トランバンの騎士
子ども達が寝ている時間帯のため、声をひそめて笑いあい――不意にヒックスは笑顔を隠した。
「それで、だ。ここからが本題なんだがよ」
「はい?」
雰囲気の変わったヒックスに、佳乃は瞬く。その横で、ネノフも笑顔を引っ込めた。
「この村で、俺たちを雇わねぇか?」
「え?」
ヒックスはいったい何の話をしているのだろう。そう首を傾げる佳乃に、ヒックスは再び笑顔を『貼り付けた』。
「さっきの集会、偶然聞いちまったんだよ。なんでも、あの悪徳領主相手に喧嘩ふっかけるつもりみたいじゃねーか。だったら、俺たちがお役に立てるんじゃねーかな、と」
ヒックスの突然の申し出と、笑顔を隠したネノフに、佳乃はようやく理解した。
ヒックスが今夜礼拝堂に来たのは『偶然』でもなんでもない。
おそらくは最初から、もしくはさらに先、佳乃すら知らない集会のために村人を召集する段階から、どこかで盗み聞いていたのだろう。
「……この村にそんなお金はありません」
やんわりと拒絶する佳乃に、ヒックスは笑顔のまま食いつく。
「金なんていらねーよ。俺はあのイグラシオ団長が結構気に入っていてな。ボルガノが居なくなれば、団長も少しは楽になるだろ。俺にとっては、それが何よりの報酬……」
「イパさんに入れ知恵したの、ヒックスさんでしょ?」
入れ知恵をされたのは、おそらくはイパだけではない。
村人は普段は畑仕事に忙しく、それらを放り出してまで村の外の情報を仕入れに行くことなどない。それにも関わらず、イパの他にも何人か別の村で蜂起をした人間がいたと言っていた。そして、彼らは誰一人として『蜂起』の結果を聞いてはいなかった。
つまり、ヒックスは意識的に村人が食いつく『美味しいところ』だけを話して聞かせた。
それに煽られた村人が人を集め、今夜の集会を開かせたのだろう。
集会が解散した後ヒックスがひょっこりと姿を見せたのは、佳乃やネノフに顔を見せに来たのではない。村の意見が蜂起へと向かえば、タイミングよく登場し、自分達を売り込むつもりだったのだ。
「盗み聞きをしていたなら、説明しなくてもいいですよね?」
何故、蜂起には反対なのか。
それを最初から聞いていた人間に、もう一度話して聞かせるつもりはなかった。
「時期と戦力、あとは新しい領主が用意できないって話だろ?」
村人に入れ知恵をしただろう? という問いに無言で肯定され、佳乃はすっと目を細めてヒックスを見つめる。
その視線を受け――笑顔を貼り付けていたヒックスは、本心から笑った。目の前の娘は、一見どこかぼんやりとしていて一人で生きていけるようには見えない。生活能力が著しく欠けており、体が資本の農民には向いていなかった。が、その実他人の話を聞く耳を持ち、そこに隠された第三者の意図を拾い取る能力まで備えた佳乃ならば、頭を使う仕事――学者や軍師など――でその能力を活かせるだろう。例えば、新しい領主の秘書等ぴったりなのではないか、と。
「それだったら、問題は解決だ」
「え?」
上機嫌でそう答えるヒックスに、佳乃は毒気を抜かれて瞬く。
「言っただろ? 今じゃちょっとした傭兵団だって。俺の部下を割けば他の村との連携が取れるし、もちろん剣の扱い方を教えることだってできる」
他の村との連絡を取り合ううちに剣を習い、収穫期を迎えれば、時期と戦力という問題は片付く。
そう自信ありげに笑うヒックスに、佳乃は眉をひそめた。
時期と戦力が解決しても、一番大切なものがまだ解決してはいない。
「……新しい領主は?」
まさか、自分がなる気はないだろう、と佳乃はヒックスを見つめる。
自由を愛して騎士をやめた男が、自分から領主などという狭い枠に嵌りたがるとは思えなかった。
「俺に心当たりがある」
「心当たり?」
にやりと笑い、ヒックスは視線をネノフに移す。
訳知り顔のヒックスに、ネノフの顔から血の気が引いた。
「……まさか」
「? シスター、誰か知っているんですか?」
首を傾げる佳乃と、にやにやと笑うヒックスにネノフは唇を引き結ぶ。
ネノフに口を閉ざされてしまっては、佳乃には何を隠されているのかを知ることができない。が、ヒックスはネノフの頑なな態度に『噂』が『事実』であると核心した。
「団長の生まれにまつわる噂を聞いたことがあるか?」
「イグラシオさんの?」
口を閉ざしたネノフから、佳乃は視線をヒックスに戻す。
イパにした意図的な情報操作から、あまり信じてはいけない人間だとヒックスの認識を改めたばかりであったが、イグラシオが絡んでいるらしい話につい食いついてしまった。
「根の葉もない噂です」
きっぱりと言い捨てるネノフに、佳乃はますます首を傾げる。
ネノフが否定し、ヒックスが喜ぶ噂など、佳乃には想像することもできなかった。
「根の葉もない噂、ね。だったら、なんで前領主自ら団長の養子縁組を世話したんだ? 前領主はそりゃー確かにボルガノに比べれば善人だったが、だからといって、領内の孤児全ての養子縁組を世話していたわけじゃないだろ」
肩を竦めて笑うヒックスに、ネノフは再び口を閉ざす。
佳乃には前領主のことも、イグラシオのことも良くはわからないが、つまりヒックスとネノフの会話から察するに――
「それって、イグラシオさんは前領主と何か関係があるってこと?」
佳乃の口から洩れた疑問に、ヒックスはわが意を得たり! とばかりに会心の笑顔を浮かべる。
「隠し子だって噂は、前からあった」
「噂は噂です!」
キッとネノフに睨まれて、佳乃はびくりと肩を震わせる。
すぐにそれに気が付いたネノフが、小さく佳乃に詫びて目を逸らした。
にやにやと笑うヒックスと、頑ななまでに噂を否定するネノフの間に挟まれて佳乃は眉をひそめる。
ヒックスの持って来た噂と、ネノフの否定。
一番大切なのは――
「……その噂、イグラシオさんは知っているんですか?」
「シスターと同じだ。
噂は噂だって、否定してたがね……でも、団長の髪の色は――」
「イグラシオさんが否定するなら、そうなんです」
ヒックスの言葉を遮り、佳乃は答えを決める。
佳乃にとって一番大切なのは、本人のあずかり知らぬ場で駒としての使い道を決められようとしているイグラシオの意志だ。
「イグラシオさんが違うというなら、たとえ領主を討ったとしても、イグラシオさんは領主にはならないでしょう。だとしたら、この話はやっぱり無効です」
「だがな、まったく――」
「ヒックスさん」
なおも言い募ろうとするヒックスを遮り、佳乃はヒックスの目を見据える。
「もう村の人を惑わすのは止めてください。今はまだ、待つ時です」
静かに自分を見据える佳乃に、ヒックスは言葉を飲み込んだ。
懐に抱き込んでしまえばイグラシオを領主に据える際役に立つ――そう見込んで迎えに来た佳乃からの拒絶に、ヒックスは苛立たしげに髪を掻き毟った。
明かりの消えた孤児院を見上げ、ヒックスは一人ため息をはく。
「あてが外れたかね……」
佳乃を上手く使えば、イグラシオに決意をさせることも容易になると思っていたのだが。
ヘタをすると、イグラシオを説得する以上に佳乃の方が手強い。