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護りの風

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新同盟軍の本拠地は、僅かではあるが穏やかな時間を送っていた。
緩やかな日差しが差し込む吹き抜けの広間。
その広間の中央には、108星とその星主の名を刻んだ約束の石板がある。
その石板の守人であるルックは、石板を背に座っていた。
特に目的も無く広間を行きずる人々を眺める。
「……」
どれだけ時間が過ぎただろうか。
そんな退屈で穏やかな空間の中、紋章の気配がルックに近づいて来ていた。
その気配の主をルックは知っている。
その気配の主が、石板の前には滅多に来ないことも。
ルックの胸に僅かな緊張が走った。
退屈で穏やかな時間がいろんな意味で消えていくことを感じながら、視線を動かさずに紋章の主が来るのを待った。
ルックの傍まで来ると、紋章の主は足を止めた。
紋章の主の名はリュナン・マクドール。トランの英雄と呼ばれている少年だ。
ルックとリュナン。
7年前…トラン解放戦争を共に戦った2人は、良く知る仲だった。
今、この地で起こっている戦争にルックは天間星の星主として参戦し、リュナンは、同盟軍盟主と出会ったのをきっかけに盟主のたっての希望で、同盟軍に協力している。
「やぁ、ルック」
「……何か用?」
相変わらず目の前を行きずる人々を眺め、リュナンを見ずに素っ気無くルックは答えた。
7年過ぎても少しも変わらないルックの行為と言葉に、リュナンはクスッと小さく笑った。
自分の記憶とぴったり重なる行為を取った目の前の少年に、心底ホッとしている様にもみえた。
「何となく、来てみただけだよ」
「そんな見え見えの嘘つかれたって笑えないよ」
間を置くことも無く言い返すルック。
ルックは知っていた。リュナンは余程のことが無い限り約束の石板に近づかないことを。
4年前…トラン解放戦争の最中、とても大切な天英星の星主が命を落とした時、リュナンは呆然と石板の前で立ち尽くしていた。
くっきり刻まれていた天英星の星主の名が掠れている様を、しばしの間、ただ呆然と見つめて……それからリュナンの頬をいくつもの涙がつたったのを、ルックは見た。
それ以来、重要なことでも無い限りリュナンは石板に近づこうとはしなかった。
そんなリュナンが、[何となく]石板の前に来る筈が無い。
「あはは…ルックには敵わないなぁ」
ルックの予想通り、リュナンは乾いた笑いでそう答えた。
2、3度呼吸した後、ルックの隣に腰を下ろしてリュナンはじっ…とルックを見る。
更に数秒を置いて、リュナンの視線が自分から離れないことに気づいたルックはやっとリュナンを見た。
「…何、見てるの?」
不思議そうに問うルック。
リュナンは無邪気な表情をしていた。
…が、その瞳は何かにひどく怯えているように見えた。
「大きくなったね!」
明るくそう言い放ったリュナン。
「はぁ? 何言い出すんだ君は」
何を言っているのか理解しきれないルックは、半ば呆れ顔で言葉を漏らす。
「だってさ、君に初めて会った時ってもっと小さかったじゃないか」
「……まぁね」
ルックは短く答えた。
7年前、ルックが10歳だった頃の身長は、当時のリュナンの肩にも届かなかった。
7年前にソウルイーターを宿し、それきり体の成長は無くなってしまったリュナン。
同じく真の風の紋章を宿しているルック…彼の成長も止まっている筈だった。
解放戦争で共に過ごした4年間で、勘付いてはいた。
3年振りに再会したルックは、自分の身長とほぼ同じになっていた。
真の紋章を右手に宿しながら、ルックは確実に成長していた。
「………外してた…わけじゃないよね……」
急に声音を落として、呟く様に言うリュナン。
呟く様に言ったのは、それが絶対に違うということが解っていたからだ。
紋章を外せば再び成長する。だが、ルックは自分の目の前で常に成長していた。
ルックは紋章を外してはいない。解っていてあえて口にした。
……恐かったのだ。
ルックが成長している理由には、きっと自分の想像すら及ばない何かがある。
それが何故かとても恐かった。
膝を抱えて俯くリュナン。そんな彼を見てルックは1つ息をついてこう言った。
「これ以上はもう成長しないと思うけどね」
「え…」
ルックの言葉に、リュナンは顔を上げた。
「1年くらい前から成長が止まったらしいよ。きっとこれが………」
そこまで言って、ルックは言葉を止めた。
リュナンに隠そうとしたのではない。ルック自身、まだ半信半疑だったのだ。
だが、数秒の時を置いて、再びルックは語りだした。
「おそらく、この年齢が自分に深く関わる者の年齢なんだろうね。
真の紋章は、時々、己の記憶や未来を主に見せる。
16歳になった時、風の紋章が今の僕そっくりの神官を見せてきたんだ。
紋章は、何か重大なこととしてその神官を記憶してるんだろうね。
詳しいことは解らないけど、多分…僕が成長して、そして成長が止まったのはその辺の何かが深く関ってるんだと思う。
だから、これから先、僕が成長することは無いんじゃないかな」
「そっか……」
真相こそ解らないが、ルックのその言葉にリュナンはホッと安堵の息をついた。
「実はさ、ルックは成長してたから、もしかして君は紋章そのもので、人の姿に化けてるんじゃないのか…って思ってたんだ。
でも、違うよね…違うよね。ルック………」
「………何があったの?」
再び俯いてしまったリュナンに、ルックは慎重に、しかしはっきりと問うた。
リュナンは何の意味も無く石版に近づいたりはしない。
ルックに会う時でも、彼が石版を離れた時だけだ。
それが…石版の前にいるルックにわざわざ会いに来た。
…ひどく怯えた色を必死に隠している瞳で。
考えるまでもなく、ルックは1つの心当たりにたどり着いた。
自分がそれを初めて体験したのも、確か……それくらいの頃だった筈だ。
……そして…その時自分は………。
だから、ルックはあえてリュナンの言葉を待った。
受け止めなければならなかった。
これから先、向き合っていかなくてはならないことだった。
そんなルックの意を察したのか、リュナンはゆっくりと口を開いた。
「昨日…夢をみた。いや…あれは夢じゃないと思う。
沢山の…本当に沢山の…数え切れない数の魂をソウルイーターが奪っていく。
生きとし生けるもの全ての悲鳴や苦痛が止まることなく続き、無惨にも吸い込まれていく。
その中には僕の知ってる人の姿もあったから、きっとソウルイーターが事実奪ってきた魂たちの記憶だと思う。
そして、尚も奪って奪って奪い続けて…やがて何も無くなると、真っ暗で…永遠に広がる闇だけが残るんだ。
闇…本当に只の闇だ。気の遠くなる程の何も無い空間だけが残る。
何時間も、何日も……きっと何年、何十年も……。
僕には、その闇がまるでソウルイーターそのものに思えてならなかった。
……だから、ルックがもしも紋章そのものだったら…紋章が人の姿になっているのだったら……そう思ったら恐くなってしまって……。
ごめん。そんな筈無いのにね」
そこまで言うと、リュナンは今にも泣きそうな顔に、無理やり笑顔を乗せた。
その痛々しいさまに、ルックはリュナンから視線を外した。
(やっぱりそうか…)
ルックは細く長い溜息をついた。
作品名:護りの風 作家名:星川水弥