いつかは白い地平の向こうで
頭の中でずっと変わらない景色が流れていた。何度も見た場面。それは、わたしの頭の中で作られた世界。かなしいかなしい物語の一節。でもそれはもしかしたら、現実。
薄着で出てきてしまったけれど外はまだ冬の最中で、冷たい空気が静かに流れていた。忘れようと、何も考えずに森の中を何処までも行こうと思った。だけれど、奥深くへ行く度変わらない景色に不安と恐怖が私を襲った。戻ろうとしたけれど帰れる自信もなくて。結局、立ち止まってしまった。私は諦めて、ただ宛てもなく歩いていたら木々の間から光が見えた。行くとそこには、白鳥もいないようなちっぽけな湖が広がっていた。わたしはその湖の辺に座り込む。帰れなくなったら、と心のどこかで考えて、いつの間にか泣いていた。
冬の寒さに堪え切れなかった木々たちは静かに音を立てて揺れた。
足音が聞こえた。サクサクと枯れた草を踏む渇いた音。それは確かにわたしのほうに向かってきて、わたしのすぐ後ろで止まるのがわかった。そこに居るのが誰か、わたしはすぐに理解した。なぜなら、聞き慣れた小鳥の鳴き声がしたから。どうしてここがわかったのか知らないけれど、この湖が家からそう遠くない所であることが分かったのでわたしは安堵した。
わたしが泣いているのを知ってか、知らずか、恐らく知っていると思うけれど、彼は何も言わずにわたしの隣に腰をかけた。わたしは少しだけ、嬉しかった。
「夜が来てほしくないの」
「どうして」
突然発っした言葉だけれど、彼はわたしの思い通りの返事をくれた。わたしは膝に顔を埋めたまま視線だけを向けると、横目で彼と目が合った。
「夜がきたら、眠らなければならないでしょう」
「寝るのが、嫌なのか?」
「違うわ」
「じゃあ、なに」
「夢を見るの…同じ夢を、何度も」
真っ白な地平。何もないそこには、かなしみと愛しさだけ存在していた。居るだけで泣きたくなるような淋しい場所。地平線の終わりの見えない場所に、わたしは誰かと二人で居た。いつだって彼の顔は見えない。わたしは彼の終わりを知っている。
(いつか、終わる日が来るんだね。)
そう言って何もできないわたしは何もできない彼の手を握って泣いた。真っ白な何もない、どこまでも続く地平で、たった二人わたしたちは静かに息をしていた。
彼は、何かを言おうとした。けれど彼はそれを飲み込んでしまって、わたしに伝わらないまま、わからないまま、消えてしまう。
眠る度に、わたしはそこに居たのだ。いつまでも変わらずに彼とふたりで居たのだ。
気付けばいつの間にか涙は乾いていた。顔を上げると変わらずに太陽は水面を輝かせていて、わたしは反射する光が眩しかったから、水面から目を伏せた。
「―帰ろう」
彼は立ち上がると、わたしに手を差し出した。こんなところもあるんだと驚きつつ、照れ隠しに顔を背けている彼に笑顔がこぼれる。あまり待たせると悪いのでわたしは素直に手を取った。
帰り道を知らないわたしはただ彼に引かれて歩いた。彼の手はごつごつ骨張っていたけれど、とても温かかった。
「あ、ねぇ」
「ん?」
「明日も、ここに来て。絶対よ」
そう言うと彼は、背中を向けたままごまかすように笑った。
その日わたしはもう一度夢をみた。いつもと少しだけ違っていた。わたしはあの風景の中でひとりでいた。いつもいたはずの彼はそこには居なくて、わたしの目からはただ透明な液体が流れているだけ。泣いてるようには見えない、わたしはただどこか遠くの一点を見つめたまま涙を落としていた。
(いつか来ると思っていたわ)
作品名:いつかは白い地平の向こうで 作家名:ako