射抜かれたのは
時間が止まったようだ、というのはこういうときにつかう言葉なのだろうと思った。息をすることすら憚られるような、まさにぴんと張り詰めた弦のような空気の中。放たれた矢はそうなることが当たり前であるかのように、まっすぐに的へと吸い込まれていく。
パン!という小気味よい音と、固唾を呑んで見守るギャラリーから発せられる「よし!」という掛け声。射をしている人は他にもいるというのに、そこは彼のみの空間のようだった。きらきらと輝く髪が、的を射る鋭い瞳が、美しい射形をかたちづくる逞しい両腕が。彼を形成する全てに目が奪われてそらすことができない。綺麗だと思った。格好良いとも思った。それだけでは足りない、言葉では表現しきれない何かがそのひとにはあった。
(……あ、っ……)
4射目。最後の矢が放たれる瞬間。限界を迎えた弦がぶつりと切れ宙を舞う。ざわりと空気を揺るがせた周りの者などまるでないかのように、彼はその表情を少しも動かさず、3射目までと同じように綺麗な残心をとる。
「よし!」
また、同じ学校の人たちから的中の掛け声が上がる。
視線ごと、心まで奪われたかのように。
―――僕はそのとき恋におちた。
「…勝手なモノローグ入れないでくれる」
「帝人の話聞いてると、そうとしか聞こえないんだっつーの!」
可愛い女の子ならともかく、なんで野郎に見とれるかね?ブツブツと呟く幼馴染―――紀田正臣に「置いてくよ」と声を掛け、僕は足を速めた。
あの人を見たのは、入部してすぐの春の大会のこと。
季節は巡って、今は夏のはじめだ。あのあと、彼の射を初めて見た、あのあと。正臣にからかわれながらも、僕は必死であの人について調べた。
蓋を開けてみればそんなに必死に調べる必要もなくて、情報はあっさりと僕のもとに入ってきた。なにしろ、有名人だったからだ。彼は……平和島静雄さんは。
入賞者の常連であるのもさることながら、その容姿と……少々…多少?……いや、かなり喧嘩っ早い気性がたびたび問題視されているらしい。
それでも彼が道場を出入り禁止などにはならないのは、やはり圧倒的なその実力があるからだろう。的中率が高いのはもちろんのこと。
(…かっこいいんだよねぇ……)
雑誌のバックナンバーから見つけた小さな写真。矢を放つ直前のワンシーンであるそれは、やはりため息がでるほど綺麗でかっこよかった。思わずコピーを取って正臣にも見せたら、まるで外国人のように大げさに肩をすくめられ盛大なため息をつかれた。なんでだろう?
たぶん。僕が彼に向けている感情は、テレビのヒーローに対するあこがれのようなものなのだと思う。平凡な僕はどう頑張っても彼のようにはなれないだろうから。
先輩たちについて控え室として解放されている剣道場へ足を踏み入れる。制服や、袴姿の学生たちが学校ごとに小さなコロニーを形成しているそこをぐるりと見回して、僕は人知れずたため息をこぼした。
いない。
たぶん来神高校はもう一つの控え室である柔道場のほうにいるのだろう。試合会場である弓道場を挟んで、そこはちょうど反対側にあたる。遠いなあ、とまたひとつ息をついてしまえば。
「ざーんねんだったな、帝人っ!」
傍らにいる正臣に目ざとくみとがめられてしまった。違うよ、なんて言っても説得力はなく、あげく「今のうちなら見に行く時間あるんじゃね? いってこいよー!」などと煽られる。
「もう、うるさいよ正臣」
肩に回された腕をべりっとはがしながら、にやにやとわらう幼なじみをねめつけていると。
「どうしたんですか?」
小首を傾げながら近づいてきたのは、園原杏里さん。彼女とは同じ部活で、同じクラスで、そして同じクラス委員で……と何かと縁がある。
いちばん身近な女の子として、ちょっとだけ、意識している相手だ。
「帝人の想い人のはーなーしー!」
「竜ヶ峰くん。すきなひとが、いるんですか?」
「好きって、あの。そういうのじゃなくて!同じ……っていうのもおこがましいけど、同じ、弓を引く者としてあこがれるというか。ああいう風になれたらなぁ…っていうか」
もう!どうして正臣は、よりにもよって園原さんにそんな誤解されるような言いをするかな…!!
抗議の意味を込めてキッ、と睨みつけてもどこ吹く風で「だってお前、アノヒトの話するとき目ぇキラキラさせて、恋する瞳って感じだぞ」などと返される始末。
そういうんじゃないんだからね!ともう一度繰り返すと、園原さんは眼鏡の奥の瞳をほんの少し緩ませて言った。
「…でも、なんだか素敵ですね」
こいみたい、っていうのは。
パン!という小気味よい音と、固唾を呑んで見守るギャラリーから発せられる「よし!」という掛け声。射をしている人は他にもいるというのに、そこは彼のみの空間のようだった。きらきらと輝く髪が、的を射る鋭い瞳が、美しい射形をかたちづくる逞しい両腕が。彼を形成する全てに目が奪われてそらすことができない。綺麗だと思った。格好良いとも思った。それだけでは足りない、言葉では表現しきれない何かがそのひとにはあった。
(……あ、っ……)
4射目。最後の矢が放たれる瞬間。限界を迎えた弦がぶつりと切れ宙を舞う。ざわりと空気を揺るがせた周りの者などまるでないかのように、彼はその表情を少しも動かさず、3射目までと同じように綺麗な残心をとる。
「よし!」
また、同じ学校の人たちから的中の掛け声が上がる。
視線ごと、心まで奪われたかのように。
―――僕はそのとき恋におちた。
「…勝手なモノローグ入れないでくれる」
「帝人の話聞いてると、そうとしか聞こえないんだっつーの!」
可愛い女の子ならともかく、なんで野郎に見とれるかね?ブツブツと呟く幼馴染―――紀田正臣に「置いてくよ」と声を掛け、僕は足を速めた。
あの人を見たのは、入部してすぐの春の大会のこと。
季節は巡って、今は夏のはじめだ。あのあと、彼の射を初めて見た、あのあと。正臣にからかわれながらも、僕は必死であの人について調べた。
蓋を開けてみればそんなに必死に調べる必要もなくて、情報はあっさりと僕のもとに入ってきた。なにしろ、有名人だったからだ。彼は……平和島静雄さんは。
入賞者の常連であるのもさることながら、その容姿と……少々…多少?……いや、かなり喧嘩っ早い気性がたびたび問題視されているらしい。
それでも彼が道場を出入り禁止などにはならないのは、やはり圧倒的なその実力があるからだろう。的中率が高いのはもちろんのこと。
(…かっこいいんだよねぇ……)
雑誌のバックナンバーから見つけた小さな写真。矢を放つ直前のワンシーンであるそれは、やはりため息がでるほど綺麗でかっこよかった。思わずコピーを取って正臣にも見せたら、まるで外国人のように大げさに肩をすくめられ盛大なため息をつかれた。なんでだろう?
たぶん。僕が彼に向けている感情は、テレビのヒーローに対するあこがれのようなものなのだと思う。平凡な僕はどう頑張っても彼のようにはなれないだろうから。
先輩たちについて控え室として解放されている剣道場へ足を踏み入れる。制服や、袴姿の学生たちが学校ごとに小さなコロニーを形成しているそこをぐるりと見回して、僕は人知れずたため息をこぼした。
いない。
たぶん来神高校はもう一つの控え室である柔道場のほうにいるのだろう。試合会場である弓道場を挟んで、そこはちょうど反対側にあたる。遠いなあ、とまたひとつ息をついてしまえば。
「ざーんねんだったな、帝人っ!」
傍らにいる正臣に目ざとくみとがめられてしまった。違うよ、なんて言っても説得力はなく、あげく「今のうちなら見に行く時間あるんじゃね? いってこいよー!」などと煽られる。
「もう、うるさいよ正臣」
肩に回された腕をべりっとはがしながら、にやにやとわらう幼なじみをねめつけていると。
「どうしたんですか?」
小首を傾げながら近づいてきたのは、園原杏里さん。彼女とは同じ部活で、同じクラスで、そして同じクラス委員で……と何かと縁がある。
いちばん身近な女の子として、ちょっとだけ、意識している相手だ。
「帝人の想い人のはーなーしー!」
「竜ヶ峰くん。すきなひとが、いるんですか?」
「好きって、あの。そういうのじゃなくて!同じ……っていうのもおこがましいけど、同じ、弓を引く者としてあこがれるというか。ああいう風になれたらなぁ…っていうか」
もう!どうして正臣は、よりにもよって園原さんにそんな誤解されるような言いをするかな…!!
抗議の意味を込めてキッ、と睨みつけてもどこ吹く風で「だってお前、アノヒトの話するとき目ぇキラキラさせて、恋する瞳って感じだぞ」などと返される始末。
そういうんじゃないんだからね!ともう一度繰り返すと、園原さんは眼鏡の奥の瞳をほんの少し緩ませて言った。
「…でも、なんだか素敵ですね」
こいみたい、っていうのは。