その召喚師、純情につき……
聞くだけ聞いた後は不自然にならない程度にもう少し付き合い、頃合いを見計らって店を出るつもりだった。しかしながら、結果は鳴海まで本当にしこたま酔っぱらう羽目になり、店を出る頃には心配した女将に車を呼びましょうかと訊かれるくらいのできあがりっぷりだ。相手の奢りだからと、少々欲張って呑みすぎた。
寝ないで待っていてくれたライドウにはだめだめな所長っぷりでどうにも申し訳ないが、出迎えてくれるのも世話を焼いてくれるのも、鳴海としては結構……いやかなり嬉しかったりした。
「…ふはは……抱きついたら硬直しちまうんだもんねえ。あー、可愛かった」
ちらりと盗み見たライドウの顔は常と変わらず皓く整っていた。体が硬直したのは多少驚いたせいだけなのかと思いきや、硬い胸板からは驚くほど速さを増した拍動が伝わってきて、やばいと焦った反面、なんともくすぐったい心地になったものだ。
しかし、荷物のように軽々と担がれて持ち運ばれたのには内心で仰天した。やろうと思えば、ライドウは鳴海をお姫さま抱きで運ぶこともできたのだろう。それだけの膂力が、あの少年にはある。
見た目はすらりと細身でも、下手な筋肉達磨より強靭で物騒な体だ。幼い頃からの過酷な修練によってそのように造り上げられた体なのだと思えば、なるほどと納得できるのだが……。
鳴海の顔から笑みが引き、苦い思いで眉間に皺が寄る。
ライドウの肉体的、精神的な強靭さはすべて悪魔召喚師としての修行の中で培われてきたものであり、齢十七にして帝都の守護の任に就けられたのも、過酷な修練の果てに手に入れた『十四代目葛葉ライドウ』の名が彼を否応もなく『一人前』として扱わしむるものだからに他ならない。
修行結構。本人がライドウの名を襲名することを目標として歩んできた道のりなのだとすれば、それを憐れむつもりは鳴海にはない。
だが、稀代の術者としての才覚を最大限に伸ばすために少年に課されてきたものが過酷なものであればあるだけ、少年がそれをすべて乗り越え己が血肉として常人からかけ離れた『強さ』を得ていればいるだけ、帝都での生活に戸惑い、不器用に口許だけで笑う寡黙さを露わにする彼の様子を見る度に、鳴海の中にある傷が痛むのだ。
なぜ、他のものを何ひとつ彼に見せず、与えずに、ひとりの人間としてではなくただ葛葉ライドウの名を持つ悪魔召喚師として、ヤタガラスの独善的な『善』の観念に添った優秀な駒のひとつとして生きる道だけを強いるのか、と。
世界の姿をひとつの小さな穴からしか見せず、俗世に触れさせずに育て上げておきながら、いきなりその俗世に放り出して帝都を守れと言うのだから、随分と虫が良すぎる。『普通』の暮らしを知らないライドウに『普通』のひとたちが暮らす世界を守らせる。それでは、ライドウの中には使命感と義務感しか生まれない。そして、使命感と義務感しか持たないからこそ、少年は躊躇うことなくその身命を任務のためだけに投げ打ち、死ぬことすら怖れることがない。
怖れることが、できない。
そんなライドウがダークサマナーに堕ちないように監視するのが、鳴海に与えられた任だ。
ライドウの性格からすれば、別に鳴海がいなくともダークサマナーに身を堕とすことはないだろうが、葛葉の里もヤタガラス機関も、十四代目となった少年の育てかたが偏った代物であるという自覚があるぶん、保険のひとつもかけなくては不安で仕方がないのだろう。
鳴海は、かつての自分の生きかたを、その思想を、誰の強制によるものでもなく己で選択し、それを正しいことなのだと信じて、自分の全てを捧げて突っ走った男だ。そして、信じてやって来たことがひと一人の力ではどうしようもないものによって歪められ、自分が何をしようとも無駄でしかないのだと思い知って打ちのめされた人間だった。
すべては自分で選び、自分で決めてしてきたことの結果だ。誰のせいにもできないしする気もない。
だが、ライドウは違う。
凄腕の悪魔召還師でありながら決してヤタガラスに背くことのない手駒として育てるべく、彼を俗世から隔離してひととの関わりかたを学ぶ機会すら与えなかった者たちのやりくちには、腹が立ってならない。
腹が立つだけでなく、多種多様な価値観のうちのひとつでしかないものを唯一絶対の『善』だとするヤタガラスに、その『善』を為すための駒のひとつとして扱われているライドウが、そのことに疑問や不満を感じていない、ということが鳴海にはもどかしく、歯痒さを感じるし、古傷が酷く痛む感覚にも苛まれるのだ。
ライドウは、ヤタガラスに属する悪魔召還師である以上、ひとりの人間として在ることすら許されない。国の守護のためだと言いながら重宝する駒として酷使し、場合によっては惜しげもなく捨て駒にして後腐れなく死に追いやる。それがヤタガラスだ。どれほど口清いことをお題目のように唱えたとしても、そのやりかたは軍と変わらない。
鳴海はヤタガラスに飼われている者のひとりだが、ヤタガラスという機関に全幅の信頼を置いて服従しているわけではない。軍という組織を盲目的に信頼して行動したが故に、己の牙も背骨もまとめてへし折られ、地べたに這い蹲って立ち上がれなくなるような挫折を経験した彼には、もうそれができないのだ。
だからこそ、助手として身柄を預かることになった少年の迷いのなさ、躊躇いのなさが眩しく、同時に危ういと感じて心配にもなってくるし、表情や態度ではいまひとつわかりにくいがそれでも懐かれていると気づけば、余計に情も移って放ってはおけなくなる。
とはいえ、懐かれたこと自体が鳴海にとっては予想外のことだ。
不思議なことに、ライドウのような『やらせれば何でも卒なくこなせる子供』は普通、鳴海のようないい加減なオトナに対して強い軽蔑と侮りを抱くものだが、どんな駄目っぷりを見せても彼の態度から鳴海に対する敬意が失われることはなかった。
一応は上司であり、ある意味後見人のような立場でもある鳴海に対して『世話になっている』という意識があるせいかとも思ったが、むしろ、世話を焼かれているのは鳴海のほうである。鳴海がライドウにしてやったことが何かあるだろうかと記憶を引っ掻き回してみても、これといって思い出せるものがない。
なんで俺みたいなのに惚れるかな、あいつは。どこがいいんだか、いっぺん訊いてみたいもんだ。
と、思考が振り出しに戻ったところで、鳴海は小さく笑った。
我ながら、どうにも情けない顔で笑っているなと感じる。
ライドウに慕われるのは、悪くないどころか、実は非常に、たまらないものがある。
こんないい子に惚れられるなんて、俺もまだまだ捨てたもんじゃねえってことかね、と嬉しい反面、どこ見て惚れたんだよしっかりしろよ、目ぇ醒ませって、と心配になるのだが、それでもやはり、暖かくてくすぐったくて酷く痛いのにつらくはない心持ちで、嬉しい、愛しいと感じるのだ。
「あー……絆されちゃってる? やばいねえ、俺……」
うん、やばいやばい。やばいって。
勘弁してくれよー。
へらりと笑ったままそうぼやき、鳴海はうーと唸ったのを最後に、本当に眠りに引きこまれて行く。
作品名:その召喚師、純情につき…… 作家名:小柴小太郎