アヤカシ
白基調の大きな四角い建物。
長針が2を指すと同時に電子音の鐘がなる。
「おいナナシ、早く食堂行こうぜ!」
唐揚げ定食売り切れちまう!と財布片手に言う学友に、ナナシと呼ばれた少年は両手を顔の前でパンッと合わせた。
「すまん!俺パスやわ…。」
「えー、お前またかよ…。」
「堪忍な。俺今金あらへんねん。」
「ちぇー、今日こそは定食食えると思ったんだけどなぁ。最近付き合い悪いぞナナシ。」
「ごめんて。次のバイト代入ったらちゃんと奢ったるから、な?」
口を尖らせ不満を洩らす学友を見送り、ナナシは鞄を掴み一人で教室を出る。
廊下ですれ違う同学年の生徒の中に、明らかに人ではないモノの姿を見付け、ナナシは歩みを速めた。
階段を上り、鉄製のドアを開ける。
『お勤めごくろーさん!』
扉の先で待っていたのは少年だった。
『あーあ、人間ってのは大変だなぁ。ワケ分かんねぇ事勉強しなきゃいけないなんてさ。』
歴史の教科書で見る百姓の様な服を着た少年が、落下防止のフェンスから後者を眺める。
「そら、自由気ままに生きてるギンタからすればそうやろな…。」
『自由じゃねーよ。』
「そら俺の護衛の事やろ?ギンタの自業自得やんか。」
『……はぁ。』
「それよか、話し聞かせてやー。」
『また俺達―妖怪―の話か?』
「そ!この前はギンタの武勇伝やったやん?エエ加減他の妖怪の事聞きたいわぁ。」
『聞いてもあんま面白くないと思うだけどなぁ。』
そう言いつつも、ナナシの好奇心旺盛な視線に負け、ギンタは話し始めるのだ。
ポツポツと、ギンタ達妖怪の事を、世界の理の一片を。
一日の授業が全て終り、空がオレンジ色に染まる。
ここ数日でお決まりになったセリフを学友に吐き、ナナシは今日も一人で帰路に着く。
「あー、遊びたい…。」
ナナシは金が無いわけでも、バイトが忙しいわけでもない。
それなのに学友の誘いを断り続けるのには理由があった。
『行けば良いんじゃね?俺は別に止めないよ。』
「………護衛初日に<俺は学校と家と、その間しか護衛しない。遊びに行きたいなら死ぬの覚悟で行け>言うたんはドコのドナタでしたっけー?」
『はは、オレだ!』
そう、ナナシは今、命の危険に脅かされているのだ。
原因は彼の体内にある宝玉。
事故で呑みこんでしまったその異物が、妖怪にとってはのどから手が出る程、心臓と交換しても良いと一瞬でも思ってしまう程に魅力的な物。
妖怪同士で壮絶な殺し合いが繰り広げられる程の物を、ただの人間であるナナシが保有しているのだ、妖怪達から狙われないわけがない。
そして彼が宝玉を呑みこんでしまった原因であるのが、このギンタだった。
「…ホントに、無事宝玉を取り出せるんか?」
『言ったろ。準備が整い次第ナナシから宝玉を取り出すって。』
「準備って何なん?何時頃できるん?俺はその後、普通に生活出来るんか?」
『人間ってのは疑り深いなぁ…全部最初に説明したじゃん。』
それでも此方をジッと見て来るナナシに、ギンタは仕方ないなーと口を開く。
『必要なのは相応の“場所”と呪具。ふさわしい場所はもう目星がついてるし、呪具は今知り合いの妖怪に作ってもらってる。時期は…準備が全部整った後の新月の夜だ。』
そして最後の疑問は…。
『最後は、こればっかりはオレも分かんねぇ。なんせダーレも経験ないんだもん。』
そしていつも、最後に必ず付け足すのだ。
『でも、オレも知り合いの妖怪も、お前の身体が、魂が、無傷で済む方法を探してる。』
「………うん。」
少年は心の揺れが激しい。
それは彼本来の気性では無いのだろう、恐らくは宝玉を呑みこんでしまったことによる霊力の増大と、人間としての質の変化が原因だとギンタは思っている。
『納得したなら早く家に戻ってくれよ。日中と違って夜は…。』
「わかってる。夜は妖怪の時間、やろ?」
ナナシの視界にも夜を心待ちにしている妖怪の姿が見える。
『今晩はギンタン。』
『お、久し振りー。』
ナナシの家の屋根の上、一人で月見と洒落込んでいたギンタの前に、一つの風が現れた。
『最近ギンタがお役目を果たせてないって、結構な噂になってるわよ。』
『だよなー…。』
『アタシ達妖怪は役目に生まれ、役目の為に存在してる。このままだとギンタン、消えちゃうわよ?』
『分かってるけどさ。』
『さっきも、サルがうるさくてうるさくて…。』
『ジャックのトコまで噂が?!』
『心配性でお喋りな狐さんがね。あの子はもうちょっと気を配るべきよね~。』
『ロランか…。』
ロランは人間で言う“良いヤツ”なのだが…彼は何処か抜けていた。
恐らくギンタが心配なのは本当なのだろう、心配し過ぎてどうしようと悩み、他の妖怪に口を滑らせたのであろう事が容易に想像できる。
『スノウも皆、ギンタンの事が心配なのよ。』
『うん…ありがとう。』
『いえいえ。アタシは偶然見付けた馴染のある妖気に興味を擽られただけよ。』
ニコリと笑うドロシーに、ギンタもニッと笑い返した。
『久し振りに妖怪と話したよ。』
『ま、件の人間を守る為に人間ごと気配を晦ましてりゃねぇ。』
ぬらりひょんであるギンタが本気で気配を消せば、いかに鼻の効く妖怪でも見付けられない。
『でも、そろそろ限界だな。』
ナナシの護衛の為にここ数日役目を果たせていないギンタ。
役目とは妖怪の存在理由、寧ろ存在そのものとも言っても過言ではない。
役目を果たさない妖怪は存在する意味が無い。
妖怪にとって、存在の意味こそが世に存在する為の核なのだ。
『…ギンタン。人間のために役目を疎かにする必要なんかないんだからね?』
『ああ、大丈夫だよ。ドロシーは心配性だなぁ。』
『今すぐ見捨てろとは言わないケド、いざとなったら……。』
月光に照らされて、ドロシーの顔に影が差し…そんな中で眼だけがほんのりと光りを纏っている。
『…ドロシー、妖気が漏れてるぞー。』
『あら、失礼。』
一つ咳払いをし、ドロシーは洩れ出ていた妖気を抑えた。
『……それじゃあ、アタシはこの辺で。また、会いましょう。』
ヒュン、風の吹く音に紛れ桃髪の妖怪の姿が掻き消える。
あと数分で火が昇り始めるだろう…そうしたら、妖怪達の気配も少しは収まる筈だ。
ギンタは夜の間中放っていた妖気を収め、漸く肩の力を抜いた。
「なあ、最近妖怪から逃げることが多なってない?」
そう言われた時、ギンタは流石に気付くよなぁと内心で苦笑いした。
登校中に2回、学校の中で1回、そして帰宅中に8回。
浮遊霊や自爆霊と遭遇した数はその数倍に上る…ここ最近の遭遇頻度は異常だった。
『そうだな…。』
「そうだなって…大丈夫なんか?」
『護衛始めてから随分時間がたったからな…。』
「それは…他の妖怪達が気付き始めたとかギンタの隠れる技に慣れたっちゅうこと?」
『まぁそんなトコ。…大丈夫だって、オレ、ちゃんとナナシに憑いてるし。』