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ジュネスのおにいさま。

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「お疲れ様です」
「おう、お疲れ」

今日のシフトを終えて眞澄がロッカーへ向かうと、いつものように陽介が待ち構えていた。制服に着替えた眞澄をバックヤードから気付かれないよう出すのも、陽介の仕事の内に入っている。そうまでして自分を雇う必要はないだろうに、何処までも優しい。
以前、率直にそのことを言ったところ『ま、俺の休憩も兼ねてるから』と返されてしまった。完璧な大人の受け答えだと思った。こちらに気を遣わせない、彼らしい答えだ。安堵すると同時に、結局自分は何処までも彼に勝てないのかと悔しくもなった。
「おっ、ヴァンフォーレ勝ってんじゃん」
こんな風に、陽介と二人きりになれるのは嬉しくもあるのだが。
過去の返答は全くの嘘ではないようで、更衣室のベンチに腰掛けた陽介は携帯のワンセグでサッカーを見ている。長い脚を投げ出し、ぼけーっとしている彼は完全に休憩モードに入っているようで隙だらけだ。
手早くワイシャツに着替えた眞澄は、ブレザーを羽織るよりも先に鞄の中へと手を伸ばした。恐らく、今がチャンスだ。四つ折りにした紙を取り出す。
「花村さん」
「ん、どうした?」
ますみ、と付け足された名前にドキリとする。彼に名を呼ばれるのは好きだ。彼が自分を見ているのだと確かめさせてくれるから好きだ。
上目遣いの陽介を見下ろす角度は新鮮だった。座ったままの彼の元へ歩み寄り、紙切れを翳す。
「前、言ってた中間テストなんですけど」
「おお、どうだった?」
ぴらり、広げてみせたのは苦手科目の英語だった。
目の前で開かれたそれに陽介の眼が丸く見開かれる。
「きゅうじゅうはち……って、お前、苦手なんじゃなかったのかよ! 何だこの点数!」
「バイト、休ませてもらった分頑張りました」
「そっか、そっか。偉いぞ、眞澄」
伸ばされた手がわしゃわしゃと些か乱暴に髪を撫でてくる。大きな手の平の温度はとても心地良くて、好きだ。ありがとうございます、と礼を述べた自分に返ってくる、底抜けに明るい笑みも好きだ。けれど、
好きだからこそもっと欲しいと思ってしまう。彼の全て。コドモの自分ではまだまだ敵わないだろう、一人の立派な大人を独占したいと願ってしまう。
文法忘れちまったなあ、とテストに視線を落としている陽介に覆い被さるような格好で覗き込んだ。
「眞澄?」
「覚えてますか。テスト期間入る前に、花村さんが言った約束」
「約束……?」
学生の本分は勉強であるから、中間テストの前は高校生と同様に休みを取らされた眞澄である。バイトがないということは、即ち彼に会えないこととイコールでそれは非常に寂しい日々だった。
その為に気落ちしていた眞澄を、テストに対する憂いと勘違いしたらしい陽介は、こう言ったのだ。

「苦手な英語で良い点取ったら、言うこと聞いてくれるって」

だから頑張れよ、やる気になれないのは分かるけど。
そういう『ご褒美をあげるからちゃんとやりなさい』という論調で、要するに子ども扱いで諭した陽介に苛立ったのは一瞬で、上がったモチベーションはテストまで持続した。見返してやりたい、その一心で出した結果がこれだ。ようやく自分の発言を思い出したらしい陽介は、唖然としてこの点数を見ている。
「……お前、まさかこの為に頑張ったわけ?」
こくりと頷いた眞澄に、陽介は驚愕のち苦笑い。
参ったなと零してクスクス笑う。顔をくしゃくしゃにして笑う様が可愛くて、愛しくなった。……本当に、彼が自分のものになったなら良いのに。

「仕方ねーな。約束は約束だ、リクエストは何だ?」
「……花村さんが」

それだけが、望み。

「花村さんが欲しいです」

ぽかんと自分を見詰め返した無表情は、イケメン店員と評されるだけあって整っている。スッと通った鼻筋と男にしては大きな瞳、細い眉。
それら全部が自分に向けられている今の状況に興奮しながら、眞澄はそっと彼の唇に口付けた。鼻から漏れる息が互いに掛かり、唇の温もりが伝わってくる。
柔らかな感触に誘われて、舌の先を這わせると肩が震えたのが分かった。体重を掛けて上から押さえ付け、ぺろりと淡い桃色の唇を味わう。ついでに中も、と舌が前歯に付いたところで突き飛ばされた。
「だ、だあああああっっっ!!!??」
絶叫し、取り乱した陽介は大人らしからぬ慌てようでコドモの如くぶんぶん腕を振り回している。
こういうのを錯乱と言うのだろうとまるで他人事のように眺めつつ、眞澄は陽介が落ち着くのを待った。今、自分が落ち着けと宥めたところで『お前が言うなっ!』と突っ込まれるのがオチだ。いやはやご尤も。
「お、おま……悪ふざけにも程が」
「本気ですよ」
どうにか言葉を絞り出した陽介に言って聞かせる。
こちらの言葉に再び絶句した陽介の手を取って、告げた。「僕は花村さんが好きです」。初めての告白は拙い。ただストレートに言いたいことだけを言う自分に陽介はどんな思いを抱いているのか、明日からも話してくれるのか、だなんて不安よりもはち切れんばかりの好意が先行した。「大好きなんです」と繰り返す。

「今回はキスだけでしたけど。いつかは、花村さんの全部が欲しいと思ってます。それ位好きです」
「男だぞ、俺は」
「男の花村さんが好きです」
「俺を幾つだと思ってる」
「僕より十歳年上の花村さんが好きです」
「俺の……何処が良いんだ?」
「言いましょうか? 多分一日以上掛かりますが」
実際に数えたらどれだけ自分は彼のことが好きなのだろう。軽薄に見えて真面目な性格、細やかな気遣いが出来る点、破壊力満点の笑顔、度を過ぎて自虐的だけれども自分を顧みられること、とそこまで挙げたところで「いや……もう良いわ」と制止を掛けられた。
額を押さえる手で半分以上隠れてしまっているが、その頬は真っ赤に染まっている。実は、満更でもないのではあるまいか。などと都合良く解釈して、眞澄は陽介の隣に腰掛けた。じっと横から注意深く観察する。
コドモの自分に対して、大人の対応をじっくり考えているのだろう。良く出来た人だから、こんな自分に捕まってしまうのだ。
「分かった。分かったから十年経ったら出直し」
「十年経ったら、花村さん三十四歳ですね」
構いませんけど、と口に出して言えばまた陽介は頭を捻る。難しい顔でああでもない、こうでもないと。
「五年……だとお前十九で俺が二十九か」
「適齢期ってやつですか」
バカヤロウ、と殴る手に力は篭っていなかった。
年齢も、性別も関係なしに抱いた想いだから、今更そんな条件で諦めるつもりはない。五年なんて容易いものだと「じゃあ今日からきっかり五年後に」そう受け入れようとしたら、もう一度待ったを掛けられた。
いい加減、観念して頂きたい。眉間に皺を大量に作った陽介が悩んでいる隙に、空っぽの手に指を絡めた。振り向いた顔ににっこりと笑い掛けてみせる。
今はまだ、ひとまわり小さい自分だけれど。

「……俺の身長超えたら、再挑戦させてやる」
「絶対ですよ」
「おう! 男に、二言はねえっ」

いつの日か、貴方を包む幸せを与えてみせるから。
だから、それまではコドモの特権を十二分に使わせてもらおう。舌を噛む程動揺している陽介に擦り寄って、ぎゅっとその手を握り締める。