夢現
新学期、青葉は制服に袖を通して家を出た。
来良学園は服装に関して自由だが、少し着崩すくらいでそのまま制服を着用している生徒が多い。
久しぶりに歩く通学路も、来良学園の制服であふれかえっていた。
『ねっむ・・・』
視線を下に向けたまま、大きくあくびをひとつ。
それから、今日の予定について考える。
新学期初日だから、始業式とHRだけで簡単に終わるだろう。
委員会が長引いたとしても、正午過ぎには学校を出れそうだ。
『帝人先輩を誘って昼ご飯とかどうだろう』
そんな風に考える。
途中、数人のクラスメイトが「おっす、黒沼ー」と声をかけ、青葉のことを自転車で追い抜いていく。
顔を上げ、その背中に向かって「おはよう」と返す時、青葉は彼を見つけた。
『あ・・・』
イヤホンをして、何か音楽を聴きながら、少し俯き気味に歩く。
制服をきっちり着込んだその背中と歩き方は、竜ヶ峰帝人に間違いなかった。
後ろを離れて歩く青葉には気づいていないようで、ただ黙々と歩いている。
早足になれば追いつけそうだった。
声をかけるついでに昼ご飯にも誘ってみようと決め、カバンをかけ直して歩を早める。
並んで歩く女子生徒を追い抜くと、帝人まであと5メートルもない。
少し大きな声で呼べば、イヤホン越しにでも気づいてもらえそうだ。
そう思い、帝人を呼ぼうとした時だった。
「みかどせんぱ」
「帝人!」
帝人を挟んで、青葉とは反対側―帝人の進む先から彼を呼ぶ声がする。
ひどく大きな声で、青葉が帝人を呼ぶ声をあっさりとかき消してしまう。
その声はイヤホン越しにも届いたようで、帝人はぴたりと歩みを止めた。
顔を上げ、帝人が校門の脇に立つ声の主を確認する。
動揺しているのが背中を見ただけでもわかった。
「え・・・」
小さく、ため息をつくように口からこぼれたのは「現状を理解できない」、「どうして?」というような一音。
イヤホンを外し、その場で立ち尽くす帝人をからかうように、声の主は続けた。
「なんだよ、再会できたのが嬉しくて感動してんのか?『帝人カンゲキッ☆』って感じかぁ?」
その言葉に、帝人はショルダーバッグのストラップを、ちょうど体の正面、臍のあたりで両手でギュッと握りしめた。
そして、一呼吸おいて駆け出す。
彼の一番の友人、紀田正臣の元へと。
「正臣っ」
帝人はそのまま、正臣を押し倒してしまいそうな勢いで駆け寄り抱きつく。
正臣の、着崩した制服の背中をしっかりと掴んで、「逃がさない」とでも言うように強く強く。
それには正臣も驚いたようで、目を丸くして帝人の身体を受け止めた。
「なんだよ帝人、熱烈大歓迎だなぁ。離れてる間に俺の大切さを実感したんだろ?もう愛だな、愛!ラブアンドピース☆愛は世界を救うし、俺のことも帝人のこともすべからく救ってくれるってわけだ!」
「意味わかんない」
スラスラと淀みなく話す正臣に、帝人は抱きついたまま「意味がわからない」とポツリと告げる。
正臣は正臣で一瞬ショックを受けたような顔をしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ただいま、帝人」
「・・・おかえり」
正臣は、自分よりも少し背の低い帝人の頭に手をやると、ポンと軽くたたいた。
帝人は普段よくする困ったような笑顔を、泣き笑いの形に崩した。
「みかどせんぱい」
青葉は、そんな二人を立ち尽くして見ていた。
無意識に呼んだ帝人の名前は、かすれ、届かないまま空気に溶けた。
『どうして紀田正臣がここにいるんだ』
混乱しながらも考える。
自分が高校に入る前の春、法螺田という男が黄巾賊のトップに立ち、自分の良いように動かそうとした。
その事件が解決した後、正臣は姿を消していたはずだ。
「紀田くん・・・?」
声のしたほうに顔を向けてみると、杏里が隣に立っていた。
驚いたような表情で、帝人と正臣のことを見ている。
「杏里先輩・・・」
呼んでみたが反応はなく、まるで青葉の声が聞こえていないようだ。
どうしたらいいのかわからない、といった風に見える。
そんな杏里に気づいた正臣がこちらを見て笑い、手を振った。
「杏里!」
正臣に呼ばれ、杏里が一瞬びくりと肩を揺らす。
しかしすぐに笑顔を見せ、二人の元へと一歩踏み出した。
「紀田くん!」
青葉を置いて、駆けて行こうとする杏里。
それを笑って待つ正臣と、杏里が来たことに驚いて慌てて正臣から離れようとする帝人。
そんな光景を目にした途端、言いようもない不安が青葉の胸に押し寄せた。
「杏里先輩、待って・・・!!」
青葉の傍らを通る杏里の腕を咄嗟に掴む。
しかし、かなりの力で掴んだはずの杏里の腕は、青葉の右手をするりと抜けていってしまう。
当の杏里はまるで気づかなかったようで、すぐに帝人と正臣の隣に並んだ。
「なんで・・・」
青葉は呟く。
訳がわからない。
どうして紀田正臣がここにいるんだ。
どうして杏里は青葉に気づかずに駆けて行ってしまったんだ。
どうして―――――右手にあったはずの、帝人からもらった傷跡が消えているんだ。
「どうして?」
帝人をブルースクウェアのリーダーに、と。
そう頼み、契約をしたときにボールペンで刺された右の掌。
そこには今でも、傷跡が残っていたはずだ。
あいた穴をふさぐために、皮膚が引き攣れてしまった傷跡が。
「おかえりなさい」
「ただいま」
混乱する青葉を余所に、三人は言葉を交わし、笑い合っている。
その笑い声が青葉の不安を煽る。
それをかき消すように青葉は叫んだ。
「帝人先輩!!」
帝人は今日、一度も青葉のほうを向いていない。
それが余計に青葉を不安にさせた。
『お願いだからこっちを向いて』
そう願いながら名前を呼ぶ。
長い時間一緒に過ごすうち、呼び慣れた名前を何度も。
「帝人先輩!帝人先輩!!」
けれど、いくら呼んでも帝人はこちらを振り返らない。
ちらりと見える横顔は傍らに立つ二人に対するもので、青葉には向けられない。
帝人が正臣を待っていたことを、青葉は知っている。
ブルースクウェアのリーダーを引き受けたのも、ああして三人で再び笑える場所を作るためだった。
その『三人』に、青葉は含まれていない。
「みかどせんぱいっ!」
息が上がる。
三人の声が聞こえなくなる。
視界が滲んで、帝人の姿もぼやけ見えなくなる。
それでも青葉は帝人の名前を呼び続けた。
「みかど・・・せんぱい・・・」
自分の声もかすれ、だんだんと意識が遠のいていく。
どんどんと視界が狭くなっていき、本当に何も見えなくなってしまう直前―――
僅かに帝人がこちらを振り向いたような気がした。
来良学園は服装に関して自由だが、少し着崩すくらいでそのまま制服を着用している生徒が多い。
久しぶりに歩く通学路も、来良学園の制服であふれかえっていた。
『ねっむ・・・』
視線を下に向けたまま、大きくあくびをひとつ。
それから、今日の予定について考える。
新学期初日だから、始業式とHRだけで簡単に終わるだろう。
委員会が長引いたとしても、正午過ぎには学校を出れそうだ。
『帝人先輩を誘って昼ご飯とかどうだろう』
そんな風に考える。
途中、数人のクラスメイトが「おっす、黒沼ー」と声をかけ、青葉のことを自転車で追い抜いていく。
顔を上げ、その背中に向かって「おはよう」と返す時、青葉は彼を見つけた。
『あ・・・』
イヤホンをして、何か音楽を聴きながら、少し俯き気味に歩く。
制服をきっちり着込んだその背中と歩き方は、竜ヶ峰帝人に間違いなかった。
後ろを離れて歩く青葉には気づいていないようで、ただ黙々と歩いている。
早足になれば追いつけそうだった。
声をかけるついでに昼ご飯にも誘ってみようと決め、カバンをかけ直して歩を早める。
並んで歩く女子生徒を追い抜くと、帝人まであと5メートルもない。
少し大きな声で呼べば、イヤホン越しにでも気づいてもらえそうだ。
そう思い、帝人を呼ぼうとした時だった。
「みかどせんぱ」
「帝人!」
帝人を挟んで、青葉とは反対側―帝人の進む先から彼を呼ぶ声がする。
ひどく大きな声で、青葉が帝人を呼ぶ声をあっさりとかき消してしまう。
その声はイヤホン越しにも届いたようで、帝人はぴたりと歩みを止めた。
顔を上げ、帝人が校門の脇に立つ声の主を確認する。
動揺しているのが背中を見ただけでもわかった。
「え・・・」
小さく、ため息をつくように口からこぼれたのは「現状を理解できない」、「どうして?」というような一音。
イヤホンを外し、その場で立ち尽くす帝人をからかうように、声の主は続けた。
「なんだよ、再会できたのが嬉しくて感動してんのか?『帝人カンゲキッ☆』って感じかぁ?」
その言葉に、帝人はショルダーバッグのストラップを、ちょうど体の正面、臍のあたりで両手でギュッと握りしめた。
そして、一呼吸おいて駆け出す。
彼の一番の友人、紀田正臣の元へと。
「正臣っ」
帝人はそのまま、正臣を押し倒してしまいそうな勢いで駆け寄り抱きつく。
正臣の、着崩した制服の背中をしっかりと掴んで、「逃がさない」とでも言うように強く強く。
それには正臣も驚いたようで、目を丸くして帝人の身体を受け止めた。
「なんだよ帝人、熱烈大歓迎だなぁ。離れてる間に俺の大切さを実感したんだろ?もう愛だな、愛!ラブアンドピース☆愛は世界を救うし、俺のことも帝人のこともすべからく救ってくれるってわけだ!」
「意味わかんない」
スラスラと淀みなく話す正臣に、帝人は抱きついたまま「意味がわからない」とポツリと告げる。
正臣は正臣で一瞬ショックを受けたような顔をしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ただいま、帝人」
「・・・おかえり」
正臣は、自分よりも少し背の低い帝人の頭に手をやると、ポンと軽くたたいた。
帝人は普段よくする困ったような笑顔を、泣き笑いの形に崩した。
「みかどせんぱい」
青葉は、そんな二人を立ち尽くして見ていた。
無意識に呼んだ帝人の名前は、かすれ、届かないまま空気に溶けた。
『どうして紀田正臣がここにいるんだ』
混乱しながらも考える。
自分が高校に入る前の春、法螺田という男が黄巾賊のトップに立ち、自分の良いように動かそうとした。
その事件が解決した後、正臣は姿を消していたはずだ。
「紀田くん・・・?」
声のしたほうに顔を向けてみると、杏里が隣に立っていた。
驚いたような表情で、帝人と正臣のことを見ている。
「杏里先輩・・・」
呼んでみたが反応はなく、まるで青葉の声が聞こえていないようだ。
どうしたらいいのかわからない、といった風に見える。
そんな杏里に気づいた正臣がこちらを見て笑い、手を振った。
「杏里!」
正臣に呼ばれ、杏里が一瞬びくりと肩を揺らす。
しかしすぐに笑顔を見せ、二人の元へと一歩踏み出した。
「紀田くん!」
青葉を置いて、駆けて行こうとする杏里。
それを笑って待つ正臣と、杏里が来たことに驚いて慌てて正臣から離れようとする帝人。
そんな光景を目にした途端、言いようもない不安が青葉の胸に押し寄せた。
「杏里先輩、待って・・・!!」
青葉の傍らを通る杏里の腕を咄嗟に掴む。
しかし、かなりの力で掴んだはずの杏里の腕は、青葉の右手をするりと抜けていってしまう。
当の杏里はまるで気づかなかったようで、すぐに帝人と正臣の隣に並んだ。
「なんで・・・」
青葉は呟く。
訳がわからない。
どうして紀田正臣がここにいるんだ。
どうして杏里は青葉に気づかずに駆けて行ってしまったんだ。
どうして―――――右手にあったはずの、帝人からもらった傷跡が消えているんだ。
「どうして?」
帝人をブルースクウェアのリーダーに、と。
そう頼み、契約をしたときにボールペンで刺された右の掌。
そこには今でも、傷跡が残っていたはずだ。
あいた穴をふさぐために、皮膚が引き攣れてしまった傷跡が。
「おかえりなさい」
「ただいま」
混乱する青葉を余所に、三人は言葉を交わし、笑い合っている。
その笑い声が青葉の不安を煽る。
それをかき消すように青葉は叫んだ。
「帝人先輩!!」
帝人は今日、一度も青葉のほうを向いていない。
それが余計に青葉を不安にさせた。
『お願いだからこっちを向いて』
そう願いながら名前を呼ぶ。
長い時間一緒に過ごすうち、呼び慣れた名前を何度も。
「帝人先輩!帝人先輩!!」
けれど、いくら呼んでも帝人はこちらを振り返らない。
ちらりと見える横顔は傍らに立つ二人に対するもので、青葉には向けられない。
帝人が正臣を待っていたことを、青葉は知っている。
ブルースクウェアのリーダーを引き受けたのも、ああして三人で再び笑える場所を作るためだった。
その『三人』に、青葉は含まれていない。
「みかどせんぱいっ!」
息が上がる。
三人の声が聞こえなくなる。
視界が滲んで、帝人の姿もぼやけ見えなくなる。
それでも青葉は帝人の名前を呼び続けた。
「みかど・・・せんぱい・・・」
自分の声もかすれ、だんだんと意識が遠のいていく。
どんどんと視界が狭くなっていき、本当に何も見えなくなってしまう直前―――
僅かに帝人がこちらを振り向いたような気がした。