影に虫食むや〈2〉
公園内にはブランコとシーソーとすべり台、どこにでもある遊具が並ぶ小さな場所だ。夕方近くだから遊んでるガキ共も帰ったのだろう。数組のカップルがベンチに座っているだけで、あんま目立たねぇ木陰の下に行ってそこで俺は臨也の手を離した。
大人しくついてきた臨也は俺に手を離されると、怯えるような、それでいて縋るような瞳で俺を見つめてくる。ったくなんだこれは調子狂う。こいつほんとにあのクソ蟲なのかよ。
苛々が収まらない。ので、胸ポケットから煙草を一本取り出すとすぐさま火を点けて思いっきりその煙を吸い込んでやる。
「……で、一体てめぇはどういうつもりだ」
「え…?」
「とぼけんじゃねぇ…。んだてめぇは。いつものあのクソむかつく態度はどこ行ったんだよ」
「っ、ごめ…なさ」
「謝んな気持ち悪ぃ…! てめぇ何企んでやがる…? 油断させていつものようにナイフで刺すってか、効きもしねーのによくやるぜったくよォ…」
「ちが…、」
「じゃあなんだってんだ。てかてめぇ本当に臨也か? まさかそっくりさんってオチじゃねーだろうなァ?」
「違う! 俺は臨也だよ!」
「ッ、じゃあ!」
俺は思わず手にしていた煙草を握りつぶす。熱ぃ、だけどそうでもしねーと抑えられねぇ。なんだこのいつも以上の苛々は。あの野郎のいつもの態度の方が普通に考えればイラつく元だってのに。何やってんだ俺。
あの、人を見下し馬鹿にしたような言動、行動、態度。口を開けばしょうもねぇ御託ばかり。人の気持ちを知ったかぶりして裏から手ぐすねひいてにやけているようなろくでもねぇ奴。俺の知っている折原臨也はそんな男だ。
だが目の前にいるのはどうだ。姿形は同じだってのに、全く逆だ。すぐに謝る、泣く、俺なんかに怯えて逃げる。だけどなんだか物欲しそうな瞳で俺についてくる。何がしたい? この男も。……そんで俺も。
二の句が告げなくて俺が黙ってしまうと、臨也がおずおずと俺の煙草を握りつぶした手にそっと触れてきた。冷たい。触れたその感触にハッとなって、俺はその手の持ち主に目をくれる。
「いた、い。痛いよこれ…、早く、冷やさなく、ちゃ」
「あ…?」
「ねぇ平気? じゃない、よね…ごめん。水道行って、冷やそうよシズちゃん」
「……」
俺の手をそっと握って、そして今度は俺が臨也に引きずられて公衆トイレの水道まで歩く。あの臨也に手を握られるなんて。振りほどけばいいのに、俺はそれが出来なかった。
どうして出来ないんだろう。簡単な筈なのに。俺はどうしてまだこいつに手を上げてないんだ。いつもはそこから始まるのに。
だって可笑しいだろう。俺達は出会ってから今まで、向かい合って睨み合うのが常で。こうして隣を歩くなんてなかった。さっきもそうだが、互いの手を引くなんて馴れ合いは、今まで一度もなかったんだ。
俺の前を行くその見慣れた黒い背中が、いつものそれであるようで、それでも何故か別人のように見えるのは。
「……」
水道行って、煙草を揉み消した手をあらたか冷やして。横で心配そうに見ている臨也の姿がいたたまれなくて。まだ少し痛かったがもう大丈夫だと蛇口を止めた。
「本当に大丈夫?」
「……」
「火傷って後からずっとじんじん痛くなるから、ちゃんと後で薬塗らないとね」
「……」
「ねぇ、シズちゃん、本当にだいじょ」
「…せぇ、」
「ぶ?」
「うるせぇ」
まるで友のように、家族のように、恋人のように。そんな情めいた何かを向けてくる臨也の言葉が心底耳障りで、そう言った。
別にその言葉自体が嫌いなんじゃねぇ。他でもないこの男の口から出ているから。さっきからの違和感も相まって、俺の頭ん中はぐしゃぐしゃになっちまってる。
「っと、に。…んなんだよてめぇは…。臨也は、あのノミ蟲はんなことしねぇだろうがよ…!」
「シズちゃん…」
「誰だてめぇは。臨也じゃねぇよ。…少なくとも、俺の知ってるあいつじゃねぇ!」
「違う、シズちゃ」
「何が違うんだ! 説明しろよ…ッ、てめぇのどこが臨也だっつんだよ! あいつはこんな、人を、…ましてや俺なんかを心配するような男じゃねぇんだよ! 人をオモチャか何かみてぇに扱うただのクズ野郎だ! 俺が心底嫌いな…、この世で最も殺してぇゴミなんだよ…っ!」
「……」
「何が臨也だ。違う、ぜってぇてめぇが臨也な筈がねぇ! 分かったらどっか行け…、こんな茶番はもう、うんざりだ…!」
俺は間違っていることを言っているだろうか。いや、んなことはねぇ。だってこんな変な臨也は気持ち悪いとトムさんも認めていた。ってことは、やっぱりこいつは臨也なんかじゃねぇだろ。
じゃ誰だって話だが、んなもん俺にとっちゃ心底どうでもいい。とりあえず俺の視界から消えてくれれば。俺の世界からいなくなっちまえば、俺の平穏は保たれる。
あの折原臨也がいない世界だったら、俺は。
「…違うんだ、シズちゃん。俺は本当に本当の臨也なんだよ」
「……しつけぇ」
「聞いて。俺は君の知らない臨也かもしれないけど、それでも臨也だ。君が知らない、臨也の…本体の影になる存在だ」
「…? てめぇ、何言って…」
不思議なことを言い出した男をふいに見やって、そこでドキリとした。
陽が落ちてきて公衆トイレの暗がりの中、二つの金色の何かが俺を見ている。その二つの瞳は、目の前にいる臨也のそれだ。
見たこともないその色に、気味が悪くなって俺の背筋がぞっと震えた。
「ねぇ、だから聞いて? じゃなかったら、君も俺に食べられちゃってもいいの?」
臨也の形をしたそれは、鈍く光るその人外の瞳で俺を見つめ。ふわとまたその男の面で見たこともない微笑みを掲げながら、囁くように俺にそう言った。
〈影に虫食むや・2〉