やりなおせない
「・・冗談だろう?」
「てめえの親父がな」
「・・・その通りだから今から殴ってきていいか?」
「ここは日本で、てめえの親父は今、EUのどこかだがな」
「・・・・」
ときどき、こいつのこういう冷静さが憎らしい・・・。
まあ、時々だけど、おれも親父孝行しようかな、なんて、考えるときがあって、それは、やはり、会うたびにちょっとしたこと(シワが増えたとか髪が後退したとか)で、月日の流れを感じてしまい、なんだか感慨深くなってしまうせいだ。
「は。てめえは年寄りかよ」
「だって、自分のことではさあ、まだそういう実感、湧かないんだよねえ・・・」この男と、たとえこんなふうにサシで向かい合ってみても、それはもう、別の感覚で、ただの仕事の延長なのだ。未だに何かに追われて過ごしているような余裕のない自分が、時間の流れを感じることができるのは、そうした、立ち止まったような瞬間だ。
「まあでも、それが命取りだったな」
「別にいまのところはまだ、てめえを殺す気はねえぜ」
向かいで膝を立てて座った男が、鼻で笑って猪口を持った。・・猪口を・・・
そう、おれ達は今、日本の純和風高級旅館にいる。
そして差し向かいで善を挟んで、お食事後のお酒をおいしくいただいてるところです・・・って、この状況・・
「なんだ、おまえ飲めるのか?」こちらが猪口をあおると男が馬鹿にした。
「いただくよ。腹が立ってるから」
久しぶりに合った父親が、『実はなあ・・』と切り出したのは、旅行の計画だった。
おまえも久しぶりに日本でゆっくりしてみたいだろう?と聞かれたのにうなずいた。じゃあ、ちょい照れくさいけど、二人でゆっくり過ごすか?とも言われ、そうだね、とこちらも照れくさく、うなずいた。父と子、みずいらずで旅行なんて。しかもこの歳で?
でも逆に、この歳になったから、落ち着いていけるのかな、なんて自分に言い聞かせながら、現地で落ち合うから、と送られてきた地図片手にそこへ着いた。
「・・・・・・」
「てめえ、なに、やってんだ?」
着いたら、その部屋にいた『おつれさま』がそう言った。そうですとも。父親じゃなくて、黒いボス様が。
「ま、さか・・親父に、旅行に誘われたんじゃ、ないよねえ?」それにのこのこ出てきたとは考えられない。
「・・休暇を特別にくれてやるが、場所限定だ、なんてぬかしやがった」
「それが、ここ、だと?」
「ここ、だろ」男は見たことのある地図をだした。
・・・・一緒だね・・・。
そうして、諦めた男が二人、和室で揃って飯を食い、酒を飲み・・・・、
「だ〜かあ〜らさあ〜、おれ、いったんだよお?」
「もういい。だまれ」
「なんだよ〜。さいごまできけえ〜!」
「うるせえっつってんだよ!」
「え〜?へいき、だよお?ここ離れだしい、よばなきゃ、だれもこないし〜。めいわくじゃあ、ないも〜ん」
「・・おれがめいわくだ」
「・・・・・」
「ぽかんとした顔すんじゃねえ。さっきからずっと言ってるだろ」
「・・だって、いま、おこってたし・・」
「今じゃねえ。さっきからずっとおこってんだよ、この馬鹿が」
「っで!頭なぐることないだろ〜?」
「なら、すぐにそれをやめろ。きもちわりい。酔ったふりするな。これ以上やったら、本気でぶんなぐるぞ」
「・・・・・・だって・・」
なんだか、ものすごーく、男が帰りたそうな様子だったので・・・。
「そりゃあ、あのアホ親父からあったメールみたいに、『二人で仲良く、楽しく』は無理だろうけどさ・・・。さすがに、おまえに帰られちゃうと、残りの三日、おれ一人で過ごさなきゃならないし・・。それなら、ちょっと、おおげさに酔って、引きとめようかと・・」
男が、それは大げさなため息をだした。
思わずちゃんとすわりなおしたが、顔をあげられなかった。
「―つげ」
「・・え?」
手にした空の猪口を、ずい、と出す。ああ、と了解して徳利を手にしたけれど・・
「男にお酌してもらって、嬉しいか?」
「嬉しいと思うか?」
「・・何でもないです・・」ここはおとなしく、男が珍しくもみせてくれた情けにすがろうと、思う・・。
結果として。
『とっても楽しかった』「・・・・・・」
息子の弾んだ声に、計画者であるはずの父親は、黙り込むしかなかった。
そもそも、本当の立案者というか、GOサインをだしたのは、時々ひどく好々爺ぶるあのジジ・・―もとい、九代目であって、あの二人を仲良くさせないと、この先が心配で、ちゃんと引退できない、などと、後を託す者としてはしごくまっとうな相談をされたのだ。
軽い気持ちで、じゃあ無人島にでも二人まとめて送ってみるか?と口にしたら、どういう変換がされたのか、今回の日本旅行案がまとめあがってきた。
そして、涙をのんでかわいい息子を送り出し、きっとすごくまた、怒られるだろうなあ、と覚悟して携帯を握っていたらば、そこにそれが届いたのだった。
あの、無愛想な男と同様に、文字で説明もされない、画像だけのメールが。
一日目の画像。
なんだか赤というよりも、色白のわが子はピンク色の酔った顔を、こちらにむけていた。浴衣の衿が開いて、首から下も同じ色をみせている。そして、笑っていた。・・・この写真を送ってきやがったのは、あの、ジジイのガキだ。そいつが撮った、ということは、そいつにこの笑顔をむけているということで・・・・
いや、酔ってるし。父親はそう、納得した。
二日目。
海が見える高台のようだった。晴天の青い空と、白波が立つ、青い海。風が強いのか、わが子の茶色い髪が風に流されている。髪、切ったほうがいいぞ。顔はその髪に隠されるようだった、が、合間からのぞくのは、まぶしいほどの笑顔だった。
・・・まあ、観光、だよな。そりゃ、久しぶりではしゃぐ気持ちもわかるさ。
自分も、こんな笑顔を残すアルバムをつくってやりたかったな、と、しんみり反省・・。
三日目
暗い中、浴衣姿が振り返っていた。日本庭園か?ああ、旅館の中のか・・。そういやあ庭が自慢で、この時期には蛍が見られる、とか楽しそうにあのじいさん言ってたなあ。
少し離れて撮ったらしく、息子の表情はよくわからないけれど、その片手が、しっかりとこちらへむかい、差し出されている。まるで、繋がるのを待つように・・・。
・・・えっと・・ああ、暗いから、転ぶ心配をしたんだ。きっと。
ちょっと、祈るような気持ちでそう解釈した。
四日目。
「・・・・・」開いたとたん、叫びだしたいのを、ぐっとこらえる。ちょっとした会談中、失礼、と震える機械を確認することを、後回しにできなかった男は、しっかりとそれを眼にした。
下から見上げた子は、大きくてきれいな眼をむけていた。無防備に開いた口からはピンク色の舌がでて、それを待ち受けていた。
―男が、指先でつまむ、皮がむかれ果汁したたる、グリーンの葡萄・・。
はじめて、男へ返信してやった。
『これ以上やったら、ぶっころす』
その、四日間を、まとめて息子は楽しかったといった。あまつさえ、『この旅行、計画してくれて、ありがとう』と礼まで言われる始末だった。