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約束

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(……僕はなんと弱いのだろうね)
 愛馬を走らせながら、半兵衛は薄い唇を噛んだ。
 良心に従って人の道を貫くことをためらい、人でなしと罵られながらも己の欲を貫くことに躊躇する。どっちつかずの中途半端な道しか選べない。己の心根の弱さに自分でも腹が立つ。なのにこうすること以外に思い付かなかった。
 こんなことになるなら、あの男を城になど上げるのではなかった。苛立ちと共に、昨夜のことを半兵衛は脳裏で悔いた。何としてでもあの男を秀吉に会わせるのではなかった。しかしいくら悔やんでも、過ぎたことは取り戻せない。
 そもそも、秀吉に会いたいという慶次を止めることなどできただろうか、とも思わなくはなかった。慶次が秀吉を訪ねてくること自体は珍しいことでもなんでもない。それを半兵衛が無理に止めれば、今頃はまた別の問題が持ち上がっていただろう。
 それぐらい慶次と秀吉の付き合いは長かった。秀吉の妻であるねねも良く知った仲で、秀吉の宅を訪ねた慶次との三人で歓談することも珍しくはない。
 半兵衛が気になったのは、その慶次が秀吉の屋敷ではなく、城内に与えられた居室の方に訪ねてきたことだ。風来坊を自称しているとは言え、慶次は前田家当主の甥である。それなりの身分であるから、同盟の関係にあるような国であれば城にも容易く上がれる。
 だが他家の城を訪ねるとなれば、それなりの段取りや礼儀も必要だ。実際、昨夜の慶次はいつもの傾いた身形ではなく、武家の若者らしいきちんとした衣装を身に着けていた。そういったことが何より嫌う慶次が、である。
 それが妙に気になった。これはただごとではない、と思ったのだ。面倒を厭わずわざわざ城の方に来たということは、ねねにも聞かれたくないような話か、あるいはねねには聞かせられない話をするのだろう。
 そう直感して、半兵衛は二人が篭った部屋に聞き耳を立てた。盗み聞きなど……とは思わなくもなかったが、秀吉に万が一のことがあっては困る。
 気を揉む理由はいくらでもあった。近頃、秀吉の様子がおかしいのだ。それもだんだんにおかしくなった、というのならまだ良い。ある日を境に、急に暗い目をするようになったのだ。
 秀吉が慶次と共に腕試しと称して出掛け、大怪我をして戻ってきた日。あれは一ヶ月ほど前のことだったか。特に左手を貫通する刀傷がひどく、一時期は拳を握ることすら危ぶまれて、半兵衛も生きた心地がしなかったものだ。これでは共に天下に挑む夢も危うい。
 その傷が塞がりかけても、秀吉の目は光を失ったままだった。心に食い込んだ刀傷。それが癒えるどころか、未だにじくじくと血を流し続けているままなのだ。
 生まれながらの強者として生を受け、天与の膂力で勝利を思うままにしてきた秀吉にとっては、これが初めての惨敗だったのだ。しかも半兵衛が密かに調べたところによると、相手はあの松永久秀である。
(今度ばかりは君を恨むよ、慶次)
 半兵衛は再び唇を噛む。慶次の誘いについていった秀吉に責任がないとは言わないが、喧嘩は相手を選んでするべきだ。松永は子供の遊びに付き合ってくれるような相手ではない。
 あの怪人に、慶次と秀吉は一体何を見せられたのだろう。それは半兵衛にはわからない。だが相手を間違えたことだけは確かだった。ああいう男は人の心の最も暗く、最も弱いところへと的確に刃を突き立てる。秀吉にもその刃が突き立てられたのだ。おそらく傷は深いだろう。
 実際、あの日以来、秀吉はひどく思い詰めるようになった。側仕えの小者達の目にすら明らかなほど塞ぎ込んで、闇の奥ばかり見るような暗い目をするようになった。いよいよもってこれは拙い、と半兵衛も思い始めていた頃である。
 そんなところに昨夜、慶次が訪ねてきた。あの日以来なぜか疎遠になっていた慶次がである。半兵衛が万が一を心配するのも、何もおかしくはない状況だ。
 襖越しに聞こえる二人の話は奇妙だった。どうやら力を持つ者はどうあるべきか、持たざる者はどうあるべきかなどと話し合っているらしい。この期に及んでまさかそんな禅問答を聞かされるとは思わず、半兵衛は思わず眉を顰める。
 だが夜が更けるうちに、話は意外な方向に流れ始めた。
 無力は罪。力無き者は何も掴めぬ。ならば我は、力を得るために全ての弱さを切り捨てよう。世を統べる覇者とはそういうものでなければならぬ。そうでなければこの国は統べられぬ。
(……弱さを切り捨てる?)
 その一言が妙に引っ掛かった。
 秀吉が切り捨てるべき弱さとはなんだ? 心か? 心だとしたら、それは一体何に集約される? 一体、誰に――?
 その答えが脳裏に浮かんだ瞬間、半兵衛は足音を殺して駆け出していた。鞍を着けるのももどかしく、愛馬に飛び乗って鞭をくれる。目指すは秀吉の屋敷だ。
 ねねだ。秀吉の抱える弱さとは、秀吉が唯一心を委ねた女のことだ。彼女を殺めて自分の弱さを、人としての心を打ち砕いて、この国を統べる覇王として生まれ変わるつもりだ。
 そんな非道をさせてはいけない。その一身で半兵衛は馬を走らせた。早く彼女を、秀吉の手の届かぬところへ逃がさなければ。
 だが、走り出してすぐに半兵衛は後悔した。後悔というよりも、悩んだと言った方がいいかもしれない。
(彼女が死んだ方が、僕には好都合じゃないか?)
 そう思ったのである。
 考えてみれば、今までそれに気付かなかった方が不思議なほどだった。秀吉がこの国の覇者となるのは半兵衛の夢だ。秀吉がねねを殺すことで己の弱さを打ち砕き、比類なき強者となって天下を目指すと言うのなら、それは半兵衛にとって歓迎する事態であって、止めなければならないことではない。
 それだけではない。半兵衛は秀吉にただの友人、ただの主従以上の感情を抱いている半兵衛は、ずっとねねに対して複雑な感情を抱えていた。何と言っても愛しい男の妻である。それがこの世から消えるというなら、却って好都合なのではないだろうか。
(彼女が死ねば、秀吉の隣にいるのは僕ということになる)
 しかしそこで毒婦のように笑えるほど、半兵衛は強くはなかった。
(……僕はなんと弱いのだろうね)
 半兵衛は胸の内で繰り返す。武人の夢はねねの死を望む。罪深い恋をした男としても彼女の死を望む。なのに僅かばかりの良心が、どうしてもそれを許さない。秀吉にそんなことをさせてはならないという想いが、どうしても半兵衛の心から消えないのだ。
 だからこそ、「ねねを逃がす」という考えに至ったのだろう。秀吉がそれでねねを思い切るというならそれまで。ねねを追い、草の根分けても探し出し、殺すというならそれもまた仕方がない。なんとも消極的な策だ。そうすることで自分の責任を棚に上げ、「僕は何もしなかったわけじゃない」と言い訳するための策でしかない。
 己はそこまで弱い人間だったのかと、半兵衛は我知らず身震いした。
 今ならまだ間に合う。引き返して秀吉を説得することも、何も聞かなかったふりで目を瞑ることもできる。たぶんそのどちらかを選んだ方がいい。その方がきっと楽になれる。今のままでは、己の弱さを一生悔いることになるだけだ。それはわかっている。
作品名:約束 作家名:からこ