花咲く生活
禁煙中の堺のために世良は『堺さん禁煙シート』なんていう小学生じみたものを作って、自宅から持ち込んだピカチュウのマグネット(ウインナーのおまけらしい)でそれを冷蔵庫に貼り付けていた。一本吸うごとに印ひとつ、20個たまったら罰ゲーム、という仕組みらしい。
そういういかにもガキっぽいことを素でやるところも堺のオッサン心をくすぐるのだけれど、今は大人の時間であるからして、堺は世良の項に指を這わせてそれを誤魔化した。大人の時間に大人が強いのは当然のことなのだし……。
***
「お風呂、いただいたッス……」
世良との年齢差がここのつというのは時折堺の眉間の皺を一本増やすのだけれど、こうして世良がぼんやり、ふらふらと風呂から上がってくるたび、どこか緊張していたものがほぐれるような気もする。確かに世良は若いし体力も欲望も有り余っているけれど、その分堺には経験というものがあるからして、結局2人の恋愛は五分五分だ。どこかでバランスが取れるのだ。
「メシ、食うか」
「んー……はい」
湯気と何かぼやぼやしたものを全身から漂わせながら、世良は冷蔵庫の『堺さん禁煙シート』に律儀にチェックを入れている。そこに歩み寄り、濡れた前髪を親指で押し上げながら、堺は世良の、頭は悪いくせに広めの額にキスを落とした。
「へへ」
くすぐって、と笑いながら、唇にもキスをねだる世良はメルヘンチックな感じにかわいらしかった。だから堺も、メルヘンチックな軽いキスを唇にひとつ。こういうのはいい、セックスの爆発とは違って、じわじわととめどなく、体の底から幸福が湧き上がってくる。
堺がホストになって、十余年。ヘドロの水もプラスチックのハートも数知れず舐めてきたが、世良の唇は、色づいて、暖かい。ディズニー映画みたいだ。世良は、堺が今まで売ってきた作り物の何かを、真実に持っていた。
(ああ……そうか、そうなのかな)
だから、こいつはホストにならないのだろうか。たった一つの、本物しか持っていないから。
(……いや、そんなとこまで、考えてねえか)
もう一度、額にキス。肌に触れた世良の髪のくすぐったさが、いちいち堺にこれが現実なのだという幸福を感じさせてくれる。
「さ、食うぞ。皿運べ」
「うース!」
2人でキッチンとダイニングを何度か往復しながら料理を運んで、すれ違うときには小さなキスをして、いただきますの前にも、テーブルから身を乗り出してキス。世良は堺に、アホみたいに甘い生活を許してくれる。
「これ、うめーッ!」
「おかわりあるぞ」
「マジッスか! 堺さんも食いますか!」
「俺はいいよ」
「えーなんで!」
「幹部がメタボっ腹なんて、若いもんに示しがつかねえだろ」
「えっ……じゃあ俺もやめよっかな」
「食え食え、食ってデブウエイターになってイジられろ!」
「いやッス! 俺まだ、かわいいウエイターでいたいんス!」
こんなおとぎ話みたいな生活をしながら、やっぱり堺はまだ、プラスチックのハートを売っているのだけれど――
「堺さん、堺さん」
「ん?」
「……大好きッス!」
そう言って真っ赤な顔で笑うから、器用でごめんな、と心の中で呟いて、堺も唇を片方だけ上げる。