俺と貴方と自分の、とある人生の話
案の定最悪のタイミングでイギリスは訪問してきた。
いやだといったのに見せられたホラー映画があんまり恐ろしいものだから、どうしても一人では寝られない気がして、フランスに添い寝を頼んだ瞬間のことだった。けたたましくチャイムが鳴り響き、もしかして、という懸念のもともう玄関先に足を運ぶのも辟易して、フランスも俺も寝室に留まっていた。まもなく勝手に作ったんだろう合鍵でドアがあけられたらしく、バタン!と、尋常じゃない音で閉まったのが遠くに聞こえたのだった。フランスと顔を見合わせる。多分もうとっくに、イギリスは気づいている。玄関にある靴mキッチンにいまだ残り香として漂うデザートの余韻。なにより彼の”フランスに対する嗅覚”は並みのものではない。もう逃げだすこともせずに、フランスはやれやれと肩をすくめてベッドの上に腰をおろしていた。ああ、そんなのもっと誤解されてしまうじゃあないか。いや、誤解というわけではないし、誤解されたところでだからなんだという話でもあるのだけど。
バタバタと、迷わずに寝室に向かってくる足取りに焦燥感をみつける。彼はなんでもかんでも結局全身で伝えようとする人だから、不機嫌上機嫌その他もろもろが恐ろしくわかりやすい。無論今は、最高に不機嫌であるらしい。ドアの前でぱたりと足音がやむ。一瞬の静寂。あれ?と少し声がもれたと同時に、イギリスの右足が部屋の中に突き出されている光景だけが見えた。ドアーが、蹴破られたのだ。数秒してから、ドスン!という恐ろしいほど大きな音があがった。すべてが沈み込むような音だった。当然だ、ドアが蹴破られば、まわりの関節照明なども一気に倒れこむ。巻き込まれたものたちの悲鳴にも似た破壊音が、耳をつんざくようだった。
ぼんやりと、目の前の非現実的な光景とイギリスのコントラストをあわせようとしていた。イギリスの息が荒い。とても疲れているところで、こんな風に暴れたんじゃそれは息も乱れる。なんだかな、と、一度だけ天井を仰いだ。当然だけれど、高い高い天井には被害は及んでいなくて、そんなことどうでもいいはずなのに、ほっと息を吐き出した。それまでほとんど息をしていなかったことに、やっと気づいた。
まったくの静寂。アメリカもイギリスも、何も言わない。隣のフランスが、そんな二人に対して交互に視線を送ると、はあ、とさっきのアメリカのため息より何倍も軽快であり余裕のあるそれが吐き出されたのが聞こえた。それを口火に、イギリスがまくし立てるように口を開きだした。
「おい、アメリカ! お前なんでこんな野郎と一緒にいんだよ!」
「別にそんなの俺の勝手だろう? 俺がフランスと一緒にいようが一緒に寝ようが君には関係ない」
「こっ……こいつはなあ、お前が男であろうが子供であろうが弟みたいな存在だとか抜かしやがろうが、すぐに手出してくるような最低な男なんだぞ!? やすやすと近づいてんじゃねえよ!」
「なにその言い方、君ひっかかったことあるみたいな」
「あるわけねえだろ! 気持ち悪い言い方すんじゃねえ!」
「おいおいアメリカ、それは俺にも失礼だからな、さすがにな」
「ああ、そうだったな! 悪いねフランス!せっかく来てもらったところほんっとうに申し訳ないんだけど、また後日・・・ってことでいいかな?」
「それはもちろん」
「おい!」
「……イギリス、お前さ、なんで気づかないの?」
「……何がだよ」
「何がって、・・・ねえ。それが気づけないんじゃあ、アメリカもそりゃつれないだろうよ?」
「うるせえ! どうだっていいんだろこのクソワイン野郎が!」
「ああもうこわいこわい」
フランスはイギリスの罵声のよこをするりととおりぬけて、一度アメリカを振り返り、少し含んだ笑いを見せた。そうだ、フランスが気づいていることを、イギリスは気づけない。フランスより何十倍も一緒にいたのに。一緒にいたから?アメリカはほんのすこしだけ、唇を噛んだ。イギリスはわかってくれない。長く生きすぎたせいで、なにかひとつの物事に対して、一度でも疑ってみなきゃなにも信じられないようになってしまった。そうして俺は何度も何度も裏切られている。彼は俺を裏切り者のように言ってみせるけれど、結局のところ、なにも信じられないのに俺を信じようともしない姿は、俺にとっての裏切りだった。
コート、暑そうだな。
イギリスの頬には、つ、と汗が筋を作っていた。泣いているように見える。見えるだけで実際は、一滴も涙など流してはいなかった。部屋に入ってからまだ一歩も動いていないことに気づき、アメリカはこっちにくれば?と目線だけで伝えた。苛立ちを隠さないイギリスは全身で「裏切り者」と訴えているようで、アメリカの心が一度、痛みを伴ったのがわかった。こころが、萎縮している。嫌悪や憎悪や、悪い意味での情念というものは、与えられて嬉しいはずがない。それも、この人に与えられて嬉しいことは。
逃げ出すように、言葉を走らせる。頬に汗が伝う。泣いているように見えたらどうしよう、どこかでそんな風にも思いながら、口は勝手に動いていた。硬直しきった部屋の空気が、パリパリと音をたててはがれていく。
「ねえイギリス、もう十分だ、もういいよ」
「なにだがよ」
「俺は君のことを愛しているし、君は俺のことを愛してる。だからフランスとは何もないし、これからも何も起こらないし起こさない。もうそれでいい、それでいいよイギリス・・・」
「・・・お前、俺の意見なんて聞いちゃいねえな」
「聞いたところでどうにかなるのかい?きみはいつだってそうだ・・・俺が勝手に決め付ければ怒るし、決め付けなければ泣くじゃないか!そんなのってないだろ?そんな・・・俺の意思なんてどこにもないみたいに」
「そんなことない!あるはずないだろ!?だって俺はお前を愛してるんだから!なあ、お前はさっきそう言った 確かにそう言ったよな?今さっきの言葉をもう覆すのか?」
「そんな風に言われるために、君を好きだって言ってるわけじゃない!」
「・・・っ じゃあ、どうしろってんだよ!」
「・・・・・・そんな風に大声をあげなくなって、聞こえてるのに・・・・」
なんだかとてもじゃないけれど、徹底的に伝わらない、交差しない部分が多すぎて、アメリカの悲しみは限界まで沈み込んでいた。そんな風に大声をあげなくたって、沢山の主張をしなくたって、俺は全部わかってる。わかってるし、気づいているし、許しているのに。なんでイギリスは気づいてくれないんだ。なんで物事をもっと簡単に捉えてくれない?こうして君と対話している。君は俺の存在を否定したりもするけれど、俺が本当に君のことを否定したことは一度だってないはずだ。ないはずなのに!
一度うつむいてしまうともうだめだった。どう表情を作っていいかもわからず、視界がぼやけはじめるのがわかった。いけない、と思ってももうそれは安易にとめられるようなものでもなく、ぼたぼた、と、カーペットに灰色のしみが二つ仕上がった。生理的な嗚咽がもれそうになるのを、口元をおさえてなんとか凌ごうとする。
その瞬間、するりと右手を持って行かれたと思った瞬間、ぐっと引かれて思わず前のめりに倒れそうになる。
「う、わ」
作品名:俺と貴方と自分の、とある人生の話 作家名:knm/lily