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憧憬に煌く 赤の 赤

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翌日の日没、あの褐色の肌の娘が謝りに来た。
それはオレに対する謝罪ではなく。
この部屋の主のあいつに対してだ。
聞きはしないのに、娘はあいつに振られたのだと不機嫌を隠すことなく話した。
あいつの職場の人間には愚痴れないし、あいつを知らない人間に不用意な慰め方をされたくないのだと、眉間の皺を深くしながらそう吐き捨てた。
彼の優しさを知らない人間が、彼を悪者にするなんて許せない。
あなたなら私を慰めもしないし、彼を貶めもしないでしょう。と、よくわからない理屈を並べられてまくし立てられる。
よく知らない人間に対してあんたはいつもそうなのか、と問えば「先生が探し続けてる人が悪い人なはずないでしょう」とやけに偉そうにいい捨てられた。
明日、渡英するという。
なのに、最後の最後にオレとあの女が現れたせいで、あいつの関心が自分から離れてしまった事が悔しいのだと、はっきりとそう言った。
部屋に入るか、と聞くと娘は首を振った。
「明日、見送りに来てもらうからいい。ただ、私が来たことだけ伝えて。もう一晩寝て、もうちょっと冷静になってからの方が絶対いいから。ちゃんと、お別れしないと。・・・心が残るものね」
相変わらず強い眼差し。
それを少し眇めて、娘は初めて笑みを見せた。
「胸を張って幸せにならないといけないのよ」
オレに言うように、自分に言い聞かせるように、部屋の中に投げかけるようにそう言って、娘は帰っていった。
その足取りは淀みなく。薄暗い中、躓くことなどなかった。
胸を張って、幸せに。
そのどちらも、オレからは遠い言葉だ。
幸せなんて、考えたこともない。
胸なんて、張ろうと思ったことはない。
ただ、在るように在るだけだ。
「・・・あの子、なんて」
まだ少し、ぼんやりとした目であいつが昨日からの定位置に座していた。
「明日、ちゃんと来い」
極端に要約して伝えれば、強いなぁ、とあいつは呟いた。
それからゆっくりと視線を転じて、オレを捉える。
久しぶりに、正面から視線が交わる。
虚ろに揺らめいていた瞳は、しっかりと視線が定められていた。
「刃霧も」
強いね、と漏らされる。
「そういうことを、考えたことはない」
強さを求めたことはあった。
けれど、憧れた力と現実の力の溝の深さに、強さというものも無意味なものになってしまった。
人を殺める術には長けた。
それがかつて畏怖した力に唯一対抗しうるものだったからだ。
所詮、暴力の前に他のものは無力になる。
「強いよ、刃霧は。・・・何にも惑わされない」
惑うのは、惑わせるものがないからだ。
惑うのは、それだけのものがあるからだ。
「全てを切り捨てられるというだけだ。それは強さじゃないだろう」
あいつはゆっくりと頭を振った。
緩やかだけれど、はっきりとした否定。
「ボクは切り捨てられないよ。一人は耐えられない」
「・・・それを認められることも強さだろう」
らしくないことを口にしながら、いつかもそんな事があったことを思い出す。
あの時は、全ての言葉がこいつの前を通り過ぎていった。あの、例のビデオを見たその後だ。
「お前は、お前がオレの強さだというものを求めるな。それはお前が真に求めるものじゃない。そんなことはわかっているんだろう」
あいつは、ゆったりと微笑んだ。
刃霧は強いよ、と再度繰り返して。
すっきとしたその表情。当たり前だが、ずいぶんと大人びている。
けれど、背はそんなに高くはなっていなかったことを思い出す。
あの頃となにも変わらないで、そして大きく変わっていた。
「刃霧の正義が好きだよ」
オレに一番不釣合いな言葉をあいつは吐いた。
正義なんてものがあれば、こんな道を歩きはしないだろう。
口には出さなかったその言葉を拾い取ったのか、あいつはゆっくりと口を開く。
「いつも刃霧は一つの信念を握り締めて生きてた。・・・ボクにはそう見えた」
どこか唄うような表情で。
それは今まで見たこともない顔だった。別人のような顔だった。
隔たった、十年の歳月が作り上げた表情だった。
「そんな刃霧が傍にいてくれたから、あの時を乗り越えられたんだ」
何をしたわけじゃない。
命じられたから、ただ監視をしていただけだ。
それだけの事に、なぜそんな表情をできるのか。
乗り越えたのは、自分自身の力だとなぜ思わないのか。
「同世代の刃霧が居てくれることで、ボクがそこにいることを許してくれてるように思ったんだ」
「許すも許さないもないだろう、お前がそこにいるという事実はゆるがないだろう」
それが刃霧の正義だと思う、と。
やはりオレから程遠い言葉を吐く。
オレに正義なんてものがあれば。
それを捨てずに持ち続けていたのなら。
「小さい頃、正義の味方に憧れたよ。弱きを助け強きをくじく、そんな人にね。・・・特に戦隊ものが好きだったんだ」
同じ所に立てたのだろうか。
同じ十年という月日。
同じように流れたそれに乗って。
どうして、こうも違う場所まで流れていったのか。
いや、生れ落ちた場所が違うから、行き先は違うものか。
「リーダーは絶対赤色でね。無遠慮な正義とかお節介とか。絶対ボクにはまねできないものばっかりで。中学校の頃は馬鹿じゃないのか、って思ってたんだけど。今になるとやっぱりかっこよく見えるんだ。・・・赤は、憧れの色なんだ。」
三つ子の魂百までってことなのかな、と笑って。
だったら、ボクはもうボクのままでしかいられないね、と不意に頭を抱えた。
あまりに穏やかなその動作に、一瞬こいつが何をしたのかわからなかった。
静かに。
とても静かに泣くから。
椅子に腰掛けて。
その上で膝を抱えて。
押し殺し、押し殺して泣く。
小さく、小さくなって。
全てを抱え込んで。
女が死んでから、ようやく泣いた。
なにもかも変わったかと思えば、なにも変わらない。
いつまでたっても、そんな泣き方をする。
やはりオレは、こんな時なにもすることができない。
ただ、傍にいることしか。
いつかも、仙水さんのようにこいつに伝わる言葉が欲しいと思っていた。
そうすれば、こいつの中の何かがわかるような気がした。
けれど、伝わらなくても。それでも、こいつのなにかになっていたのなら。
今はそれでもいいとも思う。
オレが自分の中になにも見つけられなくても。
こいつが正義と呼ぶなにかをオレが持っていたとしても。それがなかったとしても。
どうせ、なにも意味はないのだ。
意味を持たせなければ。
自分が意味を問わなければ。
今回もそうだ。
いつかもそうだった。
こいつはあまりに異質すぎて、そのほとんどを理解できなかった。
無視すればよかったのに、視界に引っかかり続けた。
こいつのことを考えると、自らのことを考えざるをえなかった。
こいつといると、幼い頃に死んだと思っていた自分が生きているのを感じた。
怒りも、憤りも、悔しさも。
すべて、こいつからもたらされたものだった。
忘れた、無くした、擦り切れたと思っていた過去であったのに。
過去の亡霊であったはずなのに。
いつの間にか、また生身の人間になっていた。
ならばまた、こいつに引きずられてオレも人間になるのだろう。か。
作品名:憧憬に煌く 赤の 赤 作家名:綴鈴