縹色
危惧というものなら、それがいかにささやかなものでも、初めからあった。どこから、いつからかはわからないけれど、とにかく捻くれ曲がったこの根性は、小さな体を抱えたそのときにもう、「裏切られるかもしれないのに。」なんて言葉で鼓膜を震わせていたのだ。
だけど、それでも。
一抹の期待と、いま考えればきっと抱えきれないほど大きかった決意だけで、アルフレッドを弟にすると、あのときは決めた。
「最近はめっきり外にも出なくなって――…」
階段を降りてきたおれに、そいつはそこで言葉を止めた。
なんてことはない、使い捨ての使用人の一人だ。玄関先で、扉をほんの数センチばかりだけ開いて、その向こう側の誰かと話していた。目が合うとばつが悪そうにすぐ視線を逸らし、「とにかく、またいらしてください。」とドアの奥の誰かに一言。大仰な音を立てて扉を閉めると、こちらを向き直って今更わざとらしく、「お目覚めですか?」とおれに言う。お目覚めも何も、もう夕方の五時だというのに。
階段を、一段一段降りて行く。
しばらく前、いろいろあった。いつかの捻くれ者の嘲りが現実になった、とか。燻っていた危惧がいつの間にかおれの外に出て行って、そして今度はおれに襲ってきただとか。くだらない比喩なら幾つでも出来るのに、ただの事実はなかなか呑み込めなかった。“ひとり”じゃなくなってからは、たとえば重い曇天も、悴む雨も、耳を劈く雷も、決して嫌いじゃなかったのに――また“ひとり”になって、今度はもう、雨に怯える情けない自分だ。ただ水が降ってくるだけなのに、部屋の中にいれば凌げることなのに、窓ガラスを叩く雨粒が、銃声の様に怖い。
今日は、もう暮れてしまっているけれど晴天だった。
夕映えも鮮やかに空を染め上げて、雲はほとんどないに等しい。雨の気配は程遠くて、だからこそこうしてきちんとした服を着て、自室のある二階から降りてきたのだ。
「出かけてくる。」
「はい、では馬車をお出しします。」
「いや、ちょっと街まで、なんてことはない買い物をするだけだ。歩いて行くよ。最近、めっきり外に出ていないし。」
「それは、――お一人で平気ですか?」
「あぁ。心配するな。別に、子供じゃないさ。」
自分で言った言葉に、クッと気道が狭まった気がした。
「もう君の弟じゃない」と、雨音を銃声に変えたやつの声がする。
だけど、それでも。
一抹の期待と、いま考えればきっと抱えきれないほど大きかった決意だけで、アルフレッドを弟にすると、あのときは決めた。
「最近はめっきり外にも出なくなって――…」
階段を降りてきたおれに、そいつはそこで言葉を止めた。
なんてことはない、使い捨ての使用人の一人だ。玄関先で、扉をほんの数センチばかりだけ開いて、その向こう側の誰かと話していた。目が合うとばつが悪そうにすぐ視線を逸らし、「とにかく、またいらしてください。」とドアの奥の誰かに一言。大仰な音を立てて扉を閉めると、こちらを向き直って今更わざとらしく、「お目覚めですか?」とおれに言う。お目覚めも何も、もう夕方の五時だというのに。
階段を、一段一段降りて行く。
しばらく前、いろいろあった。いつかの捻くれ者の嘲りが現実になった、とか。燻っていた危惧がいつの間にかおれの外に出て行って、そして今度はおれに襲ってきただとか。くだらない比喩なら幾つでも出来るのに、ただの事実はなかなか呑み込めなかった。“ひとり”じゃなくなってからは、たとえば重い曇天も、悴む雨も、耳を劈く雷も、決して嫌いじゃなかったのに――また“ひとり”になって、今度はもう、雨に怯える情けない自分だ。ただ水が降ってくるだけなのに、部屋の中にいれば凌げることなのに、窓ガラスを叩く雨粒が、銃声の様に怖い。
今日は、もう暮れてしまっているけれど晴天だった。
夕映えも鮮やかに空を染め上げて、雲はほとんどないに等しい。雨の気配は程遠くて、だからこそこうしてきちんとした服を着て、自室のある二階から降りてきたのだ。
「出かけてくる。」
「はい、では馬車をお出しします。」
「いや、ちょっと街まで、なんてことはない買い物をするだけだ。歩いて行くよ。最近、めっきり外に出ていないし。」
「それは、――お一人で平気ですか?」
「あぁ。心配するな。別に、子供じゃないさ。」
自分で言った言葉に、クッと気道が狭まった気がした。
「もう君の弟じゃない」と、雨音を銃声に変えたやつの声がする。