はれんち
「入るよ旦那ー」
扉を開けると、そこは破廉恥でした。
ではなく。
旦那が女中たちに囲まれて着物を剥ぎとられかけていた。
女物の。
「さ、佐助ぇ!!」
何も見なかったことにして戸を閉めてしまいたかったが、あまりのことに反応が遅れてしまった。こちらを振り返ったほとんど涙目の旦那と目が合う。
その目は口を開くまでもなく、雄弁に語っていた。
・・・助けてくれと。
「あらあ、猿飛様」
旦那を取り囲む女中の一人が、こちらに気付いて口許を袖で押さえ、くすくすと笑った。
「ただいまこのお部屋は男子禁制となっておりますわ」
そこかしこから聞こえる忍び笑いの声の主の手は、旦那の着物を剥いでいるのではなく着せているようだ。それを旦那が渾身の力(対女子用)で防いでいる、と。
その結果が、肩丸出しの半裸状態。
・・・結構、クる光景だ。
涙目で半裸で女物の着物。しかも見返りの姿勢。髪も解かれている。それが真田の旦那だろうが、否、旦那だからこそ。
かなりやばいと言わざるを得ない。
前から思っていたが、旦那はよく見てみると意外に中性的な顔立ちだ。大人しくしとやかに振る舞えばきっと別人に見違えるだろう。
そんな旦那にこんな格好。赤に花をあしらった意匠の小袖は旦那にとても似合っている。
女中の誰かが言い出したのだろうが、全力でよくやってくれたと言ってやりたい。着物を着せるのに手間取っているなら手を貸してもいい。
と、そんなことを考えていたのだが、端からは呆然としているように見えたらしい。
「佐助ェ!!ぼけっと見ておらぬで助けろ馬鹿者ッ!!」
「猿飛様もお見惚れになってらっしゃるようですよ、幸村様」
「大人しくしていて下さいまし、幸村様」
「な、何を―――ッ!?」
“猿飛様もお見惚れに”の辺りで見事に動揺した隙をついて、女中達は素晴らしい手際と連帯感で素早く完璧に着物を着せてしまった。旦那が遅れて気付いて、ぬおっ、とか言っている。
キュッときつく縛られた帯と慣れない足元に邪魔されて、旦那は綺麗にすっ転んだ。
「お美しゅうございますよ、幸村様」
「女のわたくし共から見ても惚れぼれ致します」
「約束通り今日一日はそちらのご格好でいらして下さいましね」
「武士に二言はないのでございましょう?」
すっ転んでからまるで立てない旦那に手を貸しているうちに、女中達は小鳥の囀りのような笑い声を残して、しとやかに礼儀正しく去っていった。くすくす、という余韻が部屋に残っているような気がする。まるで小さな嵐だ。
「く・・・男の恥っ・・・!」
血を吐くかのようにそう言って、胡座がかけないために正座をして膝の上で拳を握る旦那に恐る恐る声をかける。
「・・・だ、旦那。何がどーなってこんなことに・・・?」
次の瞬間話しかけたことを後悔した。今までで一番の大打撃だ。
・・・涙目・上目遣いの組み合わせは後生ですからやめてください幸村様。
余りに一般的すぎるこの組み合わせが、こんな破壊力を持つとは知らなかった。無意識に顔にはっつけていた強張ったへらへら笑いが更に引き攣る。
これは試練か。試されているのか俺様は。主に理性を。
そんな思いが渦巻いているとも知らずに、旦那は俯いてぽつりと口を開いた。
「・・・最近鍛錬のために少し遠出しておるのは知っておるだろう」
「はあ」
何の関連があるのかわからず、そんな応えが漏れる。
いい鍛練の場を見つけたとかで、旦那は裏の山の開けた場所まで毎日出掛けていくのだ。熱中しすぎて気付かぬうちに日が暮れてしまい、城の者が迎えに行ったことも一度や二度ではない。
そういえば女中達も幸村様の帰りが遅いと嘆いていたような・・・。
「女中らに言われたのだ。次に帰りが遅くなればなんでも言うことを聞いてもらうと」
「あー・・・」
納得。その結果がこれか。
しかし女中達は前々から計画していたに違いない。皆旦那のことは小さな弟か息子のように可愛がっているのだ、このくらいのことはしてみせるだろう。この小袖も恐らく旦那に似合うよう仕立てたものだ。
女の力は恐るべし。旦那もそれを痛感したのだろう、
「女子とはまっこと強いものだな・・・。まつ殿がお強いのもわかるというものだ・・・」
とかなんとか、遠い目をして言った。
いやはやしかし、目の毒なんだか目の保養なんだかといった感じだ。赤い小袖で正座をしてちょこんと(若干補整がかかっている気もするが)座っている姿は、贔屓目なしに愛らしい。脳内で別のことに逃避でもしていないと思わず―――
いやちょっと待て。
待て待て待て、これは旦那だ。生唾飲み込むな俺。帰ってこい俺。
「で、―――で、旦那は約束守れなかったからこんなことになってんだ」
いつの間にか口の中がからからだった。どんだけ切羽詰まってんだよ。
「うむ・・・女子との勝負に負けるとはなんと不甲斐ない・・・」
「やー勝負じゃないっしょ。そんで旦那、いつまでそのカッコしてんの?」
問題はそこだった。俺は不幸にも聞いてしまったのだ、女中の一人が言った“約束通り今日一日その格好で”という言葉を。
それはまずい。非常にまずい。主に理性が。下手すると、今日一日中天井裏か屋根の上で過ごすことになる。どうか聞き間違いでありますよう―――。
しかし淡い期待は脆くも崩れ去った。
「今日一日だ」
「ぐっ」
思わず呻き声が漏れた。
旦那はそれには気付かず、暗い顔で言葉を続ける。
「しっかり釘を刺されてしまった・・・”期限は本日一日中、何をしていても構いませんが途中で着替えたら夕餉は抜き”」
でございます、というわけか。
女中達よ、さすが旦那の弱点をわかっている。”夕餉抜き”、それだけでなんでもする男だ、真田の御次男様は。
それにしても―――そんな顔をしていると本当に女の子のようだ。
錯覚だろうがいつもより体も小さいように見えるし、解かれている髪が俯いた顔にかかって良い具合に影を作っている。どこぞの町娘と言って通じそうだ。
何より好みで、
―――だから待てってば俺。
「佐助」
「だっ!?な、何?」
突然がばりと顔を上げて名を呼ばれる。心臓止まるかと思った。
挙動不審になった俺を胡乱げに見てから、旦那は急に真剣な顔になって仕切りなおしのようにもう一度名を呼んだ。
「佐助。頼みがある」
「は、はい。なんですか?」
「このような情けない格好ではろくに外も出ることは出来ぬ―――もとより出るつもりはないが」
なんだか嫌な予感がふと頭を通り過ぎようとしている。
「昼餉も菓子も女中が持ってきてくれる手筈だ。だが―――」
そのまま通り過ぎていってくれることはなく、頭の中に留まり。
「一人で部屋に篭っているのも暇でな」
それは膨らみ。
「部屋の中では鍛錬も出来ぬし」
膨らみ、膨らみ。
「だから―――」
的中した。
「今日一日、俺の部屋にいてくれぬか」
「駄目です」
即答した。
当たり前だ、こんな格好の旦那と一日一緒に?どんな気の迷いを起こすかわからない。わからないところが怖い。