彼女の悩み
彼女の悩み
――かちり、かちり。
画面のアイコンを動かしてクリック、フォルダ内のファイルのひとつを選択してクリック。
画像を開いたノートパソコンの液晶画面から目を上げて、加納紅葉は隣の少女の様子をちらりと窺った。少女は白磁の面差しにモニターの照り返しを受けながら、そこに表示された写真を凝視していた。
三人で絡まるようにお互い腕を組んだ、画面の中の少女たち。
「これが『ザ・チルドレン』」
「チルドレン……」
紅葉の言葉を反芻する少女――パティからは、覇気のかけらも感じられない。以前の冷酷そのもの、戦闘機械のような彼女の姿を見ているだけに、紅葉は複雑な心境だった。
確かにそもそもは、敵対する者同士として戦った相手である。だが彼女を操る催眠能力のくびきはすでに消え、今のパティはいわば糸の切れた操り人形のようなものだ。憎むべきは彼女のすべてを奪い、自分たちに都合のいい人形として作り替えてしまった『黒い幽霊』であって、パティ自身ではない。
今のパティはかつてのパンドラのメンバーたちと同じ、世界のどこにも行き場のないエスパーのひとりにすぎなかった。
「どう? この子達に見覚えは?」
紅葉の問いにパティは視線を落とし、やがてゆるゆる首を振る。
「そう……」
――記憶喪失。要するにそういうことなのだろう。
『黒い幽霊』が刺客に施す洗脳は非常に高度なものだ。強力な催眠能力者でもある兵部少佐にさえ、解除は不可能だった。『破壊の女王』明石薫の手を借りなければ、おそらく彼女を殺す以外の道はなかった。
そして意識の奥底まで深く根を下ろした催眠は、たとえ解除されたとしても、多くの場合何らかの後遺症を残していく。洗脳が解けたあと昏々と眠り続けていたパティは、目覚めたとき記憶を失っていた。
「ごめんなさい」
「いいのよ。駄目で元々のつもりだったし」
整った面を伏せたパティに、紅葉は安心させるように微笑んだ。
『ザ・チルドレン』は過去に二度、洗脳されたエスパーの催眠を解いている。今まで前例のなかったことだ。『黒い幽霊』に彼女たちに目をつけても不思議はないし、だとすればパティが日本に派遣された目的も、チルドレン絡みの可能性が高い。パティが記憶を断片的にでも思い出し、あわよくばその辺りの情報をつかめればと思ったのだが……。
「ま、私も考えが甘かったわね。どうする? 今日はもう休む?」
「いえ……」
少し考え込む様子を見せた後、パティはパソコンの画面に向き直った。
「もう少し、いろいろ見せてください」
「そう? 無理はしなくていいのよ」
パンドラの同志である黒巻節子の催眠療法が効を奏し、パティの心身はすでに日常生活に支障がないレベルまで回復している。だが超能力は未だ以前ほどのパワーが出せないようだし、長い期間昏睡状態だったせいで体力も落ちていた。気遣う顔になった紅葉に、パティは今度ははっきりと首を振った。
「私も……思い出せるものなら、思い出したい、ですから」
「……そう」
造作が整っているだけに人形じみたパティの表情がどこか痛ましく感じられ、紅葉は彼女から目をそらすようにしてマウスに手を伸ばす。
「それじゃ、ついでだからバベルについて説明しましょう。もしこの先あなたがパンドラのエスパーとして働いてくれる気があるなら、必要な知識だしね」
数回のクリック音と共に画面が切り替わり、今度は眼鏡の若い男性が映し出される。
「このメガネ君が『ザ・チルドレン』の指揮官の、皆本光一。普通人ではあるけど、チルドレンのつけてる新型リミッターは彼の開発だって話よ。元は開発畑の人間なんですって。コメリカに留学経験があるみたいだし、この歳でバベル入局ってことは相当のエリートで……えーと……エリートで……」
カチカチとフォルダ内の画像を切り替える。
チルドレンが揃って映っている画像は先ほどの一枚だけだったのに、この男の画像ファイルだけ、何故だかやたらと大量に保存されている。というかアングルが……どう見ても盗撮なのだが……これは多分あの変態が撮ったのが混ざっているんだわと、紅葉は脳内でマッスル大鎌に渾身のボディブローを見舞った。
「あ」
左クリック連打で目的の画像を探していると、パティが不意に短い声を上げた。
「さっきの」
「え、何? どれ?」
あわてて操作を巻き戻す。一枚、二枚、逆順で送られていく画像の中のひとつで、ここ、とパティが紅葉の操作を止めた。先ほどまでの生気のない様子に比べると、驚くほど切迫した声だ。
「この人……」
「ああ、これ? ちょっと待って」
デスクトップからバベルの資料を呼び出しながら、紅葉はパティが言う画像に目をやる。
チルドレンの指揮官の隣に、見慣れない白衣の男が映っている。日に焼けた軽薄そうな印象の男性で、こちらは皆本よりもやや年かさのようだ。写真はどうやら、二人が何かを話している場面のようだった。
「あった。ええと、名前は賢木修二。バベル登録のエスパーでサイコドクター。超度6ってことは、バベル内でもトップクラスに近いわね。彼も学生時代にコメリカへ留学してるから、メガネ君とはその頃からの付き合いなのかも」
「親しい……のかしら」
「そう見えるわね」
真面目な顔をして――つまり紅葉から見るとやや堅苦しく――映っていることが多い皆本が、心なしか打ち解けた、歳相応の顔つきをしているのが印象的だった。おそらく友人同士なのだろう。
「それで? この二人が何か?」
何の変哲もないこの写真の、一体何に心を奪われたのか。紅葉は水を向けてみると、パティははっとした顔を見せた。
「いえ……なんでもない、です」
それは普段の彼女の、どこか人形めいた表情からは思いもつかぬ無防備な顔で、紅葉は一瞬胸をつかれたような思いになる。
この子はまだ子供なのだ。
……今のパティは、パンドラに友人と呼べる相手がいない。
パティの治療をしている黒巻節子は彼女と接する機会が多いが、親しくなるには少し歳が離れすぎている。かといってパティと同年代のエスパーたちと近づけるのも、紅葉には少し抵抗があった。
洗脳されていたとはいえ、以前は敵だった相手と親しく接するのは難しい。歳若い子たちなら尚更で、特に直接交戦した澪やカズラにはわだかまりもあるだろう。今まで紅葉は、パティが彼らとあまり顔を合わせないよう、できるだけ気を配ってきたつもりだ。
けれど、もしそれが間違いだったとしたら? 記憶を失い、知らない大人に囲まれ、彼女のその白磁の肌の下が、不安と孤独でいっぱいなのだとしたら。
――ディスプレイの向こうのふたりの男性は、友人らしい気安い雰囲気で談笑している。どうしてだかそれがひどく眩しい。
「別に構わないわよ、遠慮しなくて」
「いえ……何か思い出したわけではないんです。ごめんなさい」
「記憶のことはもういいのよ、元々そっちは黒巻の仕事だもの。それよりどうして、この写真に目が留まったの?」
「それは」
友達が欲しいのかも、いやきっとそうに違いない。何故今まで気がつかなかったのだろう。
――かちり、かちり。
画面のアイコンを動かしてクリック、フォルダ内のファイルのひとつを選択してクリック。
画像を開いたノートパソコンの液晶画面から目を上げて、加納紅葉は隣の少女の様子をちらりと窺った。少女は白磁の面差しにモニターの照り返しを受けながら、そこに表示された写真を凝視していた。
三人で絡まるようにお互い腕を組んだ、画面の中の少女たち。
「これが『ザ・チルドレン』」
「チルドレン……」
紅葉の言葉を反芻する少女――パティからは、覇気のかけらも感じられない。以前の冷酷そのもの、戦闘機械のような彼女の姿を見ているだけに、紅葉は複雑な心境だった。
確かにそもそもは、敵対する者同士として戦った相手である。だが彼女を操る催眠能力のくびきはすでに消え、今のパティはいわば糸の切れた操り人形のようなものだ。憎むべきは彼女のすべてを奪い、自分たちに都合のいい人形として作り替えてしまった『黒い幽霊』であって、パティ自身ではない。
今のパティはかつてのパンドラのメンバーたちと同じ、世界のどこにも行き場のないエスパーのひとりにすぎなかった。
「どう? この子達に見覚えは?」
紅葉の問いにパティは視線を落とし、やがてゆるゆる首を振る。
「そう……」
――記憶喪失。要するにそういうことなのだろう。
『黒い幽霊』が刺客に施す洗脳は非常に高度なものだ。強力な催眠能力者でもある兵部少佐にさえ、解除は不可能だった。『破壊の女王』明石薫の手を借りなければ、おそらく彼女を殺す以外の道はなかった。
そして意識の奥底まで深く根を下ろした催眠は、たとえ解除されたとしても、多くの場合何らかの後遺症を残していく。洗脳が解けたあと昏々と眠り続けていたパティは、目覚めたとき記憶を失っていた。
「ごめんなさい」
「いいのよ。駄目で元々のつもりだったし」
整った面を伏せたパティに、紅葉は安心させるように微笑んだ。
『ザ・チルドレン』は過去に二度、洗脳されたエスパーの催眠を解いている。今まで前例のなかったことだ。『黒い幽霊』に彼女たちに目をつけても不思議はないし、だとすればパティが日本に派遣された目的も、チルドレン絡みの可能性が高い。パティが記憶を断片的にでも思い出し、あわよくばその辺りの情報をつかめればと思ったのだが……。
「ま、私も考えが甘かったわね。どうする? 今日はもう休む?」
「いえ……」
少し考え込む様子を見せた後、パティはパソコンの画面に向き直った。
「もう少し、いろいろ見せてください」
「そう? 無理はしなくていいのよ」
パンドラの同志である黒巻節子の催眠療法が効を奏し、パティの心身はすでに日常生活に支障がないレベルまで回復している。だが超能力は未だ以前ほどのパワーが出せないようだし、長い期間昏睡状態だったせいで体力も落ちていた。気遣う顔になった紅葉に、パティは今度ははっきりと首を振った。
「私も……思い出せるものなら、思い出したい、ですから」
「……そう」
造作が整っているだけに人形じみたパティの表情がどこか痛ましく感じられ、紅葉は彼女から目をそらすようにしてマウスに手を伸ばす。
「それじゃ、ついでだからバベルについて説明しましょう。もしこの先あなたがパンドラのエスパーとして働いてくれる気があるなら、必要な知識だしね」
数回のクリック音と共に画面が切り替わり、今度は眼鏡の若い男性が映し出される。
「このメガネ君が『ザ・チルドレン』の指揮官の、皆本光一。普通人ではあるけど、チルドレンのつけてる新型リミッターは彼の開発だって話よ。元は開発畑の人間なんですって。コメリカに留学経験があるみたいだし、この歳でバベル入局ってことは相当のエリートで……えーと……エリートで……」
カチカチとフォルダ内の画像を切り替える。
チルドレンが揃って映っている画像は先ほどの一枚だけだったのに、この男の画像ファイルだけ、何故だかやたらと大量に保存されている。というかアングルが……どう見ても盗撮なのだが……これは多分あの変態が撮ったのが混ざっているんだわと、紅葉は脳内でマッスル大鎌に渾身のボディブローを見舞った。
「あ」
左クリック連打で目的の画像を探していると、パティが不意に短い声を上げた。
「さっきの」
「え、何? どれ?」
あわてて操作を巻き戻す。一枚、二枚、逆順で送られていく画像の中のひとつで、ここ、とパティが紅葉の操作を止めた。先ほどまでの生気のない様子に比べると、驚くほど切迫した声だ。
「この人……」
「ああ、これ? ちょっと待って」
デスクトップからバベルの資料を呼び出しながら、紅葉はパティが言う画像に目をやる。
チルドレンの指揮官の隣に、見慣れない白衣の男が映っている。日に焼けた軽薄そうな印象の男性で、こちらは皆本よりもやや年かさのようだ。写真はどうやら、二人が何かを話している場面のようだった。
「あった。ええと、名前は賢木修二。バベル登録のエスパーでサイコドクター。超度6ってことは、バベル内でもトップクラスに近いわね。彼も学生時代にコメリカへ留学してるから、メガネ君とはその頃からの付き合いなのかも」
「親しい……のかしら」
「そう見えるわね」
真面目な顔をして――つまり紅葉から見るとやや堅苦しく――映っていることが多い皆本が、心なしか打ち解けた、歳相応の顔つきをしているのが印象的だった。おそらく友人同士なのだろう。
「それで? この二人が何か?」
何の変哲もないこの写真の、一体何に心を奪われたのか。紅葉は水を向けてみると、パティははっとした顔を見せた。
「いえ……なんでもない、です」
それは普段の彼女の、どこか人形めいた表情からは思いもつかぬ無防備な顔で、紅葉は一瞬胸をつかれたような思いになる。
この子はまだ子供なのだ。
……今のパティは、パンドラに友人と呼べる相手がいない。
パティの治療をしている黒巻節子は彼女と接する機会が多いが、親しくなるには少し歳が離れすぎている。かといってパティと同年代のエスパーたちと近づけるのも、紅葉には少し抵抗があった。
洗脳されていたとはいえ、以前は敵だった相手と親しく接するのは難しい。歳若い子たちなら尚更で、特に直接交戦した澪やカズラにはわだかまりもあるだろう。今まで紅葉は、パティが彼らとあまり顔を合わせないよう、できるだけ気を配ってきたつもりだ。
けれど、もしそれが間違いだったとしたら? 記憶を失い、知らない大人に囲まれ、彼女のその白磁の肌の下が、不安と孤独でいっぱいなのだとしたら。
――ディスプレイの向こうのふたりの男性は、友人らしい気安い雰囲気で談笑している。どうしてだかそれがひどく眩しい。
「別に構わないわよ、遠慮しなくて」
「いえ……何か思い出したわけではないんです。ごめんなさい」
「記憶のことはもういいのよ、元々そっちは黒巻の仕事だもの。それよりどうして、この写真に目が留まったの?」
「それは」
友達が欲しいのかも、いやきっとそうに違いない。何故今まで気がつかなかったのだろう。