二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

心細い不在

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
最初はちいさな咳だった。
喉の奥で抑え付けられたちいさな咳払い。それが一ヶ月、日毎に酷くなっていくのに本人は素知らぬふりで今日も買い出しにのこのこ付いてきた。病院に行きましょうと言っても、寒気はないし平熱だし悪いのは喉だけだから大丈夫それに金もない、そう笑って流されてしまう。
確かにあまり依頼がないせいで、万事屋の帳簿は赤で塗りつぶされている。それでも襖の影に隠れ身体を二つ折りにして咳き込む姿を見たら銀さんの「大丈夫」なんて言葉、頭から信じることなどできなかった。
買い出しに付いてくるのも、きっと、大丈夫だって僕に思わせたいからなんだろう。この人はどんだけ病院が嫌いなのだろう。
スクーターを出すという銀さんを制して歩きで万事屋から連れ出すと、酷くだるそうな足取りで後ろを付いてくる。よくそれで大丈夫だなんて言えたものだ。
いつもと道が違くないかと言えば遠くのスーパーが安売りだからと返し、桜が満開になったら花見をしたいつか団子食べたいと言えば咳が止まってからと答える。銀さんの言葉にいつものキレがない、そうすると僕もどうでもいい返事しかできないのだ。
上辺だけの転がらない会話に僕らの間の空気は停滞し淀んだままどんどん過ぎていく。無言の道行きにふらふらし始めた銀さんの袖を引くと、僕の顔と掴まれた袖を眺めて「なにすんの?」ってこどもみたいに首を傾げた。その不思議そうな表情が病院の前まで来た途端、酷く傷付いたという表情に取って変わる。

お医者さんが下した診断結果は軽い肺炎。それから一週間の要入院だった。

怒っているんじゃなくて心配しているんだと言ったら、押しつけがましいと思われてしまうのだろうか。
お登勢さんが持たせてくれたリンゴを果物ナイフで剝きながら考える。さっきまで同室の患者さんたちと楽しそうに話していたのに僕が病室に顔を出すと、銀さんはずりずりと布団の中に潜ってしまった。まだヘソを曲げているらしい。
厚い掛け布団の向こうからコンコンとちいさな咳が聞こえてくるのに眉を顰める。あやふやな記憶の中にあるのと同じ音。伏せるようになった父上の部屋からはいつもこんな音が聞こえていた。
「銀さんリンゴ剝けましたよ」
丸まってしまった銀さんの背中のあたりを軽く叩く。「早く食べないと黒くなっちゃいますから」叩いた背中を揺するようにすると、ようやく銀さんが布団から頭を出した。
髪がいつもよりひどくくるくるしていて、不機嫌そうにゆがめられた口元にうっすら髭が生えている。色素が薄くて睫まで白い銀さんの髭は生えていても生えていなくても見た目あまりかわらないはずなのに、顔色の悪さと相まって見知らぬ人のようだった。
「……いちご牛乳とかが飲みたいんですけど」
差し出した皿からリンゴを摘みながら銀さんが口を開く。
「咳が止まったらいいですよ」
僕もいいかげん性格が悪い。こんなときくらい優しい言葉をかけられないものなのか、口からさらさら出てくるのは冷たい言葉ばかりだ。
「病院の飯まずいんだけど」
「今までの不摂生がたたってるんじゃないですかね。これを機に正常な食生活にもどせばいいんじゃないですか」
「なに怒ってんの」
「怒ってないですよ」
「怒ってんじゃん」
「怒ってないっつってんだろ」
「ツンケンしやがって」
六つに切ったリンゴをぽいぽい口の中に投げ入れる。「ったく、怒りたいのはこっちのほうだっての」咀嚼しながらまた銀さんが布団に潜り込む。
「着替え、ここに置いていきますから。お医者さんの言うことちゃんと聞いてくださいね」
返事の代わりなのか布団から出てきた片腕が犬を追い払うように振られる。それに息を吐いて「明日また来ます」と言うと手が布団の中に引っ込んだ。

次の日もその次の日もまたその次の日も、僕は昼過ぎに病院へ行き銀さんのベッドの脇でりんごを剝いた。
「お前もうちょっとさあ、違うものとかさあ」
咳の回数が日毎に減って顔色が明るくなっているのに、銀さんの表情はさっぱり晴れない。いつものじゃなくちゃ嫌だと言われて病室に持ち込んだのは、顔そり用のカミソリと甘い味のする歯磨き粉と天パが治ると信じているらしいシャンプー、それから先週と先々週のジャンプ。
誰が来たのか知らないけれど、ベッドサイドの棚にはいつの間にか花が生けられていた。
「早く食べてください黒くなっちゃうんで」
皿を差し出すと不機嫌そうな表情を顔いっぱいに貼り付けて、それでも銀さんは手を伸ばす。
「俺あんましリンゴ好きじゃないんだけど」
「そうですか」
「お前ほんとなに怒ってんの?」
「怒ってないですよ」
「ぜってー怒ってる」
「怒ってないっつってんだろ」
「じゃあなんで毎日そんなぶすっくれてんのお前。見舞いに来るんならさあ、もっと優しくしろよ優しくしてくださいよこちらと病人なんだからさあ」
「してますよせいいっぱい、してるじゃないですか」
「してねーじゃんリンゴ剝きに来てるだけじゃん」
どうやってこの不安定さを目の前の病人に伝えたらいいのだろう。腕の内側に刺さったままの点滴針を押さえている白いテープの痛々しさも不機嫌そうな顔を直視する気概もないというのに。
「僕みたいな地味な眼鏡が見舞いに来るのが不満なんですか?」
「つかよー、そんな不景気な顔されたら、治るもんも治らないだろ」
「顔色ずいぶんよくなりましたよね」
「そうじゃねえだろ」がりがりと白い頭を掻き回す。それから銀さんはおおげさにため息を吐いた。
「お前のがよっぽど具合悪そうだよ」
「視力以外はどこも悪くないです」
「新八、お前もう来なくていい。こういうとこ嫌なんだろ」
白い壁とカーテン、薄っぺらい天井と床、それから消毒液の鼻をつく臭い。近くに人の死んでいく気配。こんなものが好きな人なんているわけないじゃないか。
「嫌なのは銀さんじゃないんですか? 嫌いだから病院来たがらなかったんですよね?」
銀さんはりんごで汚れた指を丹念に舐めてから、不機嫌な顔のまま目を逸らした。
「じゃあ明日も来るんで。看護婦さんとかにわがまま言っちゃだめですよ」
丸椅子から腰を上げながら言うと「いちいちうっさい」と銀さんがちいさく呟いた。

作品名:心細い不在 作家名:供米