deep blue
六国峠の麓の里に、暮六つの鐘が響く。
高杉晋助は鐘楼の上に立ち、夕陽を望んでいた。夕陽に照らされた高杉の双眼は金色にぎろりと光っている。鐘楼は柱に蔦がからまり、高い石段に苔蒸し、棟には草が生えている。
高杉はやがて徐に段を下りて、清水に米を研ぐトシの背後に行く。
「水は、美しいな…。何時みても…」
「あぁ。綺麗だろ…」ふとトシは米を研いでいた手を止めて後ろを向き高杉に向ってふわり、笑む。
「あぁ。本当に。水もだが、おめぇもな」
高杉は膝を折り、トシの顎を取り軽く唇づける。
トシの白皙の頬がぽっと紅く染まる。あわてて
「からかうんじゃねぇよ」と俯く。
「俺ァちっともからかってなんかねぇよ。本当のことを言ったまでだ」
「………。ったく。恥ずかしい奴」
そう言ってまた米を研ぐ作業に戻る。その指は細く白い。米がさらさらと指の間をすり抜けるその些細なことすら美しく見えてしまう。
しばらくその様子を見ていた高杉だがふと、思い出すように呟いた。
「…ここは、まだあるほうだが。
今日もまったく雨の降る様子がねぇ。いつ降るのか、皆目見当がつかねぇな…」
「…此処の清水も大分流れが痩せてしまったな。この頃は切羽詰まった村の人が騒いでいる。…こう暑いとあっては、なぁ。俺も何とかしてやりてェが雨を降らすのは俺の役目じゃねぇし…」ふっとトシが一息吐く。
「おめぇが心配することじゃねぇよ。俺はおめぇさえいりゃそれでいいんだ。ただ、こう日照りが続いちゃあ、てめぇの体の方が心配だ。最近、もともと細せぇのにさらに痩せてないか?」
「俺ァ大丈夫だ」言ってつと微笑んだ。その笑みが儚げで消えてしまいそうで。思わずぎゅう、と背後からトシの細い体を抱きしめる。
「村人にとっちゃあ、金や、家、田畑も必要かもしれねぇ。雨も降らなきゃ困るだろうが、俺が生きるには、トシ、おめぇさえ居ればそれで、いいんだ」
抱きしめられたトシの耳から、頬から、項から紅く染まってゆく。
「し、しんすけ…」
「おめぇさえ、いれば………」
高杉の声は切なさを帯びて空気の中に霧散して行った。
+ + +
こちらに向かって歩いてくる者が見える。だんだん近づいてくるにつれて容姿がはっきり捉えられる。めずらしい銀色の髪。片袖を脱いだ白い着物。眼はやや下がり気味で面倒くさげにとぼとぼと歩いてくる。
程なくして、鐘楼の下に立ち、鐘を見遣る。
「さっき鐘の音が聴こえたけど、この鐘なの?」
「あぁ…」訝しげにトシが声のする方へ見向いた。先ほど研いだ米を持ち、家へ入るところだ。
その姿が男の眼に入った途端、男は眼を大きく見開き、金縛りにあったかのように体を固くした。すぐに慌てて言葉を継ぐ。
「いやね、いい音だなぁと思ってサ。立派な鐘だなぁ。鐘楼へ上がってみてもいいかな」
「…構わねぇが、悪戯に鐘を打つなよ」
「わかったよ」
「その鐘は、決まった刻以外は打ってはいけないんだ」そう言って家の中へ入ろうと踝を返す。
「あ、ちょっと」
足を止められたトシはまだ何か?とばかり男を見る。
「ちょっとワリィんだけどさ、鐘を見るのもいいんだけど、ずっと歩いてきて疲れちゃったから、お茶でも一杯頂けないかなぁって…」
「…あぁ。構わねぇよ。じゃあ、この縁側で座って待ってな」
「ありがと。あ。まだ名乗ってなかった。俺は、銀時。坂田銀時ってんだ」男は嬉しそうにニッコリと笑む。
「俺は、トシだ」そう言ってくるり、踝を返し、今度こそ家の中へと入って行った。
ちらり、ふと見えた足首が白く、細い。男だと言うのに、うっかりドキドキとしてしまったのに自分自身で焦ってしまった。…あんな美しい人は女でもいねぇよな…。透き通るような白い肌に、深くて澄んだ蒼い瞳。眦が上がっていて眼元が涼しげだ。睫毛が長くて瞼を伏せるとぱさり、と音がしそうなくらい…。こんな人気のない山奥に人がいたのもびっくりだが、さらにこんな美しい人がいるとは…。まるで奇跡のようだなぁ。あ!これこそ、「あ ぼーい みーつ あ がーる」ってヤツ?いや、トシさんは男だから「ぼーい みーつ ぼーい」かぁ…。などと勝手に脳内で妄想を繰り広げている銀時はもう既に恋の一歩を踏み出してしまったのかもしれない…。
少しして、トシが麦茶と梨(ありのみ)を持って縁側で待つ銀時の元へ戻ってきた。
「トシさん、ありがとう。うわ、梨まで!腹も減ってたから助かった」にへら、と笑った。その顔がふにゃりとして面白かったのでつい、トシもつられて喉を鳴らして笑んでしまった。
銀時はかなり喉が渇いていたらしくがぶがぶと呑む。一気に喉に流し込んでからふぅ、と息を吐いた。
「トシさんは、独りで住んでるの?危なくねぇ?」
「いや、大丈夫だ。……パートナーもいるしな」
…パートナー。…その言葉を聞いて先ほどの上機嫌から一気に下降してしまった銀時だ。まだ出逢ったばかりなのに、なんでだ?おれ…。まるで失恋してしまったかのようじゃねぇか!しかも男だっつのに!いや、男は関係ねぇか。と心の中でぐるぐるしつつ会話を続ける。
「パートナーか…。トシさんみたいな綺麗な人と一緒にくらせるなんてどこのどいつだ!うらやましすぎるぞー!コンチクショー!」と投げやりになって叫んだ。
「何いってんだ、あんた…」と言いつつポッと紅く頬が染まる。恥ずかしげにちょっと俯いたときに表れた白い項がなんとも閼伽だ。
その色っぽさにやはりくらくらきてしまう銀時。ぼうっと見惚れていたら、トシの方が気まずくなったのか、不意に訊いてきた。
「おめぇは、どっから来たんだ?」
「あ、あぁ。江戸ってとこだ。そこで万事屋っていう何でも屋をしてる」
「江戸…。(しばし間)…何でも屋って変わってる職業だな。こっちへは旅行か何かか?」
「いや、ちょっと頼まれごとがあって…。人探しに来てんだ」
「人…探し…?」にわかに白い指がぴくり、と震える。
「あぁ。高杉って奴なんだが、奴の親に捜してほしいと頼まれちまってさ」
「た…かす…ぎ…」声が掠れている。
――― もしや、そのパートナーってぇのが高杉、なのか? トシの様子から直感した。
「あぁ。俺の幼馴染みてぇなもんなんだがな。眼つきが頗る悪くてわがままですげぇ俺様な態度な奴でさァ。けどアイツの恩師が急逝しちまった後、ふっつりと消えちまったんだ」
「は、早く見つかるといいな…」言いながらもやはり語尾は震えている。顔面はもともと透けるような白い肌がさらに青くなっている。
「…なぁ、トシさん。もし、奴のこと知ってたら…」
と言いかけたところで
「トシ、飯はまだかぁ?腹減った」と向こうから歩いてくる姿がある。
「しんッ…」言ってトシが立ち上がりやってくる男に抱きついた。
「一体どうしちまったんだ?トシ?」言ってぎゅっと抱きしめ、愛しそうに長い髪を撫でる。それから間もなく、高杉は不躾な視線に向ってギロリと見上げた。まるで射殺せそうなくらい凶悪な光線が眼から発されている。
「(軽く息を詰め)……。…ぎんとき」
「た、高杉ッ!やっぱ、ここにいたんだなッ!高杉!」
トシはその言葉にさらにまるで行かせまい、とするかのように力を込めて高杉に抱きつく。
高杉は喉をくつり、と鳴らしてトシにやさしく言った。
高杉晋助は鐘楼の上に立ち、夕陽を望んでいた。夕陽に照らされた高杉の双眼は金色にぎろりと光っている。鐘楼は柱に蔦がからまり、高い石段に苔蒸し、棟には草が生えている。
高杉はやがて徐に段を下りて、清水に米を研ぐトシの背後に行く。
「水は、美しいな…。何時みても…」
「あぁ。綺麗だろ…」ふとトシは米を研いでいた手を止めて後ろを向き高杉に向ってふわり、笑む。
「あぁ。本当に。水もだが、おめぇもな」
高杉は膝を折り、トシの顎を取り軽く唇づける。
トシの白皙の頬がぽっと紅く染まる。あわてて
「からかうんじゃねぇよ」と俯く。
「俺ァちっともからかってなんかねぇよ。本当のことを言ったまでだ」
「………。ったく。恥ずかしい奴」
そう言ってまた米を研ぐ作業に戻る。その指は細く白い。米がさらさらと指の間をすり抜けるその些細なことすら美しく見えてしまう。
しばらくその様子を見ていた高杉だがふと、思い出すように呟いた。
「…ここは、まだあるほうだが。
今日もまったく雨の降る様子がねぇ。いつ降るのか、皆目見当がつかねぇな…」
「…此処の清水も大分流れが痩せてしまったな。この頃は切羽詰まった村の人が騒いでいる。…こう暑いとあっては、なぁ。俺も何とかしてやりてェが雨を降らすのは俺の役目じゃねぇし…」ふっとトシが一息吐く。
「おめぇが心配することじゃねぇよ。俺はおめぇさえいりゃそれでいいんだ。ただ、こう日照りが続いちゃあ、てめぇの体の方が心配だ。最近、もともと細せぇのにさらに痩せてないか?」
「俺ァ大丈夫だ」言ってつと微笑んだ。その笑みが儚げで消えてしまいそうで。思わずぎゅう、と背後からトシの細い体を抱きしめる。
「村人にとっちゃあ、金や、家、田畑も必要かもしれねぇ。雨も降らなきゃ困るだろうが、俺が生きるには、トシ、おめぇさえ居ればそれで、いいんだ」
抱きしめられたトシの耳から、頬から、項から紅く染まってゆく。
「し、しんすけ…」
「おめぇさえ、いれば………」
高杉の声は切なさを帯びて空気の中に霧散して行った。
+ + +
こちらに向かって歩いてくる者が見える。だんだん近づいてくるにつれて容姿がはっきり捉えられる。めずらしい銀色の髪。片袖を脱いだ白い着物。眼はやや下がり気味で面倒くさげにとぼとぼと歩いてくる。
程なくして、鐘楼の下に立ち、鐘を見遣る。
「さっき鐘の音が聴こえたけど、この鐘なの?」
「あぁ…」訝しげにトシが声のする方へ見向いた。先ほど研いだ米を持ち、家へ入るところだ。
その姿が男の眼に入った途端、男は眼を大きく見開き、金縛りにあったかのように体を固くした。すぐに慌てて言葉を継ぐ。
「いやね、いい音だなぁと思ってサ。立派な鐘だなぁ。鐘楼へ上がってみてもいいかな」
「…構わねぇが、悪戯に鐘を打つなよ」
「わかったよ」
「その鐘は、決まった刻以外は打ってはいけないんだ」そう言って家の中へ入ろうと踝を返す。
「あ、ちょっと」
足を止められたトシはまだ何か?とばかり男を見る。
「ちょっとワリィんだけどさ、鐘を見るのもいいんだけど、ずっと歩いてきて疲れちゃったから、お茶でも一杯頂けないかなぁって…」
「…あぁ。構わねぇよ。じゃあ、この縁側で座って待ってな」
「ありがと。あ。まだ名乗ってなかった。俺は、銀時。坂田銀時ってんだ」男は嬉しそうにニッコリと笑む。
「俺は、トシだ」そう言ってくるり、踝を返し、今度こそ家の中へと入って行った。
ちらり、ふと見えた足首が白く、細い。男だと言うのに、うっかりドキドキとしてしまったのに自分自身で焦ってしまった。…あんな美しい人は女でもいねぇよな…。透き通るような白い肌に、深くて澄んだ蒼い瞳。眦が上がっていて眼元が涼しげだ。睫毛が長くて瞼を伏せるとぱさり、と音がしそうなくらい…。こんな人気のない山奥に人がいたのもびっくりだが、さらにこんな美しい人がいるとは…。まるで奇跡のようだなぁ。あ!これこそ、「あ ぼーい みーつ あ がーる」ってヤツ?いや、トシさんは男だから「ぼーい みーつ ぼーい」かぁ…。などと勝手に脳内で妄想を繰り広げている銀時はもう既に恋の一歩を踏み出してしまったのかもしれない…。
少しして、トシが麦茶と梨(ありのみ)を持って縁側で待つ銀時の元へ戻ってきた。
「トシさん、ありがとう。うわ、梨まで!腹も減ってたから助かった」にへら、と笑った。その顔がふにゃりとして面白かったのでつい、トシもつられて喉を鳴らして笑んでしまった。
銀時はかなり喉が渇いていたらしくがぶがぶと呑む。一気に喉に流し込んでからふぅ、と息を吐いた。
「トシさんは、独りで住んでるの?危なくねぇ?」
「いや、大丈夫だ。……パートナーもいるしな」
…パートナー。…その言葉を聞いて先ほどの上機嫌から一気に下降してしまった銀時だ。まだ出逢ったばかりなのに、なんでだ?おれ…。まるで失恋してしまったかのようじゃねぇか!しかも男だっつのに!いや、男は関係ねぇか。と心の中でぐるぐるしつつ会話を続ける。
「パートナーか…。トシさんみたいな綺麗な人と一緒にくらせるなんてどこのどいつだ!うらやましすぎるぞー!コンチクショー!」と投げやりになって叫んだ。
「何いってんだ、あんた…」と言いつつポッと紅く頬が染まる。恥ずかしげにちょっと俯いたときに表れた白い項がなんとも閼伽だ。
その色っぽさにやはりくらくらきてしまう銀時。ぼうっと見惚れていたら、トシの方が気まずくなったのか、不意に訊いてきた。
「おめぇは、どっから来たんだ?」
「あ、あぁ。江戸ってとこだ。そこで万事屋っていう何でも屋をしてる」
「江戸…。(しばし間)…何でも屋って変わってる職業だな。こっちへは旅行か何かか?」
「いや、ちょっと頼まれごとがあって…。人探しに来てんだ」
「人…探し…?」にわかに白い指がぴくり、と震える。
「あぁ。高杉って奴なんだが、奴の親に捜してほしいと頼まれちまってさ」
「た…かす…ぎ…」声が掠れている。
――― もしや、そのパートナーってぇのが高杉、なのか? トシの様子から直感した。
「あぁ。俺の幼馴染みてぇなもんなんだがな。眼つきが頗る悪くてわがままですげぇ俺様な態度な奴でさァ。けどアイツの恩師が急逝しちまった後、ふっつりと消えちまったんだ」
「は、早く見つかるといいな…」言いながらもやはり語尾は震えている。顔面はもともと透けるような白い肌がさらに青くなっている。
「…なぁ、トシさん。もし、奴のこと知ってたら…」
と言いかけたところで
「トシ、飯はまだかぁ?腹減った」と向こうから歩いてくる姿がある。
「しんッ…」言ってトシが立ち上がりやってくる男に抱きついた。
「一体どうしちまったんだ?トシ?」言ってぎゅっと抱きしめ、愛しそうに長い髪を撫でる。それから間もなく、高杉は不躾な視線に向ってギロリと見上げた。まるで射殺せそうなくらい凶悪な光線が眼から発されている。
「(軽く息を詰め)……。…ぎんとき」
「た、高杉ッ!やっぱ、ここにいたんだなッ!高杉!」
トシはその言葉にさらにまるで行かせまい、とするかのように力を込めて高杉に抱きつく。
高杉は喉をくつり、と鳴らしてトシにやさしく言った。