、俺に望まないの。ねえ、なんでそんな、何もかも諦めたような顔で恋をしたの」
俺は、と男は言う。
掠れた、低い声が震える。
「俺は望まれなかったら、なんにも与えてやらないよ?そんな男だって、君は知ってたでしょ。なのに・・・」
それなのに少年は、何一つ男に求めなかった。求めないと知っていたからイライラした。
恋ってそういう物じゃないはずだ。恋って言うのは、もっとお互いに求め合って在るものだ、そうじゃないのか?だから、きっと少年の恋は、本当の意味の恋じゃないんだと男は思っていた。
悔しかったのかな。
男は引きつった笑いを顔にのせて、唇をかんだ。


・・・悔しかったんだ。

作品名:少年への献花 作家名:夏野