その召喚師、純情につき……
「以後、大正妖都の純情十四代目葛葉ライドウと名乗るがいいでしょう」
淡々とそう告げたヤタガラスの使者の顔を、ゴウトは思わず驚きと呆れとを剥きだしにして見上げてしまった。
(……いやはや、相変わらず奇妙奇天烈な称号をサマナーにつけているようだな)
それが歴代の使者たち本人の嗜好であるのか、はたまた古来より続く悪魔召喚師の統括管理において確立されている称号のつけかた典範の類のものがあってそれに殉じているだけなのか、ゴウトには未だにわからない。
ゴウトは、葛葉一族の中でも最高位のサマナーである証しとして襲名によって受け継がれてきた名前のうち、『ライドウ』の名を与えられた者の補佐役を特に多く務めてきた。どの代の『ライドウ』にも、召喚師としての成長が見られる毎にヤタガラスの使者に会って称号をもらえと勧めて来たし、そうして与えられる称号をいくつも見てきたゴウトだったが、慣れたつもりでいても今回の称号にはやはり呆気に取られた。
大正妖都の純情。
悪魔召喚師として、その称号は些かどうなのだ、と思わずにはいられない。
しかしながら、称号を享けた本人は眉ひとつ動かさず、これまた使者同様に淡々とした態度である。何とも思わなかったのか、それとも内心の動揺が表に出ていないだけなのか、ゴウトの眼力を以てしても判別がつかない。
十四代目葛葉ライドウとなったこの少年との付き合いは、まだ短い。
過ぎた美貌と寡黙な性格とでさぞかし周りから浮きまくってしまうのだろうと思われた少年だが、意外なことに彼は学校でも鳴海探偵社のご近所でも、わりと短期間であっけなく馴染んでしまった。口数は少ないが自分からひとに話しかける際、相手が誰であってもどんな状況下でも全く物怖じしないし、行動が速くてしかもまめまめしいので、彼独特の冴えた迫力や謎めいた雰囲気に腰が引けがちだった人々が『あれだけ綺麗な顔してたら一見とっつきにくくても当たり前か。中身はふつうにいい子だし、真面目できちんとしてる感心な書生さんじゃないか』と思いこむのにそれほど時間はかからなかったのだ。
だが、お目付け役兼指南役のゴウトの目には、十四代目ライドウは偶に微妙に奇妙な反応を見せる少々掴みどころのない少年に見えていた。
現に今も、恥ずかしくてとてもひとには名乗れない称号を獲得したというのに、ライドウは何事もなかったかのようにヤタガラスの使者に異界開きを頼んでいる。称号には興味がないのかもしれない。
(いや、こやつなら案外真顔でしれっと名乗るかもしれんな)
白皙の横顔を見ながらそう思い、ゴウトは異界への移動術に備えて体勢を整えた。
どうやら、女色には興味がないらしい。
車夫の飯田に頼まれ、佐竹の口利きでシズとの面会のために遊郭の大門をくぐることを許可されたライドウは、入ったついでにと近くの人間に訊きこみをしたのだが、場違いな制服姿に加えて擢んでた美貌の少年ということで嫌でも目立った。遊女の中には面白がってからかい半分に遊んで行くかい? と誘いをかける者もいたくらいだ。
しかしながら、少年は赤くなるでも慌てるでもなく、形のいい唇で笑みを返すだけでさらりと受け流した。
場の雰囲気に呑まれずに振る舞えるのはいいことだ。が、多感な年頃で些細な刺激でも強く響いて悩ましい時期でもある男が、本職の女たちに色目を使われ嬌声を浴びせられても全く無反応、というのは、それはそれで問題ありではないのか、と心配になってくるゴウトである。(気分は半ば父親だ)
悪魔の中には見目麗しい女性形で、召喚師を色仕掛けで誘惑して殺すようなものもいるから、その手の色香には靡かないように耐性を養って来ている、というのもあるのだろうが、あまりに朴念仁すぎてもまずい。なぜなら、堅物であればあるほどうっかり女に惚れるととんでもない盲目状態になってしまい、暴走する羽目になるからだ。
そんな心配をしているゴウトをよそに、ライドウはまたひとり遊女に声をかけて情報収集に励んでいる。
結構な売れっ子であるらしく、一際婀娜っぽい遊女だ。やや年増だが、そのぶんこってりとした色香がある。シズと同じ見世の遊女だったので彼女については、
「手抜きをしないから、お客の評判は悪くないね。でもねえ、この商売、単に技巧を凝らしてまぐわえばいいってもんじゃあないからね。嘘でも情をこめなきゃ、お客を足繁く通わせることはできないよ。大怪我してるっていう旦那のために沢山金を稼ぎたいなら、尚更金回りのいいお客を自分に入れあげさせるために、情念こめて絡む演技のひとつもしなくっちゃ」
と語ってくれたが、物言いの生々しさ以上にライドウを見る目つきが粘着質だ。
着崩した着物の胸元から真っ白でむっちりとした谷間が覗き、しかもその豊かな胸を強調するために己を抱きしめるような格好で身を捩ってしなをつくる遊女が、肌をじっとりと舐めるような淫靡な目つきで少年を見上げながら舌なめずりをして笑う。
「それはそうと、佐竹の旦那に認められたほどの子なら、あたしが相手をしてあげてもいいんだよ。遊郭で遊ぶにはちょいと若すぎるけど、そろそろ女の味くらい知ってたっていい年頃だものね。あんたさえよければ、あたしが一人前の男にしてあげるよ」
むんむんと色気を発して八割方本気でそう誘いをかけてくる遊女に、ゴウトは長い尻尾を下げて辟易した。
童貞のつまみ食いが大好きだというふしだらな手合いは娑婆の女にも少なくないが、仮にも玄人が素人の少年に手を出すというのは頂けない。それこそ、佐竹が知ったらただでは済まないはずだ。
ここででれでれと鼻の下を伸ばすような『葛葉ライドウ』では困るが、少年はやはり整った唇を僅かに動かして口角を上げ、
「ありがとうございます。ですが、仕事で来ていますので」
と型通りに断わると、遊女に自分を引き留める間を与えずにすいと身を翻した。
さんざん見せつけた胸の谷間も、ぽってりとした唇を何度も舐めて湿らせるわざとらしい舌の動きにも目を奪われることなく、あっさりと自分を袖にしてくれた少年に遊女が呆気に取られている。ここまで涼やかに受け流されるとは思いもしなかったのだろう。断わられるにしても、その時の物言いや態度から年頃の少年らしい初心さや固さを愛でられれば愉しいし、周りにもちょっとからかっただけ、で通せる。その当てが見事に外れたのだから、呆然とするのも無理はない。
肉体にも手管にも相当自信があったのだろうが、ライドウには効き目がなかった。なさすぎた。
いやいや、ライドウの名を継いだとはいえ、継ぎたてほやほやの駆け出し青二才なのだから、ここで遊女の色目に骨抜きにされるよりは、それは男としてどうなんだと医者に診せたくなるくらいの無反応ぶりでも、悪魔召喚師としては上出来、むしろ当然、問題なしだ、と思い直す努力をしてしまうゴウトである。
純情どころか木石並に女の色香が通じない十四代目ライドウは、仲魔が見つけた物体の前に端正な姿勢でしゃがみこみ、生真面目な顔で拾おうかやめておこうかと熟考していた。
作品名:その召喚師、純情につき…… 作家名:小柴小太郎