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紺碧の空 番外編【完結】

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 喋っている間は、自分でも意外な程に穏やかな気分でいられた。アーサーを失ったらもっと涙が枯れ果てるまで泣いて、声が出なくなる位まで叫んで、哀しみのどん底に落ちるだろうと思っていたのに、別れた直後にちょっぴり感傷に浸って以来、酷く落着している日々が続いている。そんな自分が不思議だった。今までアーサーを雁字搦めに束縛していたと言う罪悪感から解放されて、彼を自由にしてあげられたと言う結果に満足しているのだろうか。今の自分は、義兄の幸せを心から応援することが出来るのだ。温かい家庭を築いて、生まれてくる子供を愛し、無神経だけどきっと子供思いの良いお父さんになってくれる。それを思うだけで自分まで幸せな気分に浸る事が出来た。
『カークランドさんとは、ちゃんとお話しました?』
 しかし菊の声音は硬く緊張したままだった。納得出来ませんという心情がありありと伝わって来て、余りの解かり易さに思わず微苦笑してしまった位だ。
「んー。あんまり話さなかったよ。辛くなっちゃうからさ」
 パチン、パチン、と手慣れた手付き爪先を弾き、態と賑やかな音を鳴らしてパイロットスーツのボタンを留めて行った。さながら楽器でも弾いているような小気味良い音は自然と気分を高揚させてくれる。
 今日は空軍基地で街の有権者向けの式典が催される事になっており、パイロット候補生達は演習を披露する予定になっていた。アルフレッドも例外では無い。
 ショーの様子は英国放送でも生中継されると聞いていたので、それを知らせるという名目で、朝っぱらから菊に電話をかけると言う恰好の口実とした。
 戦闘機訓練があるのは正直有り難かった。大空にのぼって繊細な機器の操縦に集中していれば、無駄に細かい事をぐちゃぐちゃと考えなくて済む。今日は良く晴れていたから、青空の下、潮の香りを乗せた海風に乗って飛翔するのはとびきり気持ち良さそうだと思った。
『せめて、もう一度だけでも、お話する気はありませんか?』
 恐らくカークランドさんは納得されていないと思いますがと、菊は控えめな口調で切り出し、遠回しに非難してきた。だけどアルフレッドは説得に応じるつもりは更々無く、無言のままふっと笑った口元の気配に気付いたらしい菊は、それ以上何も言おうとはしなかった。 その代わりに別の方向から難しい話を立ち上げて考える事を放棄する機会を与えようとしない。
『これから、どうするおつもりです』
「これから?」
『ええ』
 菊は多分、アーサーを義兄として接する事に苦痛は無いのかと、そう言いたいのだろうと推察した。確かに、このままカークランドの家にお世話になっていれば、必然的に家族と暮らすアーサーの姿を見続ける事になる。自分には少しどころか多分に眩しい光景だった。
「旅……」
 ふと意識の片隅に下りて来た選択肢をそのままポツリと呟いて、アルフレッドは寮の窓から見える青空に思いを馳せるように仰ぎ見た。それは菊にとっては予想外の回答だったらしく、旅ですかと酷く驚いたような声が受話器越しに聞こえて、遠い異国の地で親友が瞳を瞠っている姿を容易に想像させた。それはとても愉快な映像で、菊を一驚させたという満悦で思わずしたり顔になってしまった。
「うん。旅に出ようと思う。見た事の無い国の景色を沢山見てみたいってのが子供の頃の夢だったんだ」
 闊達に笑みながらアルフレッドは喋り続ける。アーサーに出会ってからは彼そのものが「夢」になったのでそれまでに描いていた未来像なんて一気に吹き飛んでしまったけれど、フリーになった今だからこそ幼い頃の記憶が鮮明に蘇ってくる。
「うん、決めたよ。空軍でそれなりに出世して、カークランドの家に今までの恩を返したら、俺は世界を一周する旅に出る」
 まだアーサーと出会う前から、街の小さな図書館で世界中の景色を集めた写真集を見て、世界への憧れを強く持っていた事を思い出していた。不意に降りて来た思考だったけれど、それはとても魅力的な選択肢として忽ちアルフレッドを魅了していった。
「一番行って見たいのは中国なんだ。とにかく自然が美しくって、神秘的で、壮観で、同じ地球とは思えない位凄いんだぞ」
『…………。中国、ですか』
 外国への思いを熱弁していた口調を遮るように、不意に口篭った様子の親友を訝しく思い、アルフレッドはあれ? と瞳を瞬かせた。
 何か不味い事でも口走ってしまったかと思ったが、すぐに一つの事実を思い出した。菊が過去に恋をした年上の男の人の事、そして実らずに終わってしまった初恋の結末。何よりもその相手は、大陸を故郷に持っていた人物ではないか。
 もう五年以上も昔の話だった。あの時少年だった彼は今や二十歳を越えた立派な大人となり、現在の恋人のフランシスととても幸せそうに暮らしている。過去の想い人を引き摺っているような言動は、今までに一度だって見た事は無い。彼自身もきっと今の今まですっかり忘れていたに違いないと思った。
 それでも、気付いてしまった以上は、どうしても尋ねなければ気が済まない。
「ねぇ菊。訊いてもいいかい」
『何でしょう』
「大好きな人と離れるって、どんな気持ちだった?」
『…………』
 菊はすぐに答えを返さなかった。瞬時に纏まるほどの簡単な質問では無いとアルフレッド自身も知っていたので、口を挟む事なくジッと返答を待とうと思ったけれど、沈黙の刻は思った以上にアルフレッドの心を消耗させた。物音もなく静かな空間に居ると、必然的に彼の事を考えざるを得ないのだ。瞳を伏せると蘇る碧色の眼差し。あの瞳に射抜かれたら、並の覚悟では歯が立たない。今はもう何も考えたくは無かった。
「俺、アーサーに幸せになって欲しい。本当にただそれだけなんだよ」
『……ええ。きっとカークランドさんも同じ事を思っています。貴方に幸せになって欲しいと』
 結局は堪え性も無く自分から話しかけてしまい、菊はそれに丁寧な同意を返してくれた。
 同じだけの強い想いを持っていながら、それが重なる事なく、一方通行に擦れ違ってしまう。そもそも自力で幸せにしてやろうと思えない時点で駄目だったのかも知れない。でも自分の中の何処を探しても、己の身一つでアーサーを満足させてやる自信なんてこれっぽっちも存在していなかった。
『ただ一つだけ、思うことがあります』
 ふとその時、僅かに緊張を増した硬い調子で、菊は微かな艱苦を滲ませた面持ちを持ち上げた。冬の済んだ夜空を映しこんだかのような美しい瞳が漣のように揺らめいている。 
『もし……もしも、あの人が』
 あの人、と決して名を差しては呼ばず、彼を連想させる言葉自体が罪悪なのだと、菊は酷く苦しそうな顔をしていた。
『あの人が、私を愛してくださっていたのなら……。私を失ったあの人は、今、真に幸福なのだろうかと」
 自分の居ない未来でも、彼はちゃんと幸せな生活を手に入れることが出来たのだろうか。とてつもなく傲慢で自己本位な思考ではあるけれど、僅かな可能性を思わずにはいられなくなる。それは後悔では無く、罪跡でも無く、ただただ只管に純粋な疑問として菊の胸に宿っていた。
『自惚れだって事は良くわかっています。ですが、もしもそうだったらと思うと』