どうかそのままで
「ど、どういうこと、立向居くん。なんだ、って」
一拍を置いて、ようやく言葉を発することができた。声が震えているのが自分でもわかる。
……悪戯が滑った時のような気持ちって、こんな気持ちなのかな。
「だって音無さんのことだから、てっきり俺が振り向いたときに……そうだな、たとえばほっぺにキス、ぐらいはするんじゃないかなって思って」
「ああ……」
冷静に、さらりと言われ。音無はそっか、と納得し、そしてがっくりと項垂れた。
――確かに、王道的だけれども寝顔よりそちらの方が悪戯としても、寝起きのサプライズとしても効果的だったかもしれない。寧ろなぜ思いつかなかったのだろう、と今更後悔。
……それにしても、と音無は立向居の顔をじっと見つめる。
(――変わった、なぁ……)
何ひとつ、照れたり恥ずかしがっている様子を見せていない。
付き合った当初は、キス、という単語を出しただけでも顔を真っ赤にしてどもっていたのに。
……まあ、今では身体を重ねる関係にまでなったのだから、今更初々しい反応を期待するほうがおかしいかもしれない。
(でも、なんでだろう。少しだけ、さみしい、なんて思ってしまうなんて)
「……や、やっぱり寝顔可愛いね、なんてしょぼいよね」
今更驚かないし、嬉しくもなんともないよね、と畳み掛けると、立向居がえ、と声を上げる。
そしてふと、真面目な顔つきになったかと思うと、徐に自身の手を音無のそれに重ね。
「……しょぼいなんて、言わないでよ」
ぽつり、と。小声だけれど、切実な。先程と打って変わって真摯な眼差しを向けられ、音無は目を見開く。
「えっ」
「俺にとっては、寝顔、可愛いねって言ってくれるのも、ほっぺにキスしてくれるのも同じくらいドキドキするし、嬉しくてしょうがないよ」
――それだけじゃない、君にしてくれるのだったら、なんだったって。
それは、どんなに長く付き合ったって、身体を重ねる関係になったって、変わらない。
ふ、と立向居の目元がやわらかくなる。
「だって音無さんが、好きだから」
……少なくとも、俺が音無さんが好きで、音無さんが俺を好きでいてくれる限りは。絶対に。
「……立向居くん」
骨ばった掌に、ぎゅっと強く握り締められ。音無は、言いようの知れない安堵に包まれた。ほう、と息を吐く。
――ああ、良かった。もう変わってしまったなんて、そんなの、ただの思い込みに過ぎなかったらしい。
立向居くん、ともう一度を名を呼ぶ。そして迷うことなく腕を伸ばし、薄茶色の頭を引き寄せ、そのまま抱き込める。
目の前の少年が、ただ、いとおしくてしょうがなかった。
「お、音無さん!?」
「ありがとう。私も、そんな立向居くんが大好きだよ。……どうか、そのままで、いてね」
――いつだって優しくて、ひたむきで、純粋なあなたのままで。
……しばらくそのままでいた、が。ふと、いつまで経っても無言のままの立向居を怪訝に思い、腕の中にいる彼を見下ろしてみる。見れば、ぴくぴくと肩は小刻みに震え、耳まで茹蛸のように真っ赤になっていた。布団の下からは立向居の素肌がちらりと見え、あ、と音無は声を上げる。――そういえば私たち、真っ裸なんだったと、ようやく気づく。
「お、音無さん……すごく、うれしいけど……。朝からそんなことされると、俺、また……」
「ごめん、つい……。で、でも、立向居くんさえ良ければ、私……」
「――そう言ってくれるのは嬉しいけど、今はさすがに気力が……ない……かなぁ」
「……だよねー」
せっかく良い雰囲気だったんだけどなあ。
微妙に残念な気持ちになったが、こればっかりは仕方がない。ぱっ、と音無は立向居を解放してやった。
「で、これからどうするの?」
窓の外を見やれば、だいぶ日は高くなっている。が、それでもまだ起きる時間帯ではないことに変わりなく。
言いながら、音無は眠そうに瞼をこすっていた。なんだか、安心したらどっと眠くなってきた。
「どうするって……今日は休みだしなあ」
立向居もまた、口を手で押さえながら、欠伸をしている。
……どうやら、聞くまでもなかったことらしい。
「……寝ちゃう?」
「……寝ちゃいますか」
寧ろこれ以外の選択肢など、今の彼らにはなかった。
そうして。ふたりは惰眠を貪り……ではなく、貴重な休日に甘えることになり。再び眠りにつくことになった。
――結局、二人がその次に起きたのは午過ぎだったという。