怪-kai-
(助けてくれぇぇぇぇ)
男が絶望感に支配された、その時。
ぐい・・・・・・っ。
それは唐突に起こった。腕が引き上げられたのだ。
「・・・・・・はっ」
我に返ると、視界に広がるのは葦に囲まれた朝靄の池のほとりだった。
頭で認知するのに数分はかかった。
「・・・・・・ここ、は」
「いやぁ大変でしたね。」
夢見たような感覚に浸る男に声がかけられる。
男は茫然としたように――視線を向けた。
真っ白な空間にぽつんと黒い滲みが現れた錯覚を起こさせるような、黒いつばの帽子と黒いスーツ姿のまるで影のような、男がいた。
その口調や姿は何処かで・・・・・・
「大丈夫ですか?」
「夢幻君?」
そういわれて影男は微笑した。
思い出した。彼は男の友人である夢幻魔実也だったのだ。
それを認めて男は心底、安堵した。
あれは夢だったのだ……
「あ、あれ?・・・・・・どうして君がここに?」
「たまたま通りかかったんですよ。君の下宿に行こうとしたら君の姿を見かけた。けれど君は僕には気づかず何処かへ歩いて行く。後をついて行ってみるとそのまま池に入って行ったので、慌てて腕を引き上げたというわけさ。」
なるほど。気がつけばズボンの裾が濡れていた。冷たい感触はまだ新しい・・・・・・それを思った途端ぞっとした。
「な、なんで私はこんなところに・・・・・・」
考えれば考えるほどに狐に抓まれた気がしてくる。すると魔実也が笑った。
「君は忘れたのかい?」
「・・・・・・?」
「ここが『置いてけ』掘りだということを、さ。置いてけ堀の主に君はからかわれたんだよ。」
男はハッとした。
思い出した。その名前は聞いたことがある――ここは近所にある、確かに有名な怪異の場所なのだと。
それではあの背中におぶった女性は―――・・・・・・青ざめる男を横目に魔実也が口を開いた。
「『電気』という近代的な灯がこのありとあらゆる場所を照らしても『怪(もののけ)』はまだ『存在』しているのさ。
これからも、その先もずっとね。
・・・・・・けれど君、夜中に1人で座り込んでいる怪しいご婦人には気をつけたまえよ。」
fin.