その召喚師、純情につき……
憎からず思ってはいるが、惚れた腫れたとは別物の感情だから、応える気はない。そう自分に言い聞かせながら落ちた眠りの中で、鳴海は微かな笑い声を聞いた。
下手な嘘だと、自分で自分を笑う、呆れ混じりの声だった。
「……惚れているわけか、あれに」
学生服の釦を外すライドウに、ゴウトはぼそりとそう尋ねた。
「問題でも?」
そんな切り返しかたをするライドウだが、開き直ってふてぶてしく文句があるのかと突っ張るような物言いではなく、ごく普通の、なにかまずいことがあるなら知りたいという声音だったので、ゴウトは疲れた溜息を吐く羽目になる。
ゴウトがライドウの目付け役であるように、鳴海もまた、ライドウの監視を役目とする立場の者なのだ。世間知らずの十四代目が帝都での生活の中で個人的な欲を持ち、そのために暴走したりダークサマナーに身を堕とすようなことがないよう管理するのがヤタガラスから鳴海に与えられた任だというのに、その鳴海に懸想するなど、問題以前の問題だ。厄介極まりない。
(抜けているように見せて、あれで存外子供の扱いが巧い男だからな。多少こやつが懐いたとしても不思議はないんだが、だからって惚れるか? 血迷うにもほどがあるぞ、まったく)
昔は男色も珍しくはなかったが、西洋化が進むのと比例して同性間の恋愛や情交が罪悪視される風潮が広まってきている。世間知らずといっても、それを察しないほどボケた天然素材でもあるまい。
楽な服装に着替えて学帽も脱いだライドウは、しかしながら寝ようとはせずに寝台のへりに腰をおろして、板張りの床の上にちんまりと座っているゴウトと向き合った。
ライドウの切れ長の眼は髪と同じで闇色をしているが、存外光に透けやすい。角度によっては、青みを帯びた灰色に見える眼だ。光に透けているのではなく、瞳の奥底が光っているかのように錯覚しそうになる。
「おまえ自身は問題だと思っていないようだな」
緑柱石を嵌めこんだように鮮やかに光りすぎる翠の眼で見返し、そう指摘したゴウトに、ライドウは目線で肯定を返す。
「根拠はなんだ」
「相手にされていない。これからも、されないだろう」
だから何も変わらないし、問題も起きない、と言いたいらしい。
ゴウトは本気で頭痛を感じた。
「その現状に甘んじて、指をくわえてぼんやり突っ立っているようなおまえでもあるまいに」
実際、胃袋を掴んで陥落しようとしていたくらいだ。端から諦めて、傍にいられるだけでいいなどと殊勝な素振りで逃げを打つ男ではない。
しかしながら、ライドウは自分の顎に手をやって何やら考えこむような様子を見せた。
「どうした?」
「……一応、思いついたことは全て実行してみては、いるんだが」
「が?」
「何分、僕はこういったことにも疎いものだから、何をしても見当違いのことばかりで、空振りしているようだ」
「…………ううむ」
普段のライドウの行動を振り返ってみたゴウトの喉から、重苦しい唸りが洩れた。
ライドウ本人が言うほど、彼の行動が明後日の方向を向いているわけではない。ただ、それが鳴海に対する恋情から発しているものだとは、傍目にはわかりにくいだけなのだ。
実際、ゴウトも『あんなちゃらんぽらん男にそうまで甲斐甲斐しく世話を焼いてどうする』と呆れるだけで、そこに惚れた相手の気を惹こうとする意図があるなどとは思わなかったし、気づきもしなかった。そんな己の目の節穴っぷりに忸怩たるものを感じるが、先のことを考えると暢気に反省に耽ってもいられない。
「ゴウト」
「なんだ」
「なにか、問題でも?」
「…………問題以前に、なぜあいつなんだとおまえを問い詰めたくて仕方がないぞ、俺は」
それはもう、叶うことなら胸倉を掴んで揺さぶりながらの勢いで、だ。
空振り続きでも諦める気は毛頭ない十四代目は、ゴウトの言葉に真顔で返した。
「それは、僕も知りたいところだ」
「全く以て、重症だな」
きっかけも理由もわからない恋など、珍しくもない。しかし、そういう芽吹きかた、育ちかたをした想いは根付きかたも深いぶん、実に始末が悪かった。気が遠くなるほどの長い年月を業斗童子として過ごして来たゴウトだが、さすがにこれは俺の手に負えん、と唸りたくもなる。
「……おい」
「なにか」
「相手にされまいと言いながら、それでもオトす気満々のようだが……おまえ、どういうつもりでいるんだ?」
ゴウトにしては些か曖昧な問いかけだった。そして、ライドウは明確な問いでなければ返答できないという不器用さがあった。常ならば、どういうつもりかとはどういうことだ? と訊き返してくるところで、しかしながら珍しいことに、ライドウはゴウトの言いたいことを奇跡的に汲み取れたらしい。
「なにも変わらないと思っているが」
そう返され、逆にゴウトが訊き返す羽目になる。
「どういうことだ?」
「実るにしろ散るにしろ、僕が帝都守護の任をうけているデビルサマナーであることには、なんら変わりがない。鳴海さんが上司で監視役であることもだ」
「…………」
「どうなろうと、変わりがないだろう」
この上なく静かに淡々と、第十四代目葛葉ライドウはそう言った。
色恋を甘く見るな、と喉元まで出かかったのを、ゴウトは重い溜息に変じて吐き出した。
恋を知らない若造の世迷い言だと、そんな風に片付けるのは簡単だった。だが、ライドウの端然とした佇まいにはあまりに揺らぎがなさ過ぎて、澄明で、すさまじく風通しのいいものを感じさせるのだ。
この若き悪魔召還師ならば、本懐を遂げたとしても、あるいは玉砕したとしても、その結果をそのまま受けとめた上で「さて、仕事だ」と呆気なく切り替えをしてのけそうに見えた。
「もしおまえの言うとおりに『何も変わらなかった』とすれば、だ」
「……」
「おまえほど末恐ろしい朴念仁も、そうはおらんだろうよ」
感じたことをそのまま口にしたゴウトに、ライドウは微妙に首を傾げる仕草をした。なぜそこで朴念仁という評が来るのかが、よく理解できなかったのだろう。
だが、彼は傾げた首を元に戻すと、
「なにか、問題でも?」
と、さっきと同じことを訊いてきた。
ゴウトとしては、溜息と共にうっかり魂まで吐き出してしまいそうな疲労感を覚えつつも、
「いや、問題はない」
と、律儀に返事をしてやった。
そう、問題はないのだ。
しかしながら、お目付役としては甚だまずいことは承知の上で、
(こやつの場合は、むしろ問題のひとつもあったほうがいいのかもしれんな……)
などと思ってしまい、軽く頭を振りつつしおしおと髭を垂らすゴウトなのだった。
作品名:その召喚師、純情につき…… 作家名:小柴小太郎