トランバンの騎士
「イオタ、朝イータたちとごはん食べたのに」
「のに」
片割れの語尾に続くようにもう一人が口を開く。
『イータ』というのは、主張のしっかりとした片割れの名前だろう。となると、もう一人の名前は『テータ』だろうか。先ほど、老女が呼んでいた名前のうち、『イータ』に続いて呼ばれた名前だ。もしかしたら『ズィータ』かもしれないが、佳乃にはそれを判断することができない。自分を『イータ』と呼ぶ少女ほど、もう一人の主張は強くない。
むっと眉を寄せて少年を睨む双子に、佳乃は温野菜スープの盛られた器を押し出した。
「あの、よかったら、これ……」
「いいの!?」
スープを押し出す佳乃に、イータは顔を輝かせる。
佳乃にとっては見慣れない野菜が浮かんだ口に入れるだけでも勇気のいるスープではあったが、彼らにとっては普通の食事らしい。というよりも、この喜びようを見る限り、もしかしなくてもこの『質素』な食事は彼らにとっては『ご馳走』の部類に入るのではないだろうか。
佳乃からスープを受けとるイータの背中に隠れながら、片割れの少女は佳乃を見上げた。
「……おなかすくと、かなしいよ?」
「ん、いいの。わたし、お腹すいてないから」
正直なところ、佳乃は昨日の昼食以降、食事らしい食事をとってはいない。当然、まったくお腹がすいていないという事はないはずなのだが、いまひとつ食欲がわかない。
自分の置かれている状況を考えると、食事を取るよりも……一刻も早く、家に帰りたかった。
佳乃の言葉に少女は黒髪を揺らして首を傾げる。
結局、佳乃の食事を取り上げる形になってしまった年少3人を、ビータはテーブルの下へと追いやった。それを見て佳乃が首を傾げると、ビータは苦笑しながら答える。年少組だけが余分に食事を食べているのが見つかれば、年長の男の子も黙っては居ない、と。
「こーら、イータ、テータ、イオタ。お客様のお食事の邪魔をしてはいけませんよ?」
何か仕事をしていたのか、老女が前掛けで手を拭きながら食堂へと入ってくる。すぐにテーブルの下に隠れた子どもを見つけると、渋面を浮かべた。佳乃たちのやり取りを見ていなくとも、何が行われたのかはわかるらしい。
「わたしが食べてもらったんです。
その、まだ食欲がなくて……」
口に運ぶのに勇気のいる野菜と、物欲しそうな少年少女の視線に負け、食事をわけると決めたのは佳乃だ。それに対し、彼らが怒られるのは間違っている。
佳乃が事の次第を曖昧に伝えると、老女と年長の少女は不思議そうに顔を見合わせた。
「食欲が無いって……」
おかしなことを言う人間だ。
そう顔を合わせる二人に、佳乃は眉をひそめる。
「……? あの、わたし、何か変なこと――」
「ごちそうさま!」
奇妙な雰囲気を拭い去るように、テーブルの下から顔を出したイータがスープの入っていた器をテーブルの上に置く。続いて顔を出したテータ――ネノフが改めて『テータ』と呼んでいたので、こっちも確定だ――がパンケーキの乗っていた皿を隣に置いた。
「さま!」
双子に続いてテーブルの下から顔を出したイオタが、佳乃の手をとり、小さく引っ張る。
「?」
「いこって」
くいくいっと引っ張るイオタの行動を代弁し、テータも急かすように佳乃の手を取る。
幼児二人に手を引かれ、佳乃はなす術も無く椅子から腰を上げる羽目になった。
手を引かれるままに佳乃が足を運ぶと、背後からネノフの子ども達を呼び止める声が聞こえる。
佳乃の手を引く二人はそれを無視し、手ぶらなイータはというと……両手で耳をふさぎ、「聞こえなーい」と楽しそうに笑っていた。
テータとイオタに手を引かれ、佳乃は建物の外へと足を踏み出す。
すでに高い位置にある太陽に、一瞬だけ目がくらみ、佳乃は子ども達の手を離した。手で瞼の上に日陰を作り、ゆっくりと瞬く。そうこうしている間に、目が太陽の光になれてきた。
佳乃は建物の影に立つと、辺りを見渡す。
佳乃から手を離された子ども達は、佳乃に関心を寄せることなく、すでに各自で思いおもいの遊びを始めていた。
昨夜の森同様、むき出しの土の上を転げまわる双子の少女を尻目に、佳乃はぐるりと視線を廻らせる。『ネノフの家』と呼ばれている施設は、やはり3棟からなる施設らしい。昨夜見た月明かりに照らされたシルエットどおり、佳乃が居た建物、一回り大きな建物、他と比べると小さな建物がある。何のために3つもの建物があるのかは判らなかったが、とりあえず今の佳乃には関係がない。深く考えることはせず、さらに辺りを観察した。
建物の裏手に畑がある。家庭菜園と呼ぶには少々、否、かなり広い。まだ収穫の時期ではないのか、実がなっているようには見えないが、青々と蔓や葉を伸ばしているのが遠目にも見て取れる。米か麦かは判らないが、おそらく穀物であろう物も見えた。さらに奥には柵があり、そこまでがこの施設の敷地なのだろう。視線を建物の裏手から表へと移動させながら、柵の範囲を確認した。すっぽりと3つの建物と畑を囲み、前庭までも含める柵に囲まれたこの施設は、もしかしなくとも日本人である佳乃の常識から見ればかなりの土地を持っていることになる。
が、柵の外。少し丘になっているらしい施設より下の大地へと目を向けると、広大と言って良い畑と、点在する家々が見えた。それらと比べれば、この施設のもつ土地など僅かなものだ。所謂農村だと結論づけて、佳乃は目を細める。
間違っても、アスファルトに舗装された地面がほとんどを占める佳乃の住んでいた町は、『農村』などとは呼べない。
遠目に見える農夫の服装に、佳乃はため息を漏らす。
(……日本じゃないみたい)
点在する家々を見て、佳乃は小さく頭を振った。
どう見ても、見慣れた日本家屋には見えない。
(でも、まさか……そんなはずは、ない)
目の前で無邪気に遊ぶ子どもの服装と、農夫の服装は、佳乃の着ているものとは少々赴きが違う。昨夜の盗賊を見た時にも思ったように、例えるのならばファンタジー世界の服装だ。簡素な作りの服に、飾り気は少ない。
(トンネルを抜けたら、そこは別世界だったって……なんの小説だっけ?)
トンネルを抜けた覚えはないが。
建物、風景、人々の服装……目で見て取れる情報から、佳乃は一つの結論に達する。
ただし、ばかげている。信じられない……と、結論よりも先に頭が否定せずにはいられなかったが。
(……ここは)
日本ではない。
少なくとも、佳乃の住んでいた町ではない。
青々とした下草の生える地面と、そこに落ちる雲の影を見つめ、佳乃は昨夜から何度目かになるため息をもらす。
(神隠しとかにあったら、こんな感じなのかな……)
雲の影を見下ろしながら、佳乃は漠然と考えた。
昔、テレビの怪奇番組で『神隠し』と特集していたのを覚えている。
曰く、いつの間にか消えた子どもが、何十年も後に消えた時と変わらぬ姿で帰ってきたとか、なんとか。