その召喚師、純情につき……
鳴海はちゃらんぽらんでいい加減なオトナの代表のような男だったが、意外にも一通りの家事は習得していた。ただ、元来面倒くさがりなので服は洗濯屋に出すし、食事も外食が多い。
やればできるのに、やる気にならない男なのだ。
故に、鳴海探偵社に住み込んでいるライドウは必然的に家事にも従事することになった。見習いにとっては雑用も仕事のうちだが、学生服の上から割烹着を装着して味噌汁を作り、這い蹲っても無駄に端正な身のこなしで床磨きに励む、といった姿を見るにつけ、明らかに鳴海はこやつの使い徐を誤っているな、と感じるゴウトである。
因みに、ライドウも家事全般は卒なくこなすが、料理は和食、しかも普通の家庭料理しか作れない。我侭な上司がもっと洋食が食いたいとほざくので、現在練習中だ。外食は不経済なので、『わざわざ外に食いに行くのは面倒だなあ。ライドウー今日は×××(←その日食べたいものを挿入)でよろしくー』という域に到達してご飯はおうちでを定着させるべく、仲魔を使って洋食屋の『秘伝レシピ』や竜宮の『板前の裏技』が書き記された帳面をくすねさせる十四代目である。
明らかに、仲魔の使い徐を誤っている。
アイスクリンや黒蜜、油揚げをパチっても、ライドウが自分で食うわけではないので気にしなかったゴウトだが、レシピや裏技はその店の『門外不出の秘術』なのだ。さすがにやりすぎだ。
が、ライドウが悪魔召喚師としての力を悪用して入手した、安い肉でもとろけるように柔らかくなる秘伝だの生臭さを消し魚の身の締まりもよくなる下拵えの方法だののおかげで、ゴウトも毎日旨いものが食べられる幸せを享受している。うっかり食いすぎて腹をもっちゃりと丸く膨らませた姿で満足げに顔洗い仕草をしつつ『仲魔の悪用はもうやめろ』とは、言えないし言っても説得力がないだろう。
別に、余人に洩らすことなく、所長の散財を少しでも抑えるために必要な『情報』を収集しているだけなのだから、まあいいだろう、と口を拭うゴウトだった。
そんなわけで、現在ライドウは割烹着姿で寸胴鍋に向かい、ちまちまと灰汁取りをしているところだ。
この鍋、既に三日も煮こんでいる。
さすがにライドウが探偵見習いとして街を走り回りつつ遭遇して襲ってきた悪魔をばさばさと斬り捨てている間は火を止めているものの、就寝中や学校にいる間は仲魔が鍋の番をして、弱火でことこと灰汁をとりとりを代行している。(何事にも面倒見のいいおばちゃん系の仲魔にしか任せられない)
三日も煮こんだおかげで、鍋の口ぎりぎりまで張られていた水も今では半分以下の水位になっている。ふたりと一頭で食するには充分どころかまだ多いくらいだが、煮始めを見ているので随分と少なくなってしまった気がしてしまう。
「おい、――……」
ゴウトはライドウを本名で呼ぶ。ライドウがそれについて不満を表したことはなく、そもそも、なぜと疑問に思うことすらしていないようだ。
呼びかけられても鍋を見つめたまま無反応に見えるライドウだが、意識はゴウトに向いたのが気配でわかる。
「鳴海なんぞに食わせるために、それほど手間暇をかけてやることはないんじゃないのか?」
まともに給料が出たこともないのによくやるものだと、感心を通り越して不思議でならない。
灰汁取り用の網杓子を動かしながら、ライドウが笑った。いつもと同じで声のない、口角が引きあがるだけの笑いだったが、よく見れば切れ長の目許が僅かに和んでいる。楽しそうだ、とゴウトは思った。
「胃袋を掴んでおけばこっちのものだ、と聞いた」
「ううむ……それは意中の男をオトして婚姻に持ちこみ浮気させないための必殺技だが……まあ、収入が乏しくて碌な食材が買えないとか、瓦斯料金滞納で焜炉が使えなくなるとなれば、三日かけて煮こんだビーフシチューなどという贅沢品を事務所にいながらにして食う、ということもできなくなるからな。そこらの店より旨いものが出てくる生活に慣れてしまえば、あの鳴海でもそれを維持するために働こうという気にもなるか……」
因みに、材料はもちろんライドウが買い出しに行っているのだが、各食材店の親爺やおかみさんたちは『毎日頑張るねえ。男子厨房に入るべからずって言うけど、ライドウちゃんくらい立派な主夫っぷりならそれも男っぷりのうちだねえ』と感心して、いろいろと値引きしてくれたりおまけしてくれたりする。
つまり、外で食べるのと遜色のない出来上がりの味を誇る料理を、外食するよりも格段に安上がりに食卓に供せられる、ということだ。
「だが、あの男の場合は見目のいい仲居や女給に世話を焼かれながら飯を食うのが好きで外食しているという節もある。竜宮にツケを溜めまくっているのもそのせいだぞ。おまえも相当にみてくれはいいが、如何せん、男だからな」
金がかかっても可愛い女の子を愛でながら飲み食いする愉しみと、自宅でお気楽に旨いものを食いつつ目に入るのは寡黙な美少年と黒猫一頭、とでは、鳴海は迷わず前者を取る。ライドウに酒を注いでもらうより、美人女将に酌をしてもらうほうが味も酔ったご機嫌度数も上に違いない。
ライドウくらいの美貌なら女装でもすれば傾城の美女になれそうだが、残念というか幸いにというか、彼は女に化けるには背丈がありすぎるし、細身でもよく鍛えられた体をしているので、胸に詰め物をした程度では『懐に特大饅頭を二個入れて歩いている男』にしか見えないはずだ。
そもそも、女装しても学帽だけはそのまま被り続けそうなので、『ライドウが女装して給仕すれば超絶美少女っぷりに鳴海もうはうはで外食しなくなる案』は、端から不可能なのだった。
しかしながら、ライドウの笑みは更に愉快げに深まった。
「問題ない。外で飲み食いして機嫌よく帰ってきた鳴海さんに、熱い珈琲、もしくは、旨い茶漬けをさっと出す」
「う、うう、うううううーむ…………」
外食して酒も嗜み、午前様でご機嫌で帰ってきたら寝ないで待っていた助手が嫌な顔もせずに甲斐甲斐しく珈琲や茶漬けを出す。鳴海ならばこれが可愛い女の子だったらねえ、とぼやく反面、それでもそれなりに嬉しいだろうし、ライドウがつくった夕食に手をつけていなかったりすれば、先に食って先に寝てろって言っただろうがライドウちゃん、と怯んで、翌日はおとなしく事務所でライドウ手作りの夕飯を食うに違いない。
そんなことが続けば確かに、外食の回数は減る。ちゃらんぽらんで助手使いの荒い鳴海だが、あれで意外と情に厚いので、尽くされるとその上に胡座をかきっぱなしができない男だ。と、ゴウトは見ている。
しかし、どう考えても『遊び癖の抜けない夫と、仕方のないひとねと苦笑しながら情と罪悪感に訴えて手綱を取るしっかりもので料理上手な新妻』という構図そのものなのが、ゴウトとしてはどうにも薄ら寒くてならない。
黒い毛並みがざわざわと逆立つのを身震いして振り払い、ゴウトはにゃあと嗄れ声で鳴いた。
「探偵見習いにも称号があったら、今のおまえはきっと『やり手の若妻風助手』だな……」
ライドウが、珍しく声を立てて笑った。
低く零れた小さな笑い声は、その場にいたゴウトしか耳にしたものはいなかった。
作品名:その召喚師、純情につき…… 作家名:小柴小太郎