衝動【シズイザ】
「――いざや?」
季節は秋。それは、またあらぬ喧嘩をふっかけられて、学校の備品をぶっ壊してきた日のことだった。
俺は売れらた喧嘩にブチ切れてそれを買ってやったせいで、いつもより来神学園を出るのが遅くなり、7時頃にやっと家に向かって帰路を歩いていた。
秋の夜7時といやぁ、結構暗い時間帯だ。この辺はどでかいビルに挟まれた路地ばっかで、池袋ん中でもかなり人通りが少ねぇ。大通りから漏れてくる灯りと月明かりを頼りに歩くしか他ねぇような場所だ。そんな中で、見覚えのあるような無いような――そんな背中を見つけた。挙動不審もいい所な様子できょろきょろと周囲を見回しながら不安げに歩いているその背中は、暗がりでも分かるくらいに怯えているように見えた。
ふと、そいつの頭部が街灯と月とに照らされて、忙しなく首を振ってるせいか俺の視界に顔が映し出された。
「いざやぁあああああ!!」
反射的に、思い当たる名前を叫んでいた。
その顔はひどく見覚えのある、だがしかし一番見たくねぇ顔――折原臨也のものだった。ノミ蟲野郎――臨也――は、来神に入学してすぐに知り合った野郎だ。・・・・できれば、知り合いたくなかったんだが。
そいつのことは、見た瞬間から気に入らなかった。いけ好かねぇ。一瞬でそんな風に思ったのは多分、ノミ蟲くらいだろう。俺たちは、会ったその日に殺し合いの喧嘩をした。・・・・結局、追いかけてる途中に俺はトラックに跳ねられちまったんだが。
次の日からうぜぇ日々が始まった。次から次へと訳の分からねぇ連中から喧嘩ふっかけられて、しかも裏で糸を引いてやがったのは全部臨也だ。何度見ても気に食わねぇとしか思えねぇような図太そうで計算高そうな表情貼り付けやがって。
とにかくうぜぇ野郎だ。何度追っかけても逃げ回って、また仕掛けてくる。あいつの精神力ってモンは、そりゃあ無意味に強くて粘っこいものなんだろうよ。そんなノミ蟲の肩が――震えてやがる。・・・・思わず、振り上げた拳を下ろして、ノミ蟲に歩み寄っていた。
「いざや、手前ェ・・・こんなところで何してやがる」
「あ・・・・シズちゃん?」
なるべく声を落ち着けて問うと、気づいたノミ蟲は恐る恐る俺を振り返り、聞き慣れたあだ名を口にした。
俺――平和島静雄を、こいつは〝シズちゃん〟と呼ぶ。俺には似合わねぇ、可愛らしい呼び名は口にされる度気色悪くてブチ切れそうになるものなんだが、今は、そんなことを言ってる場合じゃねぇみたいだ。
何せ、振り向いたノミ蟲の目は、半泣き状態だったのだから。
「おい・・・・何でこんなとこ歩いてんだよ」
初めて見た、予想もしていなかった臨也の涙目。それに柄にもなく動揺しながらもう1度訊くと、戸惑ったようにノミ蟲は言葉を紡いだ。
「あーー・・・ちょっと、めんどくさい奴に捕まっちゃってね」
「ああ?」
「いや、俺さぁ?自分で言うのもなんだけど、結構色んな人間に恨まれてるからさ?シズちゃんみたいに、しつこく追いかけてくる奴っているんだよねぇ」
「あ゛あ゛?デタラメ言ってんじゃねぇよ」
悪びれることもなく説明するこいつに眉をしかめると、ノミ蟲は引き上げていた口の端を下ろして黙り込んだ。
「・・・・・」
「臨也?」
俺にそんな考えは勿論なかったが、追い討ちをかけるように問い直すと、ノミ蟲はいじけたような表情で言い訳じみた発言をする。
「なんで信じてくれないかなぁ。俺がそういう奴だって、シズちゃんが一番知ってるはずだよ?まあ言っちゃえば、中学でも俺、今と同じようなことしてたんだよ。だから俺を恨んでる人っていーっぱい。酷い話だよねぇ」
「・・・・・・馬鹿か、手前」
「シズちゃんにだけは言われたくないなぁ・・・」
あまりにも馬鹿らしい理由にむしろ呆れる。唇を尖らせて呟いたノミ蟲の言葉を黙殺して、俺はもうひとつの疑問を投げかけた。
「・・・で、なんでそんな震えてやがんだ?」
「へ?」
「いや、だから。肩震えてんだろうが。あとすげぇ挙動不審」
言うと、何故かノミ蟲はバツが悪そうに顔を逸らした。
なんなんだ一体。そう思いつつ首を傾げると、不意に小さな呟きが耳に入ってくる。
「・・・くて・・・・」
「あ?」
「ちょっと・・・・こわくて、さ・・・」
「・・・は?」
「いや、俺さぁ、実は軽い暗所恐怖症なんだよねぇ。だから暗いトコ苦手っていうか、好きじゃないんだけど。逃げ回ってたら時間食っちゃって、しかもここどこか分かんないし」
微妙に俯けられたその顔が微かに赤らんでいて、小刻みに震える竦められた肩は何故かいつもより細くか弱く見えた。
酷く不安定で弱々しいその声に胸に違和感を覚える。
――なんだ、これ。心臓を・・・なんかに掴まれたような・・・。訳が分からねぇ。ノミ蟲を憎いと思えなくなってる・・・・・・・?
眉を顰めて考える。胸が締め付けられるような、未知の感覚に苛立つ。反応を示さない俺に不安を抱いたのかチラリとノミ蟲に見上げられて、急いで言葉を紡いだ。
「手前・・・・・・・・・家、どこだ」
「・・・・は?」
低くそう問うと、訳分かんねぇとでも言いたげな視線を向けられる。自分でもよく分からねぇまま、俺は続けた。
「手前の家だよ。どこにある」
「えっと・・・・今ここがどこか分からないから説明しようがないんだけど。多分大通りに出れば分かると思うよ?」
「・・・・そうか」
当惑しているノミ蟲の答えを聞いて、俺はそのまま歩き出した。
すると呆けていたノミ蟲は、焦ったように俺の制服の裾を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってよ!どこ行くの」
「あ?大通りだろ」
「いや、だからなんで。シズちゃんの家反対方向でしょ?」
「手前が大通り出ねぇと説明できねぇって言うからだろ」
「は・・・・?」
振り向いて答えると、ノミ蟲は更に困惑したような表情をつくる。
「意味、分かんないんだけど。何しようとしてんの、シズちゃん?」
そう訊かれて、一瞬答えるのを躊躇った。だがまあ、ここではぐらかそうとしても多分無駄だ。
俺は溜め息を吐いて、その質問に答える。
「怖いんだろ、なんか知んねぇけど」
「・・・まあ、そうだけど」
「送ってってやるよ、家まで」
「え、」
まだ何か言おうとしてるノミ蟲を遮って、俺は歩き出した。
「おら、行くぞ」
「ねぇ、シズちゃん」
「あ?」
大通りに出てから、ノミ蟲に案内されて道を歩く。不意に道案内以外のことで声をかけられて少し眉を寄せつつ隣を歩くノミ蟲を見下ろした。
「なんで送ってくれる気になったの?」
「知るか」
「無責任だなぁ」
「何がだ」
いや別に、と、いつものムカつく顔で返される。普段ならここで俺はブチ切れて、街灯でも何でも引っこ抜くんだろうが・・・何故か今は、そんな気は起こらなかった。
「ねぇ、シズちゃん」
さっきと同じ台詞で、1度途切れた会話をまた持ちかけられる。面倒だが、ノミ蟲に視線を遣って答えた。
「何だ」
「手、繋いでいい?」
「ふざけんな」
季節は秋。それは、またあらぬ喧嘩をふっかけられて、学校の備品をぶっ壊してきた日のことだった。
俺は売れらた喧嘩にブチ切れてそれを買ってやったせいで、いつもより来神学園を出るのが遅くなり、7時頃にやっと家に向かって帰路を歩いていた。
秋の夜7時といやぁ、結構暗い時間帯だ。この辺はどでかいビルに挟まれた路地ばっかで、池袋ん中でもかなり人通りが少ねぇ。大通りから漏れてくる灯りと月明かりを頼りに歩くしか他ねぇような場所だ。そんな中で、見覚えのあるような無いような――そんな背中を見つけた。挙動不審もいい所な様子できょろきょろと周囲を見回しながら不安げに歩いているその背中は、暗がりでも分かるくらいに怯えているように見えた。
ふと、そいつの頭部が街灯と月とに照らされて、忙しなく首を振ってるせいか俺の視界に顔が映し出された。
「いざやぁあああああ!!」
反射的に、思い当たる名前を叫んでいた。
その顔はひどく見覚えのある、だがしかし一番見たくねぇ顔――折原臨也のものだった。ノミ蟲野郎――臨也――は、来神に入学してすぐに知り合った野郎だ。・・・・できれば、知り合いたくなかったんだが。
そいつのことは、見た瞬間から気に入らなかった。いけ好かねぇ。一瞬でそんな風に思ったのは多分、ノミ蟲くらいだろう。俺たちは、会ったその日に殺し合いの喧嘩をした。・・・・結局、追いかけてる途中に俺はトラックに跳ねられちまったんだが。
次の日からうぜぇ日々が始まった。次から次へと訳の分からねぇ連中から喧嘩ふっかけられて、しかも裏で糸を引いてやがったのは全部臨也だ。何度見ても気に食わねぇとしか思えねぇような図太そうで計算高そうな表情貼り付けやがって。
とにかくうぜぇ野郎だ。何度追っかけても逃げ回って、また仕掛けてくる。あいつの精神力ってモンは、そりゃあ無意味に強くて粘っこいものなんだろうよ。そんなノミ蟲の肩が――震えてやがる。・・・・思わず、振り上げた拳を下ろして、ノミ蟲に歩み寄っていた。
「いざや、手前ェ・・・こんなところで何してやがる」
「あ・・・・シズちゃん?」
なるべく声を落ち着けて問うと、気づいたノミ蟲は恐る恐る俺を振り返り、聞き慣れたあだ名を口にした。
俺――平和島静雄を、こいつは〝シズちゃん〟と呼ぶ。俺には似合わねぇ、可愛らしい呼び名は口にされる度気色悪くてブチ切れそうになるものなんだが、今は、そんなことを言ってる場合じゃねぇみたいだ。
何せ、振り向いたノミ蟲の目は、半泣き状態だったのだから。
「おい・・・・何でこんなとこ歩いてんだよ」
初めて見た、予想もしていなかった臨也の涙目。それに柄にもなく動揺しながらもう1度訊くと、戸惑ったようにノミ蟲は言葉を紡いだ。
「あーー・・・ちょっと、めんどくさい奴に捕まっちゃってね」
「ああ?」
「いや、俺さぁ?自分で言うのもなんだけど、結構色んな人間に恨まれてるからさ?シズちゃんみたいに、しつこく追いかけてくる奴っているんだよねぇ」
「あ゛あ゛?デタラメ言ってんじゃねぇよ」
悪びれることもなく説明するこいつに眉をしかめると、ノミ蟲は引き上げていた口の端を下ろして黙り込んだ。
「・・・・・」
「臨也?」
俺にそんな考えは勿論なかったが、追い討ちをかけるように問い直すと、ノミ蟲はいじけたような表情で言い訳じみた発言をする。
「なんで信じてくれないかなぁ。俺がそういう奴だって、シズちゃんが一番知ってるはずだよ?まあ言っちゃえば、中学でも俺、今と同じようなことしてたんだよ。だから俺を恨んでる人っていーっぱい。酷い話だよねぇ」
「・・・・・・馬鹿か、手前」
「シズちゃんにだけは言われたくないなぁ・・・」
あまりにも馬鹿らしい理由にむしろ呆れる。唇を尖らせて呟いたノミ蟲の言葉を黙殺して、俺はもうひとつの疑問を投げかけた。
「・・・で、なんでそんな震えてやがんだ?」
「へ?」
「いや、だから。肩震えてんだろうが。あとすげぇ挙動不審」
言うと、何故かノミ蟲はバツが悪そうに顔を逸らした。
なんなんだ一体。そう思いつつ首を傾げると、不意に小さな呟きが耳に入ってくる。
「・・・くて・・・・」
「あ?」
「ちょっと・・・・こわくて、さ・・・」
「・・・は?」
「いや、俺さぁ、実は軽い暗所恐怖症なんだよねぇ。だから暗いトコ苦手っていうか、好きじゃないんだけど。逃げ回ってたら時間食っちゃって、しかもここどこか分かんないし」
微妙に俯けられたその顔が微かに赤らんでいて、小刻みに震える竦められた肩は何故かいつもより細くか弱く見えた。
酷く不安定で弱々しいその声に胸に違和感を覚える。
――なんだ、これ。心臓を・・・なんかに掴まれたような・・・。訳が分からねぇ。ノミ蟲を憎いと思えなくなってる・・・・・・・?
眉を顰めて考える。胸が締め付けられるような、未知の感覚に苛立つ。反応を示さない俺に不安を抱いたのかチラリとノミ蟲に見上げられて、急いで言葉を紡いだ。
「手前・・・・・・・・・家、どこだ」
「・・・・は?」
低くそう問うと、訳分かんねぇとでも言いたげな視線を向けられる。自分でもよく分からねぇまま、俺は続けた。
「手前の家だよ。どこにある」
「えっと・・・・今ここがどこか分からないから説明しようがないんだけど。多分大通りに出れば分かると思うよ?」
「・・・・そうか」
当惑しているノミ蟲の答えを聞いて、俺はそのまま歩き出した。
すると呆けていたノミ蟲は、焦ったように俺の制服の裾を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってよ!どこ行くの」
「あ?大通りだろ」
「いや、だからなんで。シズちゃんの家反対方向でしょ?」
「手前が大通り出ねぇと説明できねぇって言うからだろ」
「は・・・・?」
振り向いて答えると、ノミ蟲は更に困惑したような表情をつくる。
「意味、分かんないんだけど。何しようとしてんの、シズちゃん?」
そう訊かれて、一瞬答えるのを躊躇った。だがまあ、ここではぐらかそうとしても多分無駄だ。
俺は溜め息を吐いて、その質問に答える。
「怖いんだろ、なんか知んねぇけど」
「・・・まあ、そうだけど」
「送ってってやるよ、家まで」
「え、」
まだ何か言おうとしてるノミ蟲を遮って、俺は歩き出した。
「おら、行くぞ」
「ねぇ、シズちゃん」
「あ?」
大通りに出てから、ノミ蟲に案内されて道を歩く。不意に道案内以外のことで声をかけられて少し眉を寄せつつ隣を歩くノミ蟲を見下ろした。
「なんで送ってくれる気になったの?」
「知るか」
「無責任だなぁ」
「何がだ」
いや別に、と、いつものムカつく顔で返される。普段ならここで俺はブチ切れて、街灯でも何でも引っこ抜くんだろうが・・・何故か今は、そんな気は起こらなかった。
「ねぇ、シズちゃん」
さっきと同じ台詞で、1度途切れた会話をまた持ちかけられる。面倒だが、ノミ蟲に視線を遣って答えた。
「何だ」
「手、繋いでいい?」
「ふざけんな」