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誰想う、君想う。

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「夏は、嫌いです」
「へえ、珍しいね。四季を大切にする日本がそんな事言うなんて。どうしたのさ。ま、確かに日本の夏って暑いし、こう、修羅場だと余計に、嫌いって思っちゃうのかもしれないけどさ」

 突然の日本の呟きに、トーンを削る手を止めないままフランスは応えた。沈黙は辛い。作業以外の何かがないと潰れてしまいそうだ。最後に横になったのはいつだっただろうか。夏コミ前の、締め切り直前。日本の新刊の原稿の手伝いをしている。お互いに分担しての作業。日本の方も、手を止める様子もなく、大急ぎで、且つ丁寧に仕上げている。ただ、何か別のことを考えているようで、心ここにあらず…否、ここにあって、別の何かを見ているように、再び、夏は嫌いですと呟いた。
 フランスは、それがこの夏コミ前の修羅場を指している訳ではないという事を悟った。しかし、日本が季節を嫌うということはあまり考えられなかった。日本は、祭りが好きである。それは、同人誌即売会だけではなく、縁日などの夏祭りを指している。縁側でスイカを食べたり、風鈴の音に耳を傾け風情を感じたりと夏を楽しむ日本が、夏が嫌いと口にするはずはないのだ。夏の暑さが辛いとぼやくことはあっても、それを「嫌い」と言った事は一度もなかった。今のような修羅場中でさえ、夏コミ当日のことを思えば乗り切れると、毎年言っていた。それが、何故。

(夏が嫌い、というよりは…。8月が、嫌いなんだろうねえ、多分)

 日本との付き合いは、短い方ではあっても、他と比べた時にそう言えるのであって、実際はそれなりに長い(と本人は思っている)。この時期が日本にとって辛いということも、だからよく知っている。こうして自分を追い詰める日程で原稿をするのも、何もしなければ色々と思い出してしまうからなのかもしれない。日本は、計画的に、余裕を持って入稿することだって出来るはずなのだ。けれど、それを毎年しない。

「じゃあ、日本はどの季節が好きなの?」
「……冬、が……。冬が、好きです」
「寒いのに?」
「フランスさん、知っていますか?冬の星空は、とても綺麗なんですよ」
「……」

 夏が嫌い、と言った時とは言葉通り反対に、明るい調子で冬が好きだと日本は言った。しかしそこには同様に、少し寂しさが滲んでいた。冬に何があって、夏に何があったかを、フランスは知っている。もう、そんな寂しさを纏う必要もないのに、日本には淋しさがあった。それは、「彼」と同じだった。

「冬は、寒いからこそ、温もりが染みるんでしょうねえ。そして夏は暑いからこそ、手を離してしまうんでしょうか」
「日本?」
「フランスさん、ドライフラワーが…」
「ちょ、ちょっと待って日本!帰って来て!何、何、どうしたの!目が死んでる!ここで寝たら終わりだって!お兄さんもそんなに頑張れない!」

 原稿を枕に、ついに日本は眠りに落ちてしまった。つられて寝そうになってしまうフランスだったが、日本の小さな声を聞いてしまい、寝るなと自分を叱咤した。ここで寝てしまっては、或いは起こしてはいけないと。せめて少しでも役に立ちたいと。

「ねえ、俺が何でこんなに一生懸命手伝うと思う?」
「折角の原稿、涙で汚したりしないでねー…後で泣くよ?」
「お兄さんにしとけば良いのに」
 小さく小さく言ったところで。
「……アーサー、さん……」
 届くはずはなくて。
「……ねえ、菊ちゃん…」

 少しだけ、泣きたくなった。


 目を開けたら、日本の前には真っ白な世界が広がっていた。前だけでなく、後ろも、横も、上も下も、全てが真っ白だった。雪のように、白い空間。まるで、包まれているような。白くて、白過ぎて、眩しくて、涙が出る。不安定になる。自分が存在しているのか分からなくなる。そして、声が聞こえた。

「菊」

 優しい声に呼ばれた。その声をずっと待っていた。けれど、どこを向いて良いか分からなかった。白の世界は、どこまでも白だった。暑くもなく寒くもなく、立っているのか浮いているかも分からない空間の中、声だけがはっきりとしていた。けれど、どこから響いているのか分からない。

「菊」

 何度目かに呼ばれた時、日本は気付いた。声は、外からしているのではないと。自分の内からのものだと気付いた。

(ああ、これは私の空耳ですか。幻聴ですか。妄想ですか。欲望ですか)

「菊」

 それでも、白の中で声だけが響く。どれだけ押し殺していても無駄だと言うように、ただ同じトーンで、名前だけを声は繰り返していく。耳を塞いでも、聞こえる声。声はずっと、「呼んで」いた。呼ぶ声には「応え」なければならない。

「…アーサー、さん…」

 「答え」は、簡単だった。

「アーサーさん、アーサーさん…」
「どうした、菊」
「私、アーサーさんが……、んぅ」

 すきです、と。声に出すことは敵わなかった。一面の白だったはずの世界に、色がついた。立っているのか浮いているのか分からなかったけれど、しっかりと地に足をつけていた。唇を離して上を見ると、空には星が瞬いていた。

「遅い」
「すみません」
「ずっと待ってたんだからなっ」
「はい、すみません」
「もう、いいから…」

 やっと触れ合えた喜びを、噛み締めさせて。


「おはよ、日本」
「……あれ?……!ああ、私、私、原稿!!!」
「いやー、ここ何年か日本の手伝いしてるけど、潰れた日本見たの、お兄さん初めて」
「フランスさん、原稿……」
「寝ないでやるより、寝てる分捗るかもよ?」
「間に合わせてみせます」
「……良い夢でもみたの?」

 日本は曖昧に笑った。夢の内容を覚えていないのか、話せなくて誤魔化したのか、良い夢ではなかったのか。ただ確実なのは、夏が見せた夢だという事。夢を見ながら彼が呟いた名が切ない色だった事。

「フランスさん、お休みになって構いませんよ。後は私、自分で頑張りますので」
「手伝える範囲はやるよ。あ、でももし寝ちゃったらごめんね」
「いえ、そんな」
(だって俺が日本にしてあげられるのって、この程度でしょ?でも、悔しいから教えてあげない。全く…島国同士、似てるねえ。もどかしいよ)

 夏は嫌いだ、と言ったのは日本だけではなかった。どこかの島国もまた、夏は嫌いだとつぶやいていた。ああまたか、と思ったけれど、今日聞いた日本の夏は嫌いです、という響きは、彼とよく似た感情を伴っていた。

「鬱陶しいからやめてくんない?」
「特別なんだよ」
「はあ?」
「夏はどうしても駄目なんだ」
「ま、知ってるけどね」
「俺は!ずっと待ってるんだからな!」

 そんなことを言ったのは、いつだったか。とにかく長い付き合いであるが故に、分かりたくはないが、分かってしまう。そこには、分かりやすい性格も作用しているけれど。酒が入るとますます分かりやすい。一番素直にならなければならない相手に素直になれないところが似ているなとその時も思ったのだった。

「ねえイギリス。お前、行動には移さないの?」
「夢で語りかけてるぞ」
「……真面目に聞いた俺が馬鹿だった」
作品名:誰想う、君想う。 作家名:大村のりあ