you love me
―――何が原因かは知らないが、どうやら俺の恋人は機嫌が悪いようだ。
俺はテレビの内容など完全に上の空で、狭いキッチンで夕飯を作る臨也の後ろ姿をチラチラと窺ってばかりいた。
……やっぱり、あの背中からは不機嫌さが滲み出ている、気が、する。そう思うと、トントンと刻まれる包丁の音にさえ怒りが込められているように聞こえてきた。
夕食の材料を二人で買いに出るまでは、あいつは別に不機嫌なんかじゃなかったのだ。
俺はつい一時間程前のことを回想する。
休日を俺の家でだらだらと過ごしているといつの間にか夕方近くになっていて、更には冷蔵庫の中が空っぽだったものだから、臨也が近くのスーパーまで夕飯の材料の買い出しへ行こうと提案したのだ。「料理は俺が作ってあげるから」なんて殊勝な事を言って。
スーパーへ向かう道でも、あいつはメニューは何にしようかと幾分はしゃぎ気味に話していた。「やっぱりオーソドックスにカレーかなぁ」と朗らかに言う臨也に、俺は自分が辛いものが苦手な子供舌であることも忘れて何とも言えない幸福感に包まれていた。いや、もう、自分でも重症だとは思う。でも、二人で晩ご飯の買い出しに、それも夕暮れ時に出かけるなんて初めてのことだったから、俺はもはや完全に新婚気分だったのだ。これは致し方のないことだと主張する。
……まぁとにかく、そこまでの臨也はむしろ機嫌が良かったはずなのだ。となると、問題があったのはスーパーで買い物をしていた間のことに違いない。
一体、何が臨也の機嫌を損ねさせたのか。
俺はいつの間にかCMに入っていたテレビ画面を無意味に睨みつけながら、真剣に考え始める。
いきなり怒り出した、というよりは徐々に口数が減ってテンションが落ちていった、という感じだった。……ということは、不機嫌の理由は幾つかあるのか?
えーっと……まず思い付くことといったら、あれだ、人参だ。
臨也の奴はいい大人のくせして、しかも妙に偉ぶった大人のくせして人参嫌いなのだ。その事実を知っている優しい俺は、調理を担当してくれることにも免じて今日は人参無しカレーで許してやろうと密かに決めていた。なので人参売り場は何食わぬ顔でさっさと通り過ぎ、じゃがいもやら玉ねぎやらだけをカゴに入れたのだ。
臨也は何も言ってこなかったが、あのときの雰囲気からして俺が情けをかけたことには気付いていたはずだ。有り難がってくれていると思っていたのだが、ひょっとして、俺に弱点を見透かされた上にそれを気遣われたことが面白くなかったのか? たかが好き嫌いとは言え、あいつのプライドは女王のように高いからな、『シズちゃんのくせに生意気』とでも思われたか。……よし、今度キャロットライスを作っていじめてやろう。
で、その次に思い当たるのは……そうだそうだ、俺が肉売り場であの女の人に会ったんだった。名前は知らないが、同じアパートに住んでいてたまに挨拶をしたりする人だ。その女の人とスーパーで顔を合わせたものだから、知らん振りをするのも良くないかと思って二、三言葉を交わしてからそそくさと別れた、のだが。
確か臨也はあの時、カレーのルーを探しに行っていたはずだ。でも、実は俺たちが話しているのを見ていたとか? それでやきもちを焼いたとか? ……これはあり得そうだ。あの女の人は俺たちと同年代だし、まぁ一般的に言って、美人だ。そう言えば俺のところに戻ってきて、選んできた箱を黙ってカゴに入れる臨也は分かりやすいほどに俯いていた、と思う。何だ、何か可愛いじゃねぇか。ああ、俺も本当に重症だ。
後は……そうだなぁ、これも小さいことだけど、荷物とか? 酒やお菓子も調達したから、会計を済ませたカゴの中身は割と一杯になっていた。俺と臨也は一つづつビニール袋を手にして荷物を詰めていき、当然のように自分が詰めた袋は自分で提げて帰る流れになったわけだ。
けど、あれか、『シズちゃん無駄に馬鹿力なんだから荷物ぐらい二つとも持てよ手前』ってことだったのか。だけど、持ってやると言ったら言ったで、あいつは男としての威厳がどうのこうのと文句を言い出しそうじゃないか。実際、高校時代に臨也がクラス全員分のノートを細腕で抱えているのを見かねて俺が手伝ってやろうとしたら、『か弱い女の子じゃあるまいしこれぐらい一人で運べるってば何紳士ぶってんのシズちゃん気持ち悪い』と、理不尽と思えるほどに罵られたことがある。
―――そうなのだ。
そもそも、臨也は少しでも自分が気に入らない点があれば、それをはっきりと口に出してとことんまで文句を並べ立ててみせる奴なのだ。特に、事俺に関しては。重箱の隅をつつくように一を十にして、時に理屈っぽい言葉で、時に人を見下した横柄な言葉で不満をぶつけてくる。そして俺が、キレる。
それとは反対に、本気の本気で怒ったときの臨也は、一切口をきかなくなる。あいつが本気でへそを曲げたら、一週間は口をきいてもらえない日々が続くのは経験から知っている。それはもう、俺が何を言おうが何をしようが綺麗に無視だ。そして俺が、キレる。
そう、大体その二パターンなのだ。だけど今日の臨也は、だんだん不機嫌そうにはなっていったものの、不平を主張するでもなく、また、だんまりを決め込むでもなかった。俺が話しかければ多少無愛想ながらもちゃんと返事は返してくるのだ。だからこそ俺もキレるタイミングが得られず、何となく様子を窺っている内に家へ着いてしまい、そんでもって「カレー作るから、シズちゃんは座ってて」なんて言われたものだからこうしてテレビの前で大人しくしているわけだが……
結論。何故、臨也は不機嫌なのか?
「……………分かんねぇ」
分からない。何というか、臨也が怒っているにしては原因と態度が中途半端だ。……よし、強行突破といくか。
俺はテレビを消して立ち上がり、臨也が料理を続けるキッチンへと静かに向かう。
俺はテレビの内容など完全に上の空で、狭いキッチンで夕飯を作る臨也の後ろ姿をチラチラと窺ってばかりいた。
……やっぱり、あの背中からは不機嫌さが滲み出ている、気が、する。そう思うと、トントンと刻まれる包丁の音にさえ怒りが込められているように聞こえてきた。
夕食の材料を二人で買いに出るまでは、あいつは別に不機嫌なんかじゃなかったのだ。
俺はつい一時間程前のことを回想する。
休日を俺の家でだらだらと過ごしているといつの間にか夕方近くになっていて、更には冷蔵庫の中が空っぽだったものだから、臨也が近くのスーパーまで夕飯の材料の買い出しへ行こうと提案したのだ。「料理は俺が作ってあげるから」なんて殊勝な事を言って。
スーパーへ向かう道でも、あいつはメニューは何にしようかと幾分はしゃぎ気味に話していた。「やっぱりオーソドックスにカレーかなぁ」と朗らかに言う臨也に、俺は自分が辛いものが苦手な子供舌であることも忘れて何とも言えない幸福感に包まれていた。いや、もう、自分でも重症だとは思う。でも、二人で晩ご飯の買い出しに、それも夕暮れ時に出かけるなんて初めてのことだったから、俺はもはや完全に新婚気分だったのだ。これは致し方のないことだと主張する。
……まぁとにかく、そこまでの臨也はむしろ機嫌が良かったはずなのだ。となると、問題があったのはスーパーで買い物をしていた間のことに違いない。
一体、何が臨也の機嫌を損ねさせたのか。
俺はいつの間にかCMに入っていたテレビ画面を無意味に睨みつけながら、真剣に考え始める。
いきなり怒り出した、というよりは徐々に口数が減ってテンションが落ちていった、という感じだった。……ということは、不機嫌の理由は幾つかあるのか?
えーっと……まず思い付くことといったら、あれだ、人参だ。
臨也の奴はいい大人のくせして、しかも妙に偉ぶった大人のくせして人参嫌いなのだ。その事実を知っている優しい俺は、調理を担当してくれることにも免じて今日は人参無しカレーで許してやろうと密かに決めていた。なので人参売り場は何食わぬ顔でさっさと通り過ぎ、じゃがいもやら玉ねぎやらだけをカゴに入れたのだ。
臨也は何も言ってこなかったが、あのときの雰囲気からして俺が情けをかけたことには気付いていたはずだ。有り難がってくれていると思っていたのだが、ひょっとして、俺に弱点を見透かされた上にそれを気遣われたことが面白くなかったのか? たかが好き嫌いとは言え、あいつのプライドは女王のように高いからな、『シズちゃんのくせに生意気』とでも思われたか。……よし、今度キャロットライスを作っていじめてやろう。
で、その次に思い当たるのは……そうだそうだ、俺が肉売り場であの女の人に会ったんだった。名前は知らないが、同じアパートに住んでいてたまに挨拶をしたりする人だ。その女の人とスーパーで顔を合わせたものだから、知らん振りをするのも良くないかと思って二、三言葉を交わしてからそそくさと別れた、のだが。
確か臨也はあの時、カレーのルーを探しに行っていたはずだ。でも、実は俺たちが話しているのを見ていたとか? それでやきもちを焼いたとか? ……これはあり得そうだ。あの女の人は俺たちと同年代だし、まぁ一般的に言って、美人だ。そう言えば俺のところに戻ってきて、選んできた箱を黙ってカゴに入れる臨也は分かりやすいほどに俯いていた、と思う。何だ、何か可愛いじゃねぇか。ああ、俺も本当に重症だ。
後は……そうだなぁ、これも小さいことだけど、荷物とか? 酒やお菓子も調達したから、会計を済ませたカゴの中身は割と一杯になっていた。俺と臨也は一つづつビニール袋を手にして荷物を詰めていき、当然のように自分が詰めた袋は自分で提げて帰る流れになったわけだ。
けど、あれか、『シズちゃん無駄に馬鹿力なんだから荷物ぐらい二つとも持てよ手前』ってことだったのか。だけど、持ってやると言ったら言ったで、あいつは男としての威厳がどうのこうのと文句を言い出しそうじゃないか。実際、高校時代に臨也がクラス全員分のノートを細腕で抱えているのを見かねて俺が手伝ってやろうとしたら、『か弱い女の子じゃあるまいしこれぐらい一人で運べるってば何紳士ぶってんのシズちゃん気持ち悪い』と、理不尽と思えるほどに罵られたことがある。
―――そうなのだ。
そもそも、臨也は少しでも自分が気に入らない点があれば、それをはっきりと口に出してとことんまで文句を並べ立ててみせる奴なのだ。特に、事俺に関しては。重箱の隅をつつくように一を十にして、時に理屈っぽい言葉で、時に人を見下した横柄な言葉で不満をぶつけてくる。そして俺が、キレる。
それとは反対に、本気の本気で怒ったときの臨也は、一切口をきかなくなる。あいつが本気でへそを曲げたら、一週間は口をきいてもらえない日々が続くのは経験から知っている。それはもう、俺が何を言おうが何をしようが綺麗に無視だ。そして俺が、キレる。
そう、大体その二パターンなのだ。だけど今日の臨也は、だんだん不機嫌そうにはなっていったものの、不平を主張するでもなく、また、だんまりを決め込むでもなかった。俺が話しかければ多少無愛想ながらもちゃんと返事は返してくるのだ。だからこそ俺もキレるタイミングが得られず、何となく様子を窺っている内に家へ着いてしまい、そんでもって「カレー作るから、シズちゃんは座ってて」なんて言われたものだからこうしてテレビの前で大人しくしているわけだが……
結論。何故、臨也は不機嫌なのか?
「……………分かんねぇ」
分からない。何というか、臨也が怒っているにしては原因と態度が中途半端だ。……よし、強行突破といくか。
俺はテレビを消して立ち上がり、臨也が料理を続けるキッチンへと静かに向かう。
作品名:you love me 作家名:あずき