ただねがうこと
悔やまれるのは、気付けなかったことではなく抱きしめてやれなかったこと。
***
そう広くない店内を物珍しそうにきょろきょろしながらエースが隣を歩く。時折芸術品のように並べられた家具に気を取られては、開いた距離に慌てて駆け寄ってくるのが微笑ましかった。そういえば、こういう店に連れてきたことがなかったなと思い、マルコは好奇心の強い無防備な横顔を見下ろした。食にまつわる事柄以外で何かを強請ることの少ない子供と、あまり外出したことはなかったかもしれない。この年頃の子供は何にでも興味を引かれる遊びたい盛りのはずだ、そんな素振りをしてみせたこともないというのは、何かと忙しくしているマルコに遠慮しているのかはたまた全く興味がないかどちらかだろうと思うが、今の表情を見る分には前者だろうなとマルコは迂闊な己に嘆息する。子供に気遣われあまつさえそれに甘えていたとは、まったく保護者失格だ。多少なりとショックを受けつつ、把握だけはしている街のイベントを脳内で浚う。確か、もうすぐこの街の中心では大きな祭りがあったはずだ。三日三晩続く盛大な祭りだとサッチ辺りから聞いた記憶がある。例年欠かさず催されるその祭りに仕事だなんだと、純粋にそれ自体を楽しんだことのないマルコの記憶に引っ掛かっているのは、せいぜい白ひげの屋敷から眺めた派手な花火くらいだった。だが今年はその祭りにエースを伴って行ってみるのもいいかもしれない。きっと雀斑の散った幼い顔を今のようにキラキラさせて、喜んでくれるのではないか。そう思うとマルコも行ったことの無い祭りに気持ちが浮つく。どっちがガキなのやらと、影響されっぱなしの己に苦笑した。
一階の多彩なランプばかりが並んだフロアを横切り二階へと続く階段に足を掛けて振り返ると、数メートル後ろで花の蕾のような形のランプに顔を突っ込んでいる子供を見つけた。
「エース、上行くよい」
声を掛けると、ぱっと振り返り慌てて駆けて来る。エースの覗き込んでいたランプはくるくると虹色の光彩を辺りに照らし出していた。
「何か気に入るもんはあったかい?」
「うん、なんかおもしれぇ。へんな形したのばっかしだ」
「はは、そうだなァ…」
螺旋状の階段を昇りながらマルコは一階のフロアを見下ろした。三日月の形をした小さなランプや外側が編まれて筒のように巻かれた大型のランプ、三角に吊られたものや灯篭のようなものその他様々だ。家にあるごく一般的なランプを思えば、エースが不思議がるのも頷ける。
「ソファを決めたら他のもんも見てくかい?」
一つのフロアはそう広くないが四階まであるこの建物は、凝った趣向の家具ばかり置かれている。エースの先程の食い付きを見れば他の階も楽しめるだろうと、目的のソファ以外にも必要な家具はまだあるから気に入ったものがあれば言いなと言ってやると、エースはきょとんと首を傾げてから嬉しそうに破顔した。思わずマルコが柔らかな癖っ毛を撫ぜると、エースがじゃあ早くソファきめちまおうと言って残りの二段をぴょんと飛び、数歩走って早くとマルコを急かした。
「焦んなくても時間はあるよい」
「わかってる!」
けど早く!と言って足踏みし、結局ゆったり歩くマルコに耐えられなくなり、たたと駆けて行ってしまった。その小さな背中に転ぶなよいと声を掛けるところばねぇよ!と倍の音量で返ってくる。マルコは歩調を改めずにその背を追った。
それほど距離を行かないうちにアイボリーの二人掛けのソファに座ってぽすぽすと感触を確かめているエースに出くわした。もう決まったのかと思えば腕を組んで小難しく眉間に皺を寄せている。飽きない反応をしてくれるものだ。
「何だ、気に入らねェのかい」
「うーん、」
わるくねぇんだけど、これじゃねぇんだと大真面目に呟いたエースにマルコはぱちくりと瞬き、噴き出しそうになったのを寸前で耐えた。値札のラベルには本革と書かれている。手触りも滑らかで座り心地も良さそうなそれを掴まえて悪くないとは、目が利くのか利かないのか。どちらにしろ、値段の張る本革ソファもエースの設ける合格ラインにはどうやら届かなかったらしい。
「お前はどんなのが良いんだよい?」
零れる笑いを口元で噛み殺して尋ねるとエースはまだ難しい顔をしていた。
とん、と軽やかに立ち上がりマルコを見上げる顔はどこかもどかしそうにしている。
「もっとこう、ぱっとはりのあるやつ。で、やわらかいやつ。色は黒がいい」
「…まァ、何となくだが、分かったよい」
つまりはもう少し弾力が欲しいということだろう。黒がいいと言った割には、エースの座っていたソファは正反対の色合いだ。
「マルコはどんなのがいいんだよ?」
「俺ァお前さんが選んだのでいいよい。ただあんまり硬すぎねェ方のがいいか」
疲れるよいと呟いたマルコをふうんと見上げ、エースは次見ようとマルコの服の裾を引っ張って促した。
エースに引かれるままフロアを行ったり来たり、目に付いた物に片っ端から興味を示すものだからフロア中をウロウロする破目になる。ああでもないこうでもないとうんうん唸っているエースが硬そうなソファを見るなり却下しているところをみると、どうやらマルコの要望を最優先してくれているらしかった。こういうところが可愛いガキだと頬が緩む。この場に兄弟達が居ればマルコのやに下がった顔を親馬鹿だと突っ込んだろうが、生憎とここに彼らは存在しない。第一、エースの挙動に笑みを誘われるのは、何もマルコばかりではないのだ。兄弟の誰しもがエースを構いたくて仕方ないのはバレバレなのだから、実のところエースを独占状態のマルコに対する嫌がらせも多分に含んでいるのだろうと思う。面倒くさい奴らだよいと言いながらも、エースに懐かれているという事実に悪い気はもちろんしない。
粗方見つくしたんじゃないかという頃になって、唸っていたエースが突然駆け出していく。何か見つけたかとその背を追った先で、エースは一つのソファをじっと見つめていた。す、と伸ばされた手の平が感触を確かめるように撫でる。ぽんぽんと今度は弾力を確かめている子供に、どうしても零れてしまう微笑で口元を緩めながら座ってみろいと言ってやると、うんと頷いてエースにしては控えめな動作でソファに飛び乗った。一度緩やかにバウンドし、小さな身体は柔らかにソファの背に収まった。ぱちと瞬く顔がひどく幼い。
「どうだい」
尋ねるマルコにうんと生返事を返して、エースはセットで置かれていたクッションを手に取る。ぎゅうと抱きしめ顔をうずめてしまった子供の後頭部を撫でながら、エース?と首を傾げると、クッションから顔を上げたエースがぱちぱちと瞬く。そうしてマルコを見上げた顔が一拍置いて笑顔になった。
「マルコ!これがいい!」
***
そう広くない店内を物珍しそうにきょろきょろしながらエースが隣を歩く。時折芸術品のように並べられた家具に気を取られては、開いた距離に慌てて駆け寄ってくるのが微笑ましかった。そういえば、こういう店に連れてきたことがなかったなと思い、マルコは好奇心の強い無防備な横顔を見下ろした。食にまつわる事柄以外で何かを強請ることの少ない子供と、あまり外出したことはなかったかもしれない。この年頃の子供は何にでも興味を引かれる遊びたい盛りのはずだ、そんな素振りをしてみせたこともないというのは、何かと忙しくしているマルコに遠慮しているのかはたまた全く興味がないかどちらかだろうと思うが、今の表情を見る分には前者だろうなとマルコは迂闊な己に嘆息する。子供に気遣われあまつさえそれに甘えていたとは、まったく保護者失格だ。多少なりとショックを受けつつ、把握だけはしている街のイベントを脳内で浚う。確か、もうすぐこの街の中心では大きな祭りがあったはずだ。三日三晩続く盛大な祭りだとサッチ辺りから聞いた記憶がある。例年欠かさず催されるその祭りに仕事だなんだと、純粋にそれ自体を楽しんだことのないマルコの記憶に引っ掛かっているのは、せいぜい白ひげの屋敷から眺めた派手な花火くらいだった。だが今年はその祭りにエースを伴って行ってみるのもいいかもしれない。きっと雀斑の散った幼い顔を今のようにキラキラさせて、喜んでくれるのではないか。そう思うとマルコも行ったことの無い祭りに気持ちが浮つく。どっちがガキなのやらと、影響されっぱなしの己に苦笑した。
一階の多彩なランプばかりが並んだフロアを横切り二階へと続く階段に足を掛けて振り返ると、数メートル後ろで花の蕾のような形のランプに顔を突っ込んでいる子供を見つけた。
「エース、上行くよい」
声を掛けると、ぱっと振り返り慌てて駆けて来る。エースの覗き込んでいたランプはくるくると虹色の光彩を辺りに照らし出していた。
「何か気に入るもんはあったかい?」
「うん、なんかおもしれぇ。へんな形したのばっかしだ」
「はは、そうだなァ…」
螺旋状の階段を昇りながらマルコは一階のフロアを見下ろした。三日月の形をした小さなランプや外側が編まれて筒のように巻かれた大型のランプ、三角に吊られたものや灯篭のようなものその他様々だ。家にあるごく一般的なランプを思えば、エースが不思議がるのも頷ける。
「ソファを決めたら他のもんも見てくかい?」
一つのフロアはそう広くないが四階まであるこの建物は、凝った趣向の家具ばかり置かれている。エースの先程の食い付きを見れば他の階も楽しめるだろうと、目的のソファ以外にも必要な家具はまだあるから気に入ったものがあれば言いなと言ってやると、エースはきょとんと首を傾げてから嬉しそうに破顔した。思わずマルコが柔らかな癖っ毛を撫ぜると、エースがじゃあ早くソファきめちまおうと言って残りの二段をぴょんと飛び、数歩走って早くとマルコを急かした。
「焦んなくても時間はあるよい」
「わかってる!」
けど早く!と言って足踏みし、結局ゆったり歩くマルコに耐えられなくなり、たたと駆けて行ってしまった。その小さな背中に転ぶなよいと声を掛けるところばねぇよ!と倍の音量で返ってくる。マルコは歩調を改めずにその背を追った。
それほど距離を行かないうちにアイボリーの二人掛けのソファに座ってぽすぽすと感触を確かめているエースに出くわした。もう決まったのかと思えば腕を組んで小難しく眉間に皺を寄せている。飽きない反応をしてくれるものだ。
「何だ、気に入らねェのかい」
「うーん、」
わるくねぇんだけど、これじゃねぇんだと大真面目に呟いたエースにマルコはぱちくりと瞬き、噴き出しそうになったのを寸前で耐えた。値札のラベルには本革と書かれている。手触りも滑らかで座り心地も良さそうなそれを掴まえて悪くないとは、目が利くのか利かないのか。どちらにしろ、値段の張る本革ソファもエースの設ける合格ラインにはどうやら届かなかったらしい。
「お前はどんなのが良いんだよい?」
零れる笑いを口元で噛み殺して尋ねるとエースはまだ難しい顔をしていた。
とん、と軽やかに立ち上がりマルコを見上げる顔はどこかもどかしそうにしている。
「もっとこう、ぱっとはりのあるやつ。で、やわらかいやつ。色は黒がいい」
「…まァ、何となくだが、分かったよい」
つまりはもう少し弾力が欲しいということだろう。黒がいいと言った割には、エースの座っていたソファは正反対の色合いだ。
「マルコはどんなのがいいんだよ?」
「俺ァお前さんが選んだのでいいよい。ただあんまり硬すぎねェ方のがいいか」
疲れるよいと呟いたマルコをふうんと見上げ、エースは次見ようとマルコの服の裾を引っ張って促した。
エースに引かれるままフロアを行ったり来たり、目に付いた物に片っ端から興味を示すものだからフロア中をウロウロする破目になる。ああでもないこうでもないとうんうん唸っているエースが硬そうなソファを見るなり却下しているところをみると、どうやらマルコの要望を最優先してくれているらしかった。こういうところが可愛いガキだと頬が緩む。この場に兄弟達が居ればマルコのやに下がった顔を親馬鹿だと突っ込んだろうが、生憎とここに彼らは存在しない。第一、エースの挙動に笑みを誘われるのは、何もマルコばかりではないのだ。兄弟の誰しもがエースを構いたくて仕方ないのはバレバレなのだから、実のところエースを独占状態のマルコに対する嫌がらせも多分に含んでいるのだろうと思う。面倒くさい奴らだよいと言いながらも、エースに懐かれているという事実に悪い気はもちろんしない。
粗方見つくしたんじゃないかという頃になって、唸っていたエースが突然駆け出していく。何か見つけたかとその背を追った先で、エースは一つのソファをじっと見つめていた。す、と伸ばされた手の平が感触を確かめるように撫でる。ぽんぽんと今度は弾力を確かめている子供に、どうしても零れてしまう微笑で口元を緩めながら座ってみろいと言ってやると、うんと頷いてエースにしては控えめな動作でソファに飛び乗った。一度緩やかにバウンドし、小さな身体は柔らかにソファの背に収まった。ぱちと瞬く顔がひどく幼い。
「どうだい」
尋ねるマルコにうんと生返事を返して、エースはセットで置かれていたクッションを手に取る。ぎゅうと抱きしめ顔をうずめてしまった子供の後頭部を撫でながら、エース?と首を傾げると、クッションから顔を上げたエースがぱちぱちと瞬く。そうしてマルコを見上げた顔が一拍置いて笑顔になった。
「マルコ!これがいい!」