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祈り

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「いい加減にしろよお前」
 ライナ・リュートは怒っていた。
 しかも静かに怒っていた。これはかなり珍しい。
 ハタ迷惑な相棒や親友や、その他モロモロに振り回されて、彼が叫び声を上げながら怒るのは日常茶飯事なのだが。
「んー?」
 そんなライナの怒りにまるで臆した風も無く、シオンは書類を見たままペンを走らせている。
 シオン・アスタール。ここ、ローランド帝国の英雄王にして、ライナの親友でもある彼は、輝く長い銀糸の髪、強い意志を秘めた美しい金色の瞳を持った美男子だが、今は青白い顔に目の下には真っ黒な隈をもうけていて、まるで幽鬼のような風体で机に噛り付くように書類と格闘している。
「ライナ、無駄口叩いてる暇あったらほら、仕事仕事!」
 そのまま顔も上げずにそういうシオンに、ライナは一つ溜息をついてシオンの目の前の書類を取り上げる。
「俺の分は終わった。て、そうじゃなくて」
「あ?終わったの?全部?て、書類返せよ」
 そこで初めてシオンは顔を上げて、とられた書類を取り戻そうと手を伸ばした。
 窓から零れる日差しがシオンの顔を照らして、その目の下の隈を更にくっきりと見せて、ライナはますます不機嫌になる。
「……ダメ」
「こらライナ、ふざけてないで……」
「ふざけてんのはテメーだ!何だよその顔!お前徹夜5日目とか嘘だろ絶対」
「いや、5日前に一時間仮眠とったから嘘じゃな……いてっ」
 丸めた書類で頭をはたかれ、シオンは目を瞬かせながらライナを見た。
「ライナ~、それ重要種類なんだぞ?丸めるなよ~」
「やかましいわ!つかもう寝ろ!今すぐ寝ろ!絶対寝ろ!死んでも寝ろ!!」
「いや、死んだら寝れな……」
「黙れ」
「ラ、ライナ……?」
 そこでようやくシオンはライナの様子に気付く。いつものノリと冗談が通じない。そしてこれは流してもらえないかもしれないな、と咄嗟に考えた。
「お前、鏡見て来いよ。マジでひでぇ顔だぞ?」
「酷いな、ハンサムで有名な英雄王様を捕まえて」
「いや、そんな笑顔でそういう事言われると反応に困るんだけどね……」
「ははは、俺はそのライナの反応が楽しいけどな」
「100回死ね」
 さて、今日のライナは結構本気で怒っているらしい。心配してくれているのは判ってるし、それはとても…面映いというか、素直に嬉しいのだが、今処理している案件は本当に早急を要するのだ。
 ここは、心苦しいけど怒らせてもう知らん!と言わせて追い出すしかないかなーなどと酷い事を考えながら、シオンは片肘で頬杖を付くとニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてライナを見て言った。
「ライナが添い寝してくれるなら寝てもいいけど?」
 そしてそのままからかうよう表情を浮かべてライナの様子を伺った。きっと気持ち悪い事言うんじゃねぇぇぇぇ!とか言いながら頭から湯気を立ててライナは帰る!と言い出すだろう。彼の優しさを踏み躙るような事は本当はしたくはないけれど。
 自分の選んだ道、歩むべき道は優しさの上だけには成り立たない。
 だが、優しさを編み上げたような彼は、それでもまた明日には不機嫌な顔でこの部屋を訪れてくれるのだ。それを全く疑わずに信じられる事実に、シオンはいつも心で泣きそうになる。幸福とは、きっとこんな気持ちの事を言うのだと思う。
 ……だが。
「……ライナ?」
 いつもなら音速の如きイキオイで怒り出す彼の反応が無いので、シオンはいぶかしげにライナの顔を覗き込むように覗き込んだ。
 あ、目が完全に据わってる。
 それでも、自分の目論みは成功したのだとシオンは思っていた。
 ライナは怒ってこの部屋を出ていくだろうと。
 …………だがしかし。
「判った。添い寝すりゃー寝るんだな?」
「……は?え?て、ちょ、ラ、ライナ!?」
 ライナは手にしていた書類をシオンの机に戻すと、シオンの腰に腕を回すと、そのまま縦に抱えあげて隣接した寝室に向かった。慌てるシオンには全く構わず両手がほぼふさがっているので少し乱暴に扉を蹴り開き、シオンをベッドに投げ出して、そのまま自分もベッドに乗り上げる。
「えーと……。ライナ、すまん。俺はお前の気持ちには応えられな……」
「アホな事言ってねーでとっとと寝ろ。お前が言い出したんだからな。絶対寝ろ」
 ライナは言いながらシオンの隣に転がって目を閉じる。
「いや、5日徹夜させたのは悪かったからそんなに怒るなよ……。いいぞ?宿に戻っても……うわ!?」
 言いながら上体を起こしかけるシオンに手を伸ばして腕を引き、もう一度ベッドに転がしてそのまま抱きつくように腕を回してからライナはますます不機嫌な声で言った。
「徹夜のせいで俺が怒ってるってホントに思ってる?」
「…………思ってないよ、ごめん」
「どーせ俺を怒らせて帰してから仕事の続きしようとか考えてたんだろ?」
「…………バレバレ?」
「いいから、ホントに寝ろ。起きたらまた手伝ってやるから」
「……うん、判った」
「言っとくけどな、お前が寝付くまで俺寝ないからな」
「………………嘘ぉ」
 ライナは再び大きな溜息をついて、片手で抱き寄せるようにしているシオンを両腕で抱き締め直す。
「……心配で眠れないって言ったら信じる?」
「…………うわぁ」
 ピンチだ、とシオンは思った。約10日ぶりのベッドの弾力は心地よく身体から力を奪っていくし、抱き締められて感じる体温の優しさがそれに倍速で拍車をかけていく。こんな事言われて腕を抜け出せるわけもなくて、とても困る。なのに何故か顔が緩んでしまってシオンは苦笑した。
「愛されてるなぁ、俺」
「はいはい、愛しのシオンちゃんはさっさと寝ましょーねー」
 とうとう頭まで撫でられてシオンは降参した。今回ばかりは完敗するしかなさそうで。さて、起きたらどんな仕返しをしてやろう、フェリスに相談するのもいいかもしれない。そんな事を楽しく考えながら、幸せに心地よく、シオンはゆっくりと意識を沈めていった。

「………シオン…?……やっと寝たか…」
 ゆったりとした規則正しい寝息が聞こえ始めて少ししてから、ライナは抱きしめていた腕から力を抜いて小さく名前を呼び、軽く息をついた。
「…バーカ。バカシオン」
 片肘をついて顎を乗せて、酷い顔色の割には幸せそうに眠るシオンの顔を見つめながら、ライナは呟いた。
 このバカは自分がどんな状態か全く理解していないのだ。顔色だけじゃない、声にも力がなくなって、たまに呂律も怪しくなるほどに、彼は疲れきっていた。若いとは言え、こんなにも長期の徹夜は危険だ。しかもこのアホは食事を執る時間さえ惜しむから更に最悪で。
 ライナは、眠るシオンの目の下にそっと触れた。明日は、この隈が少しでも薄くなってるといい。そう思いながら。
「…ん……」
 シオンが身じろいで、顔が少し動いたはずみで長い前髪が一房、彼の額から目元に流れた。起こしてしまったかと、ライナは少し慌てて指を離すけれど、シオンの吐息は穏やかなままで。目は覚まさなかった事に安堵しつつ、その髪の一房をはらってやるために、そっと手にとった。
作品名:祈り 作家名:月春