いつかは白い地平の向こうで
翌朝、昨日の道を辿ってわたしはあの湖へ行った。彼に引かれて歩いた道を辿って、湖に足を運んだ。
わたしの居る場所の向かい側に、彼の姿があった。わたしは彼のもとへ歩く。だけど、早く行かないと彼はどこかへ行ってしまうような気がした。早く歩いて、しまいには走った。辿り着くと彼はいつも見せないような訝しげな顔を見せた。
ああ、わたしは気付いてしまった。気付いてしまったのだ。
「何故ここに来たのか、覚えていないんだ」
いつか来るであろうその日を、何度も見た夢と重ねては怯え、明日が来ることを拒んだ。変わらない日々がずっと続けば良い。願う度に不安が募り、止まることのない今を忘れてゆく。今日が、今が、その時なのであれば時間など止まってしまえば良い。願い続けても、叶う筈もなくて。時間は過ぎてゆくばかり。
ああ、わたしの馬鹿。淋しいくせに。強がることなんか、ないのに。
「ヴェストを知ってるか」
彼は幸せそうに微笑んだ。わたしは綻びる何かに堪えられずに、頬を伝い落ちる涙を握りしめて。泣いた。
涙の膜が張った瞳はみるみるうちにわたしの視界を覆い隠して、彼を見えなくする。見えなくなってしまう、わたしは必死に涙を拭い、どうか夢であってと祈るだけ。何度瞬きをしても遠くで滲んで、驚くほどに涙は消えない。
「俺の、ただひとりの可愛い弟なんだ。あ、そういえばお前、名前は?」
誰があなたを覚えていようと、あなたはわたしを忘れてしまうのだろうか。涙を零したわたしに、不思議そうにみつめる彼の視線がぶつかる。わたしは涙を拭って、出来る限り笑った。
「…ハンガリーよ、ハンガリーっていうの」
わたしの知る彼は、もう死んでしまったのだろうか。
いつかは白い地平の向こうで
(もう一度過去を笑い合えたら良い)
作品名:いつかは白い地平の向こうで 作家名:ako