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小柴小太郎
小柴小太郎
novelistID. 15650
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縁の糸

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 しわがれてはいるがよく張った味のある声が謡いのように駅名を告げ、黒づくめの身なりの少年を含めた幾人かが電車を降りた。
「すまない。乗り過ごすところだった」
「注意力散漫だぞ……と言いたいところだが、あの車掌、妙に癖のある節回しで唸っていたからな。慣れないおまえが聞き取れなくても無理はない。一度だけ大目に見てやる」
 少年がひそりと呟くのに応じて、そう返事が返る。しかしながら、少年の傍に連れらしき人影はなかった。
 少年は黒い学生服に学帽を被り、上から黒い外套を纏っていた。荷物はそれほど大きくもない手提げ鞄がひとつ。なのに、彼は改札を抜ける際、わざわざ荷物を足元に下ろしてから制服のポケットに手を入れて切符を取り出し、駅員の前に置かれた箱にさらりとすべり落とした。袖口に入った白い線と白い手が黒衣の中でくっきりと映える。
 荷物を拾い上げようと上体を屈めた少年の胸元から、外套の袷を割って真っ黒い猫が飛び出した。窮屈だった、とでも言いたげに伸びをして、何食わぬ顔でほてほてと歩き出す。
「ちょいと、お客さん、困るよォ。公共の乗りもんに犬だの猫だの連れて乗られちゃあ」
 駅員が『これだから近頃の若もんは』という顔で咎め、少年は荷物を取って身を起こしてから静かに、
「相済みません。乗車駅で、降りるまで抱いたまま決して下ろさぬことを条件に、同乗を許して頂いたので」
 と謝った。低く、僅かに掠れた質の声だった。
 少年は背が高く、駅員は彼を見上げる形になる。間近で見れば、極めて端正な容貌だ。目深に被った学帽の鍔が落とす影と立てた外套の襟とで半ば隠されていたため、遠目では目鼻立ちまではわからなかったのだ。
 車内で粗相などされては他の客に迷惑だからと、動物を連れての乗車は基本的に断わっている。が、親戚の家に生まれた仔犬を引き取ってきたところだとか、大きな町の獣医に診せに行くところだとか、それなりの理由なり事情なりがある場合には、箱から出さないとか物を食わせないとかあれこれ条件をつけて許すことがある。
「里親に届けにでも行くところかい」
 苦い顔のまま、いくらか語調を緩めてそう問うた駅員に、少年はいいえと否定を返した。
 否定したということは、自分の飼い猫だということだ。少年が箱に入れた切符には、ここからだと三度の乗り継ぎを経て半日以上もかかる距離の駅名が刻印されている。この年頃の若者がそれだけの距離を旅する用事といえば、実家に帰るか、実家から寮や下宿先などに戻ってくるかのどちらかしかあるまい。
 寮に猫を持ちこめるはずはないから、この少年はどこかに下宿しているか、あるいは主人持ちの書生だろう。下宿先の家主や雇い主が猫好きならば、連れてきてもいいと言うかもしれない。駅員はそう見当をつけたものの、それでも、そんなことは滅多にありはしないだろう、とも思った。
「猫つきで書生に雇ってくれる酔狂な御人がいるってかい?」
「酔狂かどうかはわかりませんが、否とは言わない……いえ、仰らない、はずです。……そう、聞いています」
「そらァ、よっぽどの猫キチなダンナに違いない」
 駅員の顔から苦みが消えた代わりに、呆れが満ち満ちた。呆れずにはいられない。まさか予想が的中するとは思わなかった。少年の口ぶりからすると、今日から雇い主のところに住まうようだし、まだ会ったことがないようでもあるから、雇い主が知己に頼んで世話してもらった書生がこの少年なのだろう。あるいは、お節介な誰かが多忙な友人を見かねて、手伝いを雇いたまえと捻じこんだのかもしれないが。
 少年は無言でもう一度軽く頭を下げ、何をしているさっさと来ないか、とでも言いたそうな目つきで肢を止めている猫を追って足早に駅舎を出て行った。
 やれやれ、どっちが飼い主なんだかねェ、などと溜息をつきながら黒い猫と黒づくめの少年を見送った駅員は、歩きながら少年が外套の襟を下ろしたのを見て、ああ、と納得した。
 狭い電車の中、あれほどの美貌を長時間むき出しにしていたら、乗客から凝視され続ける羽目になる。見ず知らずの人間、しかも複数にじっと見られっぱなしではさぞかし居心地が悪かろう、と。
 学帽に象嵌されていた校章は弓月の君師範学校のものだった。ここ筑土町からなら一番安い乗車賃で行ける区域だ。
「こりゃあ、そのうち、あの兄ちゃんの登校時間に合わせて、一車両ほとんどが女学生さんで埋まっちまう日も遠くねェやなあ」
 駅員がしみじみと独り言ちたそれは、勿論少年の耳には届かなかった。






 少年は、名を葛葉ライドウという。
 襲名によって継いだ名であり、彼本来の姓名は別にあったが、筑土町の住民票にも学生証にも、記されているのはライドウの名であり本名は一切使用しない形になっている。表向きの彼の身分は、弓月の君師範学校に通いながら探偵社に住みこみの助手として勤務する書生だ。帝都守護の任に就く悪魔召喚師という正体を巧く隠して動き回るためには、実に無難な身分といえる。
 足早に歩く少年の足元をこれまた早足でついて来る黒猫は、業斗童子と呼ばれている。彼の身分はライドウの目付け役兼、指導係のようなものだ。ライドウは、その若さで十四代目葛葉ライドウの襲名を許されただけあって、幼い頃から英才教育を施され、純粋培養で育てられた世間知らずである。どのくらいの世間知らずかといえば、今日まで電車にも乗ったことがなかったくらいに、だ。
 故に、無害な獣の姿で傍に在り、同業者でもない限りは人の言葉として捉えることの叶わない声で、召喚師としても書生としてもけったいな間違いをしでかさないように指導するのがゴウトの役目なのである。
 少年は、ゴウトの勧めによって町内を一周しているところだった。これから助手として身を置くことになる探偵社に直行せずに? と不思議に思いはしたが、ビルヂングは逃げないし身元預かり人はおまえが何時の電車で来るのかを知らんのだから構わない、まずはこれから住まう町の様子をざっとでも頭に入れておくのが先だ、と言われれば、なるほどと納得した。
 幸い、悪魔と出くわして局地的な異界に引きこまれることもなく、おおまかに町内を一回りして神代坂を牛込返り橋方向へ戻り始めたところで、不意に小さな悲鳴を浴びせられた。ちょうど角の近くで立ち話をしていた女学生ふたりが、ゴウトを見てあげた声だった。
「いやだ、黒猫よ! 不吉〜っ」
「ねえ、こういうときって、親指隠すんだったかしら? それともくわばらくわばらって唱えるんだったかしら?」
 親指を隠すのは不幸のあった家の前を通り過ぎる時で、くわばらと唱えるのは雷避けのまじないだ。
 恐怖と嫌悪の入り混じった声と言葉に、ライドウはどう反応すればいいのか決めあぐねてゴウトを見た。
 不吉と言われたゴウト自身は、呆れ半分に憮然とした様子である。しかし、幸い爪を出して女学生たちを引っ掻いたりする気はないようだった。
 ライドウはゴウト、と低く名を呼び、先に立って歩き出した。人間くさくふんと鼻を鳴らし、ゴウトもライドウを追って、とててて、と軽やかに歩き出す。
「うそっ、どうしよう、今の猫、あのひとの飼い猫だったみたい。不吉って言ったの、聞こえちゃったかしら」
作品名:縁の糸 作家名:小柴小太郎