ルービックキューブとお兄さま
そう叫ぶスイスの手には、例のルービックキューブが握りしめられている。わかりやすい反応に、オーストリアは思わず頬を緩めた。
「少し落ち着きなさい。ちょうど休憩するところでしたからね。どうぞ」
中へ入るように促すと、オーストリアは湯の準備を始めた。その様子を見て、スイスはどこか諦めたように目を伏せ、準備室へ入り後ろ手に扉を閉め、いつものようにチョコレート色をしたソファへと腰を下ろす。
鞄を脇に置き、問題のルービックキューブをローテーブルにのせて、気を落ち着けるべくスイスは深く息を吐いた。
どこか手持ち無沙汰に周囲を見渡すと、ソファに置かれたクッションの色味が変わっていることに気づく。
先日まで明るい空色だったはずのものが、少し暗めの紅色を基調とした落ち着いた色合いになっている。
「ハンガリーの新作か? 相変わらずまめまめしいことであるな」
「秋に合わせたものにした、と言っていましたが。残念なことにまだ秋空には遠いようですね」
部屋の窓は開け放たれていたが、それでも外に比べると暑さが残る。朝夕にときおり秋らしい風を肌に感じることもあったが、昼間は圧倒的にまだ、夏日だった。
秋色クッションを掴むと自分の膝上に置き、物珍しそうにそれを弄んでいるスイスの前に、オーストリアの手で座りのよいマグカップがでん、と置かれた。
自分の分はきちんと、ソーサーが付き、季節に合わせた趣味のよいカップに注いでいる。だがスイスにはいつもこのマグで饗される。リヒテンシュタインの手製で、白い花が絵付けされた楽焼きだった。
数年前に妹から贈られて以来、スイスは後生大事に大切に使っている。やがて、幼い頃のつたない絵が恥ずかしいとリヒテンシュタインに訴えられるようになり、この音楽準備室に隠すように持ち込まれた。
スイスは妹に対してひどく愛情深い。そして、妹から尊敬と信頼の念を向けられる自分を誇りに思っていた。
さすがに軽い悪さのひとつやふたつでその信頼が揺らぐことはなかろうとオーストリアは見ているが、スイスにしてみれば、常に完璧な兄でいたいのだろう。
自分が何度も説教をするよりも、リヒテンシュタインに悪さが知れる方がなにより薬になる。オーストリアのその読みは正しかった。
「いただくのである」
スイスはマグカップへ手を伸ばし、珈琲を口に運ぶ。オーストリアは自分の分もローテーブルに置くと、スイスの正面ではなく隣に腰を下ろした。
「………!」
ぎくりと反応を示すも、スイスはそのまま黙って珈琲を啜っている。オーストリアも素知らぬ風を装って、自分のカップを持ち上げる。
やがてしばしの沈黙の後、スイスは恨めしげな視線をオーストリアへと向け、口を開いた。
「貴様、どういうつもりでこれをリヒテンシュタインへ預けたのだ」
「貴方にそれを返すためですが」
「であれば、それが没収品だとなぜリヒテンが知っているのである。おおかた貴様が嬉々として話したからであろうが」
「あの子に質問されたから、没収された品だと答えたまでのことです。没収された理由も問われましたから、完結に言っておきましたよ。授業中にも熱心に遊んでいたからだ、とね」
さも当然といった言いぐさに、スイスは手にしたマグを振り下ろすようにごん、とテーブルに置いた。丈夫なそれはびくともしないが、中身のしずくが数滴、周囲に飛び散った。
「それではまるで告げ口ではないか!」
「事実を述べたまでのことです」
「我輩からこれを取り上げただけでは足りず……!」
「私はちゃんと二回、見逃したでしょう? 三度目はないですよと予告もしたはずですが」
そのもっともな言い分に、スイスは一瞬言葉を詰まらせる。
「……それはそうだが、なにもリヒテンに言うことはなかろう! 卑怯だぞオーストリア」
「普段の貴方なら二度目でやめたはずです。没収されるような真似をしたということは、多少の説教では効果がありません。卑怯は承知の上です」
「開き直るのか」
「貴方だって本当は、自分が悪いとわかっているでしょうに。……この程度のことで、リヒテンは貴方のことを嫌いになったりしませんよ」
少しばかり口調を緩め、やわらかく諭すような物言いでオーストリアは意見を述べる。
スイスは動揺もあらわにし、視線を泳がせた。
「兄の威厳が台無しではないか」
「リヒテンもそれに興味を持っていましたよ。真面目な貴方がそんなに熱中するなんて、どれほど面白いものなんだろう、とね。食事会のときに持っておいでなさい。実は、私もちょっと触ってみたいのです」
悪戯っぽい口調でオーストリアは本音を告げる。意外な言葉にスイスは目を瞬かせ、まじまじと相手の顔を覗き込んだ。
「貴様まさか、自分が触りたいから没収したのではあるまいな?」
その問いかけに、オーストリアは呆れたような表情を見せた。
「それとこれとは話が別です。リヒテンシュタインに渡すまで、私はそれを一度たりとも動かしたりはしていません」
スイスの問いかけは即座にやり込め、オーストリアは改めて腕組みをする。
「貴方も、私の授業だからと言って気を抜きすぎないように。次は本当に授業態度の査定に響かせますよ」
固い説教口調で重々しく告げる。
だがそれは、言外に、今回の分は響かせないと伝えているようなものだった。スイスはオーストリアの心づもりをくみ取り、さすがに殊勝な態度を見せた。
「……すまなかったのである」
小声で、こっそりと囁くように、謝罪の言葉が述べられた。無表情を装ってはいるが、耳朶がほんのり赤らんでいる。
謝罪を受け取ったという証拠に。オーストリアは眼鏡を取り、視線を外そうとして顔を逸らしていたスイスに触れ、自分の方を向かせると唇を塞いだ。
二度、三度と触れるだけのキスを落とし、顔を離すと今度は瞼へ唇で触れる。スイスは抗うことなくじっと受け入れている。拳はぎゅっと握りしめられていた。
オーストリアはその拳の上へ空いた手をのせ、そっとくるみこむように包んだ。
「貴方の気が余所へ向かないように、もう少し面白い授業を心がけるようにしましょうね」
熱くなった耳朶を舌先で撫でるように舐め、オーストリアは笑いを含んだ声で囁くのだった。
作品名:ルービックキューブとお兄さま 作家名:西園寺あやの