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きくちしげか
きくちしげか
novelistID. 8592
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道程。

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「帝人くーーーん!」
暑い夏の終わり、池袋の街中に少し高めの声が響いた。
呼んだ本人は手を振り、呼ばれた本人は携帯を見つめていた。
「帝人くーん。みーっけ。」
帝人は声がするほうに一度も顔を向けない。
「ねえねえ、帝人君お願いがあるんだけどさー。」
携帯のボタンを親指で器用に扱う。いったん手を止める。メールを送信し終わった帝人の携帯が待ち受け画面に戻る。
正臣と杏里が二人で並んでいる間に小さく自分が写っている写真だ。帝人が今一番気に入っている写真。
ふっと笑顔がこぼれると目の前が真っ黒になった。
「うれしいなあ、俺と会ったことをそんなに喜んでくれて。」
帝人は視界に入った不自然な格好をした黒い髪の男のおでこを手刀で叩いた。
おもいっきり振りかぶって。
「おおおおおおお!!帝人君何すんの?!頭われちゃうって?!」
「われればいいのに何ですか臨也さん。」
臨也は一瞬目を見開いたが、何事もなかったように背筋を伸ばして首筋を伸ばすように左右に振った。
「お願いがあるんだよねー。」
「いくらくれますか?」
池袋にも慣れてきた帝人は目の前の黒い有名人に親指と人差し指で丸の形を作って差し出しながらそう訊ねた。
「何、俺がお金欲しいくらいなんだけど。まあ帝人君ならタダでいいよ。」
帝人が丸を作った手をぐっと臨也の頬に押しつけた。
「これしだいです。」
帝人の目がすわってきた。
「んもうー。私と太郎さんの仲じゃないですかぁ。依頼の内容を聞いたらお金なんて要らないって思いますからぁ。むしろ甘楽にお金上げたくなっちゃいますよ。ああ、でも甘楽そんなにふしだらな女じゃないですからね!プンプン。」
腰に手をやっておかしな口調で話しながらくねくねとする臨也の動きを止めるために、帝人はひざの後ろを蹴りつけた。
臨也ががくりと膝をつく。
「ちょ、今本気・・・。」
「僕はいつだって本気です。とりあえず聞いてあげますから早くそのお願いとやらを言って下さい。場合によっては何とかしますから。」
と膝を着いた臨也におでこに向かって丸の字にかたどられた手を突き出しぐいぐいと押し付けた。
「今月結構厳しいので。」
力強く押し付けてくる帝人の手をうれしそうに受けながら臨也が笑顔になる。
「照れちゃっ、いたたた。」
「早く言って下さい。人が集まってきちゃうでしょ。」
帝人の前でひざまずく池袋の有名人(ただし新宿在住)を地味な高校生が踏みつける姿はしかし、意外と見慣れた光景になってきた。
臨也は服のほこりをはらって、立ち上がり小さく咳払いをした。
「帝人君。君に俺の童貞を捧げようと思う。」
臨也がまじめな顔で見つめると、帝人の顔からは表情が無くなった。
「君と出会ってから、ううん、君と出会う前からずっと君を追いかけてきたんだ。この気持ちをどう伝えたらいいかずっと考えていたんだ。で、最近やっと決心がついたよ。夏も終わるし、俺の一番大事なものを君にあげたいんだ。だから貰ってくれないか。俺の、童貞を。」
「臨也さん・・・。」
帝人は思わず臨也の手をとった。目と目を合わせ人通りの多い池袋の街中で、そこだけ時間が止まったようだった。
「臨也さん。」
「なんだい?帝人君。」
眉目秀麗な臨也が帝人をじっと見つめる。帝人は柔らかい表情で臨也を見つめた。
「童貞なんですね。」
帝人の顔にきれいな微笑が浮かぶ。臨也は顔を少し赤らめた。
「・・・うん、そうなんだ。23歳独身。今まで付き合った人は皆無。もちろんキスすらした事が無い。そうだよ、君と出会うまでずっととっておいたんだ。だから君に全部あげるよ。」
帝人がさらに満面の笑みになる。
「俺の気持ち、わかってくれ・・・」
臨也が最後まで言い終わる前に帝人がぱっと片手を上げた。
「臨也さん、童貞ですって!静雄さん、聞きました?」
帝人の言葉に臨也がはっと息を呑んだ。
「し・・・ず・・・お???さん????」
気配を感じてゆっくりと後ろを向くと片手に標識、片手にタバコを持った池袋の有名人(地元在住)が鼻を膨らませてタバコをくわえていた。頬を膨らませ鼻から煙が出ている。
周りの歩行者はあまり見慣れない風景に一瞬戸惑った。池袋最強の二人が、一方は地味な高校生に手を取られ、一方は宿敵を目の前にしながら標識片手に笑いをこらえている。
「いーざーやーくんってーっどーていなんだー。」
言い終わるとサングラスの奥にきらりと光る澄んだ瞳には、笑いをこらえたために涙が溜まっていた。
「童貞なんですね。うん、童貞なんですね。」
大事なことなのか、二回言った帝人のほうに臨也が向き直った。
「ちょ、なんで静ちゃんがいるの?何だよこれ!ああ、そうだよ、童貞ダヨ!いいじゃないか!この風紀の乱れたコンクリートジャングルで、乱れているように見える情報屋という職業を営む俺が、本当の愛を見つけるまでと思ってずっと貞操を守って生きてきたんだから!そりゃぁ何度か甘楽やられちゃう!的な危機はあったよ!でも本当の愛を見つけるまではって、ちょ、二人とも何笑ってんの?!第一、帝人君だってどうみてもどうていててててっ!痛い!」
「僕、高校生ですから当たり前じゃないですか。」
呆れた帝人が臨也の膝を何度か蹴ったらしい。
帝人から膝を少し遠くに置いて臨也が帝人の肩に手を乗せ叫んだ。
「そうだけどさ!別にいいじゃないか!大事な童貞、大切に守ってきたんだから褒められこそすれ、バカにされる筋合いはないよ!だから言っただろ?!君のためにとっておいたって!」
後ろで笑いをこらえるために先ほどから口を閉じて鼻から大量の煙を出している静雄が臨也の視界に入る。はっとして指を刺した。
「だいたい、静ちゃんだって童貞でしょ?!あんな化け物が女の子とやれるわけないじゃないか!」
帝人が後ろを振り向くと突然ふられた静雄が口からぷっとタバコを噴出した。噴出したタバコはものすごい勢いで臨也の頬をかすめていった。
「静雄さん、童貞なんですか?」
帝人は小首をかしげて静雄に聞いた。その問いかけに静雄が少しだけずれたサングラスの位置を指で戻した。
「や、おれ、高校の時トムさんに連れて行かれた店で童貞捨てた。」
臨也がふぬっと鼻から息を吐いた。
「何それ?!風俗?風俗で捨てたの?!最低だね静ちゃん。不潔、みだらだよ!愛が無いよ!ラブレスだよ!これだから都会の高校生は!純愛がなさ過ぎる!いやっ不潔!」
臨也はそう叫んで着ていたコートを肩から腕まではずすと自分の体に腕をまわして天を仰いだ。静雄がちっと舌打ちをする。
「しょうがねえよ。だって、俺なんかと付き合ったら、女の子壊しちまうじゃねえか・・・。だからトムさんが、女の扱いを覚えろって。それでトムさんの知り合いの店に行った。」
言い訳する風でもなく淡々と話す静雄に帝人の非日常ラブメーターが振り切った。
「なんかかっこいいです静雄さん。で、どうなんですか?ちゃんとできたんですか?」
臨也が信じられないという顔で帝人を見る。
こんな所で童貞喪失の話をするとは思わなかった静雄は口元を隠して帝人の視線から逃れるように顔を背けた。
「まあ、うん。良い女だった。やさしくて・・・その、ちゃんと・・・できるまで・・・って何言わすんだよ。」
作品名:道程。 作家名:きくちしげか