紅
私の国を脅かす、憎い敵国の紅い旗。
「きく……?」
多量の出血と、それ以上に目の前で起こっている事実を信じられず、地べたに膝を付いたまま動けないでいる耀の手前までやって来た菊は、躊躇い無く手にしていた日本刀を頭上まで振り上げた。
……あの時、ぎりぎりのタイミングでアルフレッドが駆け付けて来なければ、きっと自分はあのまま菊の手に掛かっていたのだろうと思う。何も知らないまま最愛の弟の手によって致命傷を受け、昏倒していたかも知れないのだ。
「どう、したら……」
どうすれば菊の心を取り戻せるのか。
古びた映像の中の弟は、何度も何度も「にーに」と繰り返していた。貴方を、貴方達の事を、大切な思い出達を忘れたくは無いのだと声にならない声でたすけてと叫んでいた。泣きながら自分の名前を呼んでいた。
何度も呼ばれていたと言うのに、何故自分は気付く事無くのうのうと暮らしていたのだろう。何故彼の傍に駆け寄ってあげられなかったのだろう。何故独りぼっちで怖い思いをさせてしまったのだろう。どれだけ悔やんでも悔やみきれない。
今でも菊は孤独の闇の中で泣きながら、助けを求めているに違いないのだ。
「残念だけど、一度壊れてしまった記憶は、もう二度と」
「否」
アルフレッドの言葉を遮り、耀はきっぱりと言い放った。
「取り戻してみせるね。絶対に」
間に合わなかった自分を悔いていつまでも悲愴に暮れている暇は無い。悩んでいる時間があったら少しでも菊の記憶を戻す為の努力をする方がずっと建設的だった。
「……あいつが我を忘れるなんて、絶対に許さないあるよ」
ギリギリと握り締めた拳を力任せにテーブルに打ち付け、耀は怒気を滾らせて前方を睨み付ける。
瞼の裏には自分の瞳を好きだと言ってはにかむ菊と、嫌いだと冷ややか嘲笑した彼の顔がだぶって見えた。
(必ずたすけてやるね……)
暗闇の底から引きずり出して、もう一度我の菊に逢うのだ。
絶対に取り戻してみせる。
そう硬く胸に誓い、耀は手の平に爪が食い込むほど強く拳を握り締めた。