影に虫食むや〈2〉
※静雄視点
「トムさんなんすかそれ」
「なんすかって…、なんだろーなぁ」
「いや俺が聞いてんのは、なんでこいつがここにいるかってことっすよ?」
「いやワリ、俺もどうしよっかとは思ったんだけどさ、でもちっと様子変だったから」
「……」
トムさんは俺の先輩で、上司で、家族以外でもかけがえのない俺の大切な人だ。
だからそのトムさんに声は荒げたくなくて精一杯、マジ俺の精一杯の我慢を総動員して吐き出した言葉がそれだった。
口元が震える。拳が震える。心が震える。でもそれは恐怖からじゃあねぇ。どうしようもねぇ腹ん底から湧き上がる怒りのせいだ。
そう、今現在俺の目の前にいるある男の存在によって。
「~~ッ、なんでてめぇがここにいやがんだこのクソノミ蟲ぃいいいっぃぃぃいいいい!!!!!!!!」
「っ!」
「わーわー! 静雄落ち着け! ここ事務所だからさすがにやばいって!!!」
そうだ。ここは事務所。俺が世話んなってるとこだ。だから暴れるわけにゃいかねぇ。だがそれを抜きにしたってこれはないだろう。なんで、なんで、なんで! なんで俺のクソでぇっきれぇなクソ臨也が事務所の客用のソファに座ってやがるのか!
今日は早めに集金も終えて、んじゃさっさとひける前にちょっと小腹がすいたから、俺はトムさんの分と一緒に近くのロッテリアまでお使いに行っていた。煙草も切れてたから通りのローソンで一箱、あとジャンプの発売日だったからちらっとワンピースだけ読んで帰って来たんだ。
寄り道した俺が悪かったのか。帰ってくるなりなんでこんな見たくもねぇ面とご対面しなくちゃなんねんだ! っとに胸糞悪ィ!!!
「おいてめぇ、」
「ちょ、静雄っ」
ロッテリアの袋を近くに置いて、俺はトムさんの手前冷静に行動を起こした。いつもはふんぞり返ってるノミ蟲だが、今日はなんでかソファの上でちみっと正座してやがる。だがその姿はあの忌々しいノミ蟲には違いないので、そいつの胸倉を掴み上げて睨みを利かせてやった。
「っ、う」
「…んでここにいやがんだァ? おいいざやくんよぉ?? ここはてめえなんかが来ていい場所じゃねーっつこと分かってねーのかぁ、ァア゙!?」
「ゥ、ごめ、ごめ…なさ…ッ、シズちゃ、いたい…!」
「あぁん!? んな殊勝な態度くれぇで俺を騙せると思ったら大間違いだぜェ? 分かったらさっさとここから…」
「静雄って! ちょっと待て! 本当にいつもと違うんだよこいつ!」
「はい? あに言ってんすかトムさん、んなもんこのクソ蟲の演技に決まって…」
「いやでもよぉ、俺が近くの自販機にジュース買いに行ってた時にちっさい子供にボロクソいじめられてたんだぜ? こいつ」
「はぁ???」
トムさん一体何言ってんだ。だってこいつが、臨也みたいな勝気で傲慢な野郎が子供なんかにボロクソになるわけがない。ていうかさせるわけがない。でもトムさんが俺に嘘なんて言う筈がねーし…。とりあえず俺は混乱して思わず胸倉を掴んでいた手を離しちまった。
離すと臨也はゴホゴホと咳き込んで、ちょっと涙目になってそろりと俺を見上げてくる。んで睨んでる俺と目が合うとヒッと竦みあがってソファから立ち上がりムカツクことにトムさんの背に隠れやがった。
…なんだこいつ? んでこんな弱っちいんだ。ちょっと鳥肌立ってきた。
「はははしずおー。あの折原臨也が俺の背中でおまえに本気で怯えてるとかシュールすぎねー??」
「……トムさん、俺気持ち悪くなってきました…」
「ばぁッきゃろう! 俺の方が気持ち悪ぃこれ! なんとかして!!」
「あ、すんません」
とりあえずトムさんを助けるべく俺はトムさんの後ろに回ろうとするが、俺がトムさんの後ろに行こうとすると臨也はそれから逃げるようにトムさんの前に回りこみやがった。
「……」
だから今度は前に回ろうとすると、また背中へ逃げる。
「……」
前、背中、前、背中、前、背中、前、背中、前……、いい加減キレていいか。
「ってめぇ! トムさん迷惑してんだよ! いいから離れろっ!」
「っ! やだ!」
「ぁあ!? やだだと!?」
「だってシズちゃん殴るんでしょ俺のこと! 俺悪いことしてないのに! やだ!」
「~~ッ、て、めぇ…!」
「お、おい…静雄…」
「いいか! そこ動くなよ! 動いたら殴る!」
「ひっ!」
俺が怒鳴るとまた臨也はビクッと身体を竦みあがらせて今度はその場に固まったまま俺から逃げなかった。トムさんにくっついているそのノミ蟲の首根っこを掴んでやっと引き剥がすと、ノミ蟲が掴み上げた先でうっと何か引き攣るような声を出して震えたと思ったら。いきなりわっと泣き出しやがった。
「っ、ハァ!??」
「うっ、ひっ、うあ、うああああんん」
「な、な、な…っで泣いてんだてめぇ! 気持ち悪ィ!!!」
「ッひ、うう、だ…ってぇ、シズちゃ、怖…ぃっし、あう、うああ…ッ」
「俺は今のてめぇの方がこえぇよ!!」
「うっわー…、シュール……」
泣く臨也なんて初めて見た俺は思わずこの男を放したかったが、なんか放り出したら更に泣くような気もして。仕方なくしばらくその場で固まるしかなかった。
*
あの後すげー引いてたトムさんにとりあえず事務所で喧嘩されると社長にどやされるからと、この様子のおかしい臨也と共に事務所を追い出されてしまった。
もう今日分のノルマも片付けていたのでこのまま直帰の形になるのだが、いずれもこの臨也をなんとかしないと俺は安らいで家には帰れねぇ。
んなもん放っときゃいだろって? ああ、俺もそうしたかったさ。事務所を追い出されて、なんか戦意も喪失してたしこのまま面つき合わせても気分悪ぃしで帰ろうとした。が、なんでかこの臨也は一定の距離を保って俺の後をついてきやがる。睨みを利かせると一旦逃げるが、それでもまたいつの間にか俺の後ろをトコトコ歩いていた。距離にして2メートル前後。んだこれは。俺は親鳥か。
街行く奴等もそりゃ振り返る。いつもベラベラ余計なこと抜かして俺に喧嘩を売るこいつが大人しく俺の後ついてきてるんだから自然そうなるわな。俺としてはとんだ迷惑にしかならねんだけど。
てか、いつまでついてくる気だこの蟲は。
「…………、おい、クソ蟲」
「っ」
「ああ泣くな。別に殴るわけじゃねぇ、…ブチ殺してぇけど」
「ひっ」
「うっぜぇ逃げんな! どうせ戻ってくんだろが! ちっと顔貸せ!」
「…あっ、」
逃げようとする臨也の手を掴まえてめんどくせぇからそのまま引きずって静かに話が出来る場所を探した。俺とあの臨也が話などとはちゃんちゃら可笑しいが、でも今の臨也の様子をふまえれば話をする以外にこの状況を打破する術はねぇことも承知している。
我慢だ。俺は総動員の理性を働かせて臨也の手を引っ張った。ズンズンと闇雲に歩いていたつもりだったが気持ちは家路につきたかったのか、自分の家のすぐ傍まで来ていたようだった。でもこの男を家に上げるのもいささか気が引けたので、近くにあった公園に足を向ける。