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 叫んでいるのは自分だと思った。




「――――っ!」
 分厚い鏡を通したような滲んだ景色の向こう側で、誰かが必死に叫んでいた。
 無茶苦茶に暴れて泣き叫び、抵抗している小柄な彼を、白衣を纏った幾つもの腕が無理やり押さえ付けて動きを封じている。暗闇から伸びる白い腕は恐怖を煽り、さながら蛇のように卑しくしつこく纏わり付いて四肢に絡み付いていた。
「嫌だ! やぁっ……離して……っ!」
 絶叫する彼は細い身体の何処に力を秘めているのか、数人掛かりで押さえ付けられようとも死に物狂いで繋縛を払い除け、頭や胸に装着された心電図のコードを引き千切って診察台の上から逃げ出そうとした。しかし多勢に無勢、室内に待機していた兵達の合流によって忽ち身柄は拘束され、再び無機質な台の上に引き摺り戻される。
 鎮静剤の投与だ! と白衣の老人が叫ぶと、すかさず部下らしき若い男が注射器の準備を始めた。ガラスの小瓶から針を通して注射器の中に透明な薬品が満たされていくのを、漆黒の瞳を持つ彼は絶望の面持ちと恐怖に怯え切った眼差しで見詰め、新しい涙を頬に伝わせた。
「っぅ……!」
 細い腕を捲り上げられ、興奮作用を抑える薬物が体内に注がれる。即効性のあるそれは忽ち彼の意識を霞め、身体の自由を奪った。
「……っん」
 ぐったりと診察台の上に横たわった彼は、それでも唯一放恣を許された涙だけを抵抗の証のようにぼろぼろと零し続けている。
「っ……いや、だ……わたし、は……わすれたくないっ!」
 朦朧とする意識の中で舌を噛んででも正気を保とうと言うのか、きつく噛み締めた唇の端からつうっと鮮血が滴り落ちて行った。直ぐに意図を察した白衣の指先が口内に指を捻じ込み、強制的に自害を阻止する。ガチガチと鳴っていた歯からも次第に力が抜けて行き、顎力の薄れた口腔から指先が引き抜かれると微かに開いた唇の端から鮮血の混じった唾液がたらりと零れ落ちた。
 彼の四肢を押さえ付けていた無数の腕が、鎮静した様子を見計らって闇の中に戻っていく。硬い診察台の上に独りぼっちで取り残された彼は疲弊と衰弱でボロボロになって打ち捨てられた人形のようだった。
「……にーに……」
 最後の力を振り絞って、彼は精一杯声を絞り出す。半分以上瞼の下りた瞳は意思の光を失い死んだ魚のように混濁しており、殆ど無意識の内に発されているのだろう声は、彼の心の一番深い場所に刻み込まれた記憶だった。声帯を振るわせる力すら無くなり、唇が動かなくなっても、吐息だけで何度も何度も呼びかける。
 にーに……にーに……。
 たすけて……にーに……っ。
 聴覚する事は出来なくとも、胸の内側にダイレクトに響いてくる。自分の名を呼ぶ弟の声が、たすけてと救いを求める瀕死の訴えが、次元を越えて肉声よりもリアルに胸を抉るのだ。
 周囲に散らばる白衣を着た研究員達は神経固定だ、ブロッキング剤注入、と忙しなく指示を飛ばしながら横たわる弟に次々と仰々しい装置を装着していった。誰も彼を命を宿した生命体と認識していないのか、人形を扱うかの如く等閑に事務的に作業をしている。生身の肌が見えなくなるまで機械に覆われ、コードに繋がれていく様は、まるで無機質の機械に食われていくようでもあり、ぞっと背筋が凍り付くようだった。
 顔面の半分を隠すゴーグルが頭部に装着される寸前、濡れた睫毛に溜まっていた涙が一気に滴下していった。
 薄く開いた唇が微かに震えて、彼自身の最後の言葉を紡ぐ。しかしその声を聴き止める者は誰一人として居なかった。
「――――っ!」
 ガシャン、と派手な破壊音が鳴り響き、一瞬前まで目の前にあったパソコンのディスプレイが宙に吹っ飛ぶ。気が付いた時にはもう機械は物言わぬ瓦礫となっており、足元の硬い床に転がっていた。落下の衝撃で破損した背面からは小さな螺子やコードが飛び出し、まるで内臓を撒き散らして死んでいるようにも見えた。
 重い液晶画面を腕で薙ぎ払った代償は大きく、耀は獣のような荒い息遣いで全身で呼吸をしている。中途半端に椅子から立ち上がった格好のままテーブルに手を付いて小刻みに痙攣している肩からは紅蓮の炎を思わせる憤怒のオーラが立ち上っていた。
「……これが、俺の知っている全てだよ」
 動画を再生するプレーヤー本体から一枚のディスクを取り出したアルフレッドは、翳りを帯びた面持ちで秀麗な眉宇を曇らせる。伏せた視線を微かに流して年上の同僚の様子を盗み見ると、長い前髪を前に垂らして背中を硬直させている後姿が空色の瞳に映った。
「ヤオ。覚悟を決めてくれ」
 敢えて語調を強め、アルフレッドは厳かに言い放つ。今から自分がどんなに残酷な事を口走ろうとしているのかという自覚はあった。だけどどんなに胸が痛んでも、息が苦しくても、自分が言わなくてはいけないのだ。それは望まずとも親友を貶める片棒を担いでしまった自分に出来る、せめてもの償いだった。
「菊はもう、俺達の知っている菊じゃない」
 大枚を叩いて漸く入手した証拠映像の中に残っていたのは、最悪の想像として覚悟を決めていた予想を遥かに凌駕する卑劣な記録だった。余りに残酷過ぎて現実味を帯びず、ドラマか映画を観ているような気分にも陥る。しかし画面に映っている人物は紛れも無く大切な親友の姿なのだ。
「彼は……菊は、強制的に記憶を排除されて、洗脳を施されて……俺達の事を忘れてしまった」
 世界大戦の前。
 国家として戦線に参加する事を最後まで反対し続けた自国の象徴に対し、国の上層部は信じれないような強行手段に出た。
 闘いを拒む菊を拘束・監禁し、脳味噌に直接刺激を与えて都合の悪い記憶を破壊する代わりに暗示を植え込んで、人形のように従順な殺戮マシンへと人格改造を施したのだ。
 国の象徴である彼が戦いの意を見せれば、おのずと国家の士気も高まり、人々の意識も反戦の割合から好戦派へと展開していく。しまいには国民全体が病的なまでの洗脳状態に掛かり、諸外国を徹底的に敵対視する先入観が植え込まれていった。
「これで合点がいったかい? 戦場で合間見えた菊が、本気で君を殺そうとした事」
「…………」
 耀は苦渋の滲んだ面持ちでギリリと歯を食い縛る。
 脳裏に蘇っていたのは、茜色に染まった空の下で微笑むいつかの菊の笑顔だった。
 夕陽に透けて紅を帯びた兄の虹彩を、弟は綺麗だと言って微笑った。紅は私の一等好きな色ですと微かに頬を染めて、照れ隠しのようにふっと潤んで煌めいている瞳を伏せる。
 しかし最後の記憶にある菊の瞳は、冬の海よりも冷たく闇く濁っていた。
 ――その瞳、何て禍々しい色なのでしょう。
 火の粉の舞い踊る戦場の片隅で相対した弟は、凡そ以前の彼からは考えられないような酷薄さを身に付けていた。
 まるで身体から溢れ出したばかりの血みたいですねとクスクス微笑いながら、鮮血に濡れている頬は返り血なのか、右手に下げている太刀からも絶えず紅い雫を滴り落としている。煌々と燃え盛る炎を背中に纏った姿は悪鬼の如く壮絶ですらあった。
 どす黒い飛沫の散った白い軍装を纏った菊は、深手を負った耀の傍までゆっくりと歩を進めながら歌でも歌うかのように高らかに言い放つ。
 ――とても嫌な色。おぞましい色。
 きらい。
 きらい。
作品名: 作家名:鈴木イチ