その水色のビンは きみに持っていてほしいんだ
これで最後だと、男はそのかたまりを口にした。
悪運でなら誰にも負ける気はしない、と豪語したその若造に、それならゲームをしてみようと誘いをかけた。
レースのリボンがかかった、水色のビンをテーブルへ置く。
若い男の大きな眼が、興味をひかれたようにそれを追った。
「甘いものは好きかね?これはクッキーだよ。ココナッツの味もする、ひどく甘いクッキーだ。手作りでね。だが、残念ながら、これをわたしに送ってくれた女性はね、先日亡くなってしまった」
「―それは、お気の毒で」眉を寄せて悔やみの言葉を出すのを、片手をあげて遮った。
「彼女は、うちと敵対する男と、ベッドの中で、仲良く、裸で亡くなった」意味がわかるかい?という気持ちで幼さを残す顔を見た。
「―お気の毒です」重いものを受け止めたような顔をしている。
お気の毒は、彼女か、わたしか―。
聞きたいのをこらえ、次の言葉をさがす。
「その彼女が、亡くなる一週間ほど前に、わたしにこれをくれたんだ。生まれて初めて、クッキーを作ったと言ってね」ビンを取り上げて振ってみる。
大きく、ぶかっこうな焼き菓子たちは、乾いた軽い音ではねた。
「・・この歳で、自分の娘よりも若い女に、本気で惚れられると思えるほど、わたしも馬鹿ではないのだけどね。・・まあ、甘くみられて、本当に残念だよ」この歳で、街中での偶然の出会いが、奇跡的な愛に転じると思えるほどの、希望ある人生を歩んできたわけでもない。
「彼女と出会ってから、時々体が不調になった。彼女は料理が不得意なのに、いつも自分の家で、わたしに何かを食べさせていた。こちらが、家庭での愛情に飢えていると勝手に思ってたんだな。まあ確かに妻の手料理なんて、久しく口にはしていないが、それにしても、ひどい料理たちだった。・・こちらの愛情を深くさせるための演技だったのか、何かを混ぜているのを、ごまかすためだったのか・・・まあ、その両方だったかな」
ビンを戻すのを、テーブルのむこうでじっと見ていた若者が、細い指を口元にあてた。
「さきほど、『ココナッツの味』で、『ひどく甘い』とおっしゃいましたが・・」
「ああ。はじっこを、ほんのひとカケ食べたのさ」
仕事場に持ち込んだそれを、一つとりだし、まったくひどいかたちだ、とかじったところで、部屋に入ってきた腹心の部下に手をはねのけられた。『あの女はあっちのファミリーとつながっている。証拠はこれだ』と、その部下に写真をみせられた。
予想もせず、女とそういう関係になってしまってから、慌てて女の身辺調査をやらせたのは自分だった。
思ったとおりの結果に、驚きはなかった。
「体調不良も、料理に何か入れられてたんだろうし、写真は、むこうの幹部の男と食事している写真だったよ。レストランでね」
「・・・なぜ、」
「『なぜ』?なぜ、殺したのか?知りたいか?なぜなら、わたしは自分を実業家だと偽って、自分のファミリーを大企業に仕立て上げ、内情を、そのまま彼女におもしろおかしく愚痴をまじえて話してしまっていたからだよ!むこうに知られてはならない話もしていた。企業の内幕のように置き換えられていても、マフィアの女なら、すぐにわかるはずだ」
自分のミスだ。女の身辺調査をさせた、信用のおける男に始末を言いつけた。
「・・・女が、わたしにこれを渡したときに、こう言った―」
『ぜんぶ、最後までたべてね。大きいけど、七枚しか入ってないわ。このクッキー、ひとつだけ、当たりがあるのよ』
「・・・ああ、たしかに、『当たり』なんだろうな。即効性の・・。当たったのは、わたしではなく、彼女だったけどね。彼女の故郷では、クリスマスに、当たり入りのケーキを食べるそうだよ。コインが入っていたら、翌年その人には幸運が訪れるそうだ」その話を、聞かされた後での、この贈り物だった。
「馬鹿な女というのは、かわいいが、こわいものだよ」笑ってみせたこちらを、若者は笑いもせずに見つめている。
「なんだい?その眼は?同情か?それとも、途中まで見事に引っかかったのを、笑いたいのか?」
「そのクッキーで、おれの運を試そうってことなんですね?」
「ああ、そうだ。君の言うことが、どれくらい本当か見てみたいからね」
処分するのを忘れていてのだ。執務室の机の引き出しに、なぜかしまってあったそれを、テーブルへと移動したところで、この客人が来たのだった。
噂の新人だった。
果たして、あの巨大でいっぷう変わった組織を、動かしていけるのか。
周りの同業者の感想は、この世界にながく浸かった男を驚かせるものだった。
『 若すぎる。 甘い。 あそこはもう長くないだろう。 』自分も噂を聞く限り、感じたのは同じだった。―それが、実際に会ったという人間から意見が変わってゆく。
『 お手並み拝見だ。 しばらく様子をみる。 傘下にはいろうと思う。 』
この、若造が?
挨拶を交わす顔は、聞いていた年齢には到底およばないものだ。
運ばれたお茶のセットをみながら、悪い意地がうずく。
「いい酒があるんだが、飲めるのかな?」
試すようなこちらの口の利き方にも、気付いた様子もないように、「いただきます」と子どものように嬉しげにかえしてきた。
たったの一杯で、すぐに顔を染めた。
その、どうにも子どもっぽい様子にも、いまいち、あの、周りの評価は信用できない。
「ほんとうに、君があそこをまとめてる?」
「ええ。いちおう」
「・・・君の右腕は、ずいぶんと評判が高いようだね。実際にはあの男がまとめてるんじゃないか?」正直に言ってみろとまた酒をすすめた。
「いえ。残念ながら。彼は、あくまでもおれの右腕です」
やんわりと微笑むが、言葉はしっかりとしていた。
「ほう。ではやはり、君が、一番強い、ということかな?」
「ああ、それは、わかりません」
・・なんだって?耳を疑う回答だったが、若者は嬉しそうに続けた。
「うちは、みんな怒ると手がつけられないほどで・・正直、おれが一番ではないと思います」
「なら・・、なら君は、なんでトップを務めているんだ?名指しされたから、とか言わないでくれよ?そんな時代遅れなところとは、協定だって結びたくない」
「ええ、そうですねえ」こちらの本気な宣言に、相手はまた緩やかに笑った。もう、酔っているのか?
と、笑顔が変わった。
「―まあ、悪運だったら、うちの中でも、誰にも負けないと思いますよ」
目つきまでが変わり、なぜか挑むようにそれがむけられているのに気付いたから、ゲームを提案した。
若者は、スコッチの入ったグラス片手に、ビンのふたをあけた。甘い香りがひろがり、
一枚、また一枚と、それをかじってゆく。
「おいしいですよ」
合わないだろう飲み物片手に、あと五枚残るビンを振っている。
「・・・まさか、自分にはコイン入りのクッキーは当たらないとでも思っているのかね?」
「ええ、おれ、勘はいいんです」
「まだ、食べるのか?」
「いただきます」
次を取り出した。四枚目、五枚目も食べた。次に手を出したところで、止めてやった。
「わかったよ。引き返せないのはよくわかるが、無理しなくていい。君の度胸は買っておこう」なるほど。見かけとは違い肝は据わっているようだ。
作品名:その水色のビンは きみに持っていてほしいんだ 作家名:シチ