縹色
「じゃあ、――たぶん、一時間くらいで帰ってくる。」
「はい。いってらっしゃいませ。」
律儀に扉を開くその使用人に表面上は笑顔を向けて、けれど内心では、こいつを明日にはクビにしてやろうなどと考えていた。弟に銃口を向けられて、それで雨におびえて、塞ぎ込んでいる大英帝国様はさぞかしいい話の種になっただろう、少しばかり“主を心配する健気な使用人”を演じられただろう、だからもう、そのたっぷりの優越を土産に明日出て行ってもらおうと。
頬を撫でる風は、あたたかいオレンジ色をしているのに、冷たかった。頭のうえのカーテンが嘘のように、凍えそうなくらいに。石畳と革靴の底のぶつかる音が、なんとなく雨音やら銃声やらに似ている気がして、すこしでも耳を遠ざけようと上の方を見ながら歩いた。目線と同じくらい簡単に、この気持ちだって浮上出来たらよかったのに、と、きれいで広大な空の前で、そんな卑怯でちっぽけなことを考えていた。
近付く町並みは、けれど人の往来がさほど多くはなかった。閑散としているわけではないのだけれど、それでも活気という言葉は似合わない、すこし寂しい風景だった。
せっかく外に出てきたのに―――とは言っても歩いて来られる距離だから、そんな大げさなことではないのだけれど―――なんだ、これなら一人ベッドの上でうずくまっていた方がまだ寂しくなかったかもしれないと、踵を返した。家を出て、まだほんの五分程度しか経っていない。おれの一時間はずいぶん短いものだな、と溜息を吐いた。
遠くで小さな女の子のものだろう、舌足らずで高い、涙まじりの声が聞こえた。
「お兄ちゃんなんか大嫌い!」と、たどたどしい物言いがそれだけははっきりに、喚いた。
空と建物の屋根の高さの視線を下ろして、背中を丸めて逃げるように家に走った。格好の悪い猫背で、風を切ることも出来ないで、逃げるように、すぐそこの家まで。
―――そんな、夢を見た。