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あいかわらずな僕ら

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静寂が支配する部屋に、前触れもなしにノック音が響き渡った。
 その無粋な音に眉を顰めたが、ほどなく自分が呼び出した者が来たのだと解し、入室を許可する。
「失礼します」
 独特の艶を帯びた声とともに現れたのは、男子テニス部が誇る部長、跡部景吾だった。
 跡部は足音を立てない優雅な動作で、部屋の奥に配された机に座る榊の元へ歩み寄る。
「お呼びと伺いましたが」
 人づてで榊の研究室に呼び出された跡部は、その用向きを知らなかった。
 三年も三学期に入り、正式に部活も引退した身にとって、今頃監督に呼び出される理由などはない。跡部は訝しげに、榊の読み難い顔を眺めた。
「用、と云うほど大したものではない。お前に渡す物があってな」
「私に、ですか?」
 戸惑う跡部に構わず、榊は引き出しから一枚のMDを取り出した。
「受け取りなさい。これは、みんなの気持ちだ」
 そう云って差し出す。
 跡部は思わず反射的に受け取り、手元にあるMDと榊の顔を身比べる。
「毎年恒例で行っている、引退した部長に対する部員からのメッセージだ。確かお前もやった筈だが」
 忘れたか?
 暗に問われ記憶を弄り、思い出した。
「ああ、そういえばもうそんな時期ですか」
 やや感慨深く呟く。
 氷帝学園男子テニス部には、一風変わった恒例行事がある。毎年、引退した部長に向けて、一人一人、部員全員がメッセージを吹き込み、そのテープを旧部長にプレゼントするのだ。
 常時二百人以上の部員を誇る男子テニス部を纏めるのは容易なことではない。卓越した統率力とそれを支える頭脳、カリスマ性、そして常に頂点に立ち続ける強さがなくては務まらないのである。たった一年のこととはいえ、そのプレッシャーに負けず全員を引っ張ってきた部長に対して、部員達からのささやかな手向けであった。
 榊が云った通り、自分も去年まではテープに吹き込む側だったが、今年は貰う側として手にしている。
 少し感傷的になって、MDのつるりとした表面を撫でた。
「私はこの後会議で席を外すから、此処で聴いて行くといい」
 そういって立ち去る榊に、跡部は一礼し見送る。
 そして、壁際に備え付けられた音楽機材にMDを入れ、再生した。
 あのアクの強いメンバーが、一体どんなことを自分に向けて云ったのか見当もつかなくて、跡部は何時になく楽しみに心浮き立たせながらメッセージを聴き始めた。




 一番始めは一年から吹き込んだらしい。あまりにも人数が多いため、それぞれの特性を把握しきることは難しいが部員全員の顔と名前は記憶している。クラスと名前を聞けば瞬時にそいつの顔とデータが浮かび上がる。それを踏まえて聴いていると、部活だけでは判らない個人の個性が出ていてなかなかに面白かった。手紙を読むように語る者、スピーチをするように堅苦しく挨拶をする者、または複数人で一つのメッセージを読みあげたり、自前の楽器を持ち出して作った歌を聴かせる者も居た。
 それぞれが自分に伝えたいこと。沢山の言葉を使い、届けられる想い。
 ありがとう。
 その一言が胸に響いて、ああ、もう自分はあの場所でテニスをすることはもうないのだと思い知り、切なかった。
「あっけなかったもんだ……」
 部長に指名された時は心底嫌でしょうがなかった。けれど、自分以外に適任な人材がいなかったこともあって、渋々引き受けたことだったけど、最後になってこんなに部員全員から支えられてきたということを知るとは。支えてたつもりが、逆に助けられていた。
 そう素直に納得できる今の自分は、そう悪いものじゃない。
 少しだけ過去を思い出し浸っていると、スピーカーが沈黙していることに遅れて気付く。
 単純に終ったのかと思って止めようと手を伸ばしたその時、油断していた心にその声は届いた。
 ―――三年A組、忍足侑士。跡部、きいとる?
 ゆっくりとした抑揚の静かな声。この三年間で嫌というほど耳にした彼の声。
 跡部は驚いて目を見張ったまま聴いている。
 ―――一年間部長職お疲れさん。ほんで、ありがとおな。お前がここに居ってくれて、ほんま良かったし、お前が部長で、良かった。
「忍足……」
 ―――あー…、なんか改まって云うんなんや照れるなあ。つか、俺はこんなんせんでも何時も跡部に愛を届けとるっちゅうねん。跡部ー好きやでー。
「何云ってんだあの馬鹿」
 しんみりとした空気が日常に戻った気がして、思わず苦笑う。しかし、呆れてみせても嬉しいことには変わりなくて、無意識に口許を綻ばせた。が、
 ―――ああもううざい、侑士うざいっ!何どさくさに紛れて告ってんだよ。
 ドカッ、とスピーカーから何かにぶつかるような音が響いて、跡部はびくり、と驚いた。
 ―――うわっ、ひどいガックン!なんも背中どつかんでもええやんかっ。見てみい俺のでこ、マイクにぶつかって赤うなってるやろ!
 ―――いいんだよ、侑士はこれぐらいやんないと正気に戻んないだろ。いいから順番回せよ。
 どうやらマイクの主導権を争っているようで、暫くスピーカーからは不快な音が続いた。
「ホント何やってんだこいつら……」
 誰もいない部屋で跡部の声が静かにこだまする。やや呆然とする中、どうにかマイクを奪うことに成功したらしい岳人の興奮した声が轟く。
 ―――跡部ー、聴いてる?オレ岳人ー!
 決して大音量で聴いてる訳ではないのに、岳人の声は耳から頭蓋骨に突き抜けた。
「知ってるっつの。つか、声でけぇ……」
 キーンと残響を起こす耳を押さえながら呻く。
 ―――もう聞いてよ侑士ったらさあ、人がちょっと目を放してる隙にマイクとレコーダー勝手に持ってっちゃうんだぜ!折角レギュラーみんなで吹き込もうとしてたのによ。跡部、侑士の躾なってねえぞ。
 ―――何云うてんねん岳人。恋人達の愛の語らいは何人たりとも邪魔しちゃあかんのやで!ガックンは馬に蹴られたいんか。
 ―――公共物を私物化すんな。てか侑士、お前もう黙ってろよ。
「………………」
 岳人が溜息混じりに忍足を諌めるが、すでに跡部は言葉もない。
 何なんだろうこれは。自分が先程まで味わっていた静かな感動と哀愁はどこへ行ったのだ。これではただの日常で味わう脱力感ではないか。
 どこからおかしくなり始めたのかは明白で、跡部は拳を固く握り締め、後で捜してでも忍足を殴ることを誓う。
 そんな決意をしている間も忍足と岳人の馬鹿馬鹿しい云い合いは続いていたが、別の人物が割って入り一応の終結をみた。
 ―――先輩達こんな所に居たんですか。捜したんですよみんなで。あ、部長、俺は鳳です。
 ―――見付けたか長太郎?……て、何やってんだお前ら。
 本当に何をやっているのだろう。どういう状況の中録音しているのか眼に浮かぶようで、跡部は遠い気持ちになった。
 ―――あー、居た居た。もう急に走らないでよ宍戸。危うく見失う所だったじゃないか。
 ―――あはははは!オレは結構楽しかったよ。忍足を追い詰めて見付け出すって、結構快感?
 息を乱しながらやって来たらしい滝と、珍しく起きている慈郎だった。ということは樺地もその内来るのだろうか。
 ―――よく云うよ。慈郎はずっと樺地におんぶして貰ってるじゃないか。
 ―――ウス。
作品名:あいかわらずな僕ら 作家名:桜井透子