トランバンの騎士
「……みなも、佳乃の意見に賛成でよいな?」
領主の圧政には不満があり、頷くことは躊躇われたが、だからと言って異を唱える村人も居なかった。
口を噤む村人たちの反応を『無言の肯定』と受け取り、村長は口を開く。
「……では、今夜の集会は――」
「村長!」
集会を解散させようとする村長に、イパは慌てて顔を上げた。
佳乃の言葉にはつい納得してしまうが、素直に納得はしたくない。
なおも何事か言い募ろうと口を開いたイパを、村長は静かに――だが力強く――遮った。
「イパよ、村の決定は『今はまだ時期ではない』と待つことじゃ」
「戦力がないっていうなら、俺たちが先駆けになればいい! 他の村にだって、領主に不満を持っているやつらはいるんだ。そいつらが、きっと後に続いて……」
「他所の村の者が後に続くころには、おまえはこの世に居らんだろうな。領主の護衛隊……その団長を務める男は、冷酷な男と聞く。蜂起を起した民など、生かしてはおかんだろうよ」
村長の口から出たイグラシオの噂に、佳乃は瞬く。
盗賊から救われた時も、イグラシオはその盗賊を殺してはいなかった。捕縛した後にトランバンへと連行して……その後を、佳乃は知らない。捕らえた盗賊を、どうしたのか等の話は、一度もイグラシオから聞いたことがなかった。というよりも、普通に考えれば被害者に加害者をどうしたか、等とは捕縛したという以上の話しはしないだろう。そう思う。それが普通だと――思いたかった。
が、事実イグラシオの評判は悪い。
村長がイグラシオという『人間』を知らないからか、佳乃が『騎士』としてのイグラシオを知らないからか、にはそれほどの差はない。
そう初めて気が付いて、佳乃は目を伏せる。
自分は、イグラシオについて何も知らない。
無自覚のまま沈む始めた佳乃の思考に、イパと村長のやり取りが続いた。
「構うもんか!」
志半ばに倒れようとも、構わない。
それで少しでも妻と生まれてくる子どもの暮らしが楽になるのならば。
再び勢いを取り戻したイパに、村長は淡々と答える。
「では、おまえが先走ったせいで領主が報復に来た時、おまえの身重の妻を最初に差し出してやろう。いや、報復に来る頃には母と子の2人になっているやもしれんな」
村長の言葉に、イパが息を呑む音が静かな礼拝堂に響く。
妻と生まれてくる子どもを、憎い領主ではなく尊敬する村長に人質に取られ、イパはその場に座り込んだ。
妻と子どもを守るためには、これ以上何もいえない、と。
呆然と村長を見つめたまま長椅子に座ったイパに、ネノフは口を開く。
「……イパ。みんなを纏める役割というのは、時には誰かに恨まれる役を買って出なくてはいけないこともあるの」
だからこそ、領主の代わりは見つけ難い。
ネノフの言葉に俯いたイパを見て、村長は椅子から立ち上がる。
そして、改めて口を開いた。
「……これにて解散」
集会の解散を宣言した村長が礼拝堂を最初に出て行き、ネノフはそれを見送るために続く。
村長が場を離れたことで本当の意味での解散になり、村人たちは次々に礼拝堂を出て行った。
カップを重ねて運んでききた盆に載せ、佳乃は首を廻らせる。
ネノフと二手に分けてお茶を持って来たため、盆はもう1つあったはずだ。
ネノフの座っていた場所を見つめ、神像の脇に盆が立てかけてあるのを見つけると、佳乃は燭台の火を吹き消しながら神像の前へと歩き始め――あと数歩で盆に手が届くという距離で、佳乃は足を止めた。
気のせいであって欲しいが、神像の影から気配を感じる。
「……誰?」
村人は全員礼拝堂を出て行ったはずだ。
ネノフが礼拝堂に戻ってくるのならば、今夜に限っては普段使っている裏口ではなく、正面のドアからのはず。
佳乃の誰何に、気配は僅かに身じろぐ。
佳乃は半歩後ずさると、神像の影を睨みつけ――中から現れた人影に瞬いた。
「……ヒックス、さん?」
神像近くの燭台に照らされた騎士の顔に、佳乃は瞬く。
影の中から現れたのは、『出奔した』と聞いていた騎士ヒックスだった。
「久しぶり、でいいのかね。お嬢ちゃん」
「え?」
瞬く佳乃に苦笑しながら、ヒックスは軽く片目を閉じる。
いっそ軽薄とも思えるヒックスの気軽な挨拶に、佳乃はゆっくりとその言葉を理解した。
たしかに、色々あって忘れていたような気もするが、ヒックスの顔を見るのは『久しぶり』だ。
「あ、はい。お久しぶりです」
馬鹿正直にもぺこりと小さく頭を下げ、すぐに佳乃は首を傾げる。
「え? なんで、ここに……?」
エンドリューからは騎士を辞めたと聞いていたが、どこへ行ったかは聞いていない。
いつものように陽気に笑うヒックスの顔に、佳乃は『ゲームでは』どこに居たかと記憶を探るが、なかなか思い出せなかった。が、間違いなく彼は『閃光騎士団にはいなかった』はずだ。
「ちょっと野暮用……っていうか、久しぶりにお嬢ちゃんの顔を見に」
早速ヒックス口から洩れる軽口に、佳乃は思考を中断して応じる。
「色っぽい女神様に逢いに、の間違いでは?」
「まあ、それもあるけどな」
そう答えてヒックスは木製の女神像を見上げた。
そのどこか晴々としたヒックスの顔つきを、佳乃は目を細めて見つめる。
どうやら以前彼の心を占めていた悩みは、解消されたらしい。
そう羨ましくもあった。
「今、お茶を淹れますから、ゆっくりしていってください」
「おうよ。悪いな」
「いいえ」
物陰から現れたヒックスにはびっくりさせられたが、相手がヒックスであれば、佳乃が警戒をする必要はない。
佳乃はヒックスをお茶に誘うと、カップの載った盆を持ち上げて裏口の扉を開いた。
村人の見送りから戻ってきたネノフは、最初は突然のヒックスの訪問に驚いたが、すぐに唇を綻ばせて喜んだ。
どうやらネノフも、ヒックスに悩みがあることは知っていたらしい。晴々としたヒックスの表情に、それが解決したのだと悟って我が事のように祝福した。
食堂で佳乃の淹れたハーブティーを向かい合って飲みつつ、ヒックスはネノフと佳乃に近況を話す。
「……傭兵って、お金をもらって働く兵隊さん、ですよね?」
ヒックスの話す『近況』に、佳乃は眉をひそめ、わずかに呆れた。
騎士を辞めても、また似たような職を選んだのか、と。
微妙な表情を浮かべた佳乃に気が付き、ヒックスは苦笑を浮かべた。
「まあ、なんだ。騎士は俺にはちぃーとばかり窮屈だったんでな。今ではいくらか人数がまとまった、ちょっとした傭兵団になってる」
小さく肩を竦めたヒックスに、佳乃は瞬きながらも想像した。
凛と背筋を伸ばした騎士の指揮をとるヒックスと、少しばかり粗雑そうな戦士の指揮をとるヒックスを。
騎士団の鎧を着ていた時でさえ、拭い去れない軽薄な雰囲気を持っていたヒックスに似合うのは、やはりどう考えても――
「それは……なんか、お似合いなような?」
失礼ながら、騎士ではなく傭兵を引き連れたヒックスの方がしっくりくる。そう考えて佳乃は笑う。
「だろ? 俺も性に合ってると思ってんだ」