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逃げて追いかけた、その後は?

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02:君と過ごした日々はすべて無駄だと言うの?


全速力で走った。逃げたと思われても構わなかった。例え、背後に追ってくる気配が無くとも臨也は走り続け、電車に飛び乗り現在の本拠地となっている新宿へと戻った。そして、事務所に駆け込むなりドアの鍵をロックした。元からついているものと臨也が新たにとりつけたものの全てに鍵をかけた。しかし、あの男相手にはどんなに強固な鍵でも玩具のようなものだと十分すぎるほどに知っている。それでも、臨也はそうせずにはいられない心境にあったのだ。吐き出す呼吸以上に心臓の音が煩く、呼吸もままならない己に臨也は苛立ちを隠しきれないでいる。 ――いつもならどんなに全速力で走っても、ここまで疲れる事は無い。見た目は一般の成人男性よりも華奢ではあるが、『自動喧嘩人形』という異名のついた男と対抗できるくらいの筋力と瞬発力を臨也は兼ね備えている。故に、臨也の筋力は見た目に反して一般人のそれを軽く上回る。だが、今の臨也はその全ての筋力と力を振り絞って走って帰ってきていた。そこにいつもの余裕めいた表情はなく、息苦しさと合間って表情はいつになく歪んでいる。
「……ッ、ぁ……」
走って帰ってきたからか汗でべっとりとぬれたシャツが気持ち悪い。シャワーでもして全てを洗い流したいという気持ちはあるのにどうしようもない倦怠感が体に圧し掛かるせいでバスルームへと行く気力がない。もういい後で風呂に入る、絶対に入ると思いながら臨也は寝室までの距離を歩くことができず、ソファに倒れこんだ。クッションが軋む様子を肌身で感じながら、温度調節がされている部屋の中に長時間あるそれはひんやりとした冷たさがあった。それは常とは異なり沸騰していた臨也の頭を徐々に冷まし、同時に常の落ち着きを取り戻させていく。そして、若干なりと冷静さを取り戻した頭が先程の内容を再生し、おぞましさに体を震わせた。
「あああぁぁあああああ!!!」
それはまさに悲鳴そのものだった。そんな叫びをあげなければ、自我を保っていられなかったのかもしれない。そう思わせる程に静雄の言動は臨也の思考から大きく外れていたのだ。夢だと思いたいという叫びが心の中に沸き起こる。しかし、今から程遠くない時間に伝えられた言葉は過去に起きた事であって、決して夢ではなかった。何故なら、臨也はそれを一度も夢に見た覚えがないからだ。そのせいもあってか、全身を襲う震えが徐々に戻りつつあった平常心を再び失わせていく。
臨也は頭を振った。つい今しがた我が身に訪れた出来事をそうする事で消し去ってしまいたかった。だが、どんなに頭を振っても『好きだ』という見知った男の声が脳内に響いて離れていかない。一体何があればそんな感情を抱くことになるのか、臨也には全く理解ができない。否、理解したくもなかった。何故なら臨也は彼にそんな言葉も感情も求めていなかった。おそらく一生涯交わることのない苦手な相手であり、最も嫌悪すべき対象。それがお互いの中で出来上がった暗黙のルールだった。今になってそのルールが覆されることなどあってはならないのだ。認めたくない、認められない。告げられた言葉の恐ろしさに加え、その中に内包されている感情への恐怖に臨也はまたしても体を震わせた。
「気持ち悪い……気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
まるで怨嗟の声の如く臨也は呟いた。呟き、続けた。己と他人との間に生温かい関係など不必要である。ましてやそれが臨也の愛する人間からではなく、嫌悪している化け物相手ならば尚更だ。臨也は思った。捨ててしまえ、消してしまえ、壊してしまえ、と。高校からずっと続いていた関係の全てをどこかに置き忘れて、おぞましい言葉を吐き出してしまった静雄という存在をなかったことにするために。真っ暗な部屋の中で白く浮かび上がる手には、彼が愛用しているものが握られていた。