LOST CHILD
男は剣先を見下ろしてからクラウドの顔へと視線を戻し、くっくっと笑った。
『甚だしき暴君だな』
「あんたが言うな」
すると彼はますます肩を揺らして笑った。じつに愉快そうに。
この男は屍となってまで、笑い上戸だ。
『……では異論ではなく提案なのだが、クラウド。どこへでも、おまえの好きなところへ私を引き摺っていくがいい。ただその前に、少しだけ寄り道をしていく気はないか』
「寄り道? どこへ?」
今度はクラウドが訊ね返す番だった。
すると彼は、我々にもっとも似つかわしい場所だ、と含みのある答え方をする。
『互いの肉を切り裂き、血潮を分かちあう高揚を――おまえは知っているはずだ』
そう告げてから男はクラウドに向けて手を伸ばし、
『では行こうか。望むままに戦うことのできる場所に』
「待てよ。いまさら、あんたと戦う理由なんて」
『それこそ今更だな。おまえと私が刃を交えるのに、理由が必要か?」
クラウドは沈黙を返す。それは肯定ではなかったし、かといって否定でもなかった。
次に口を開いたのはやはり、男のほうだ。
「ならば与えよう、戦う理由とやらを。おまえの望むままに』
「……望むままに? それは誰の望みなんだ、セフィロス?」
意趣返しとばかりに問うたクラウドに、彼は一度だけ瞬きをし、笑った。ひときわ鮮やかに。
『そうだな。おまえに与えるも奪うも、すべて私自身の喜びなのだから』
明確に答える男に向けて、クラウドも手を伸ばした。それが答えだった。
たゆたう水面に流されながら、クラウドは自分を抱きかかえる男を見上げた。
「どこに行くつもりなんだ」
『混沌と調和。その戦いの輪廻が続く世界だ』
ライフストリームの彼方に次元の歪みがあり、そこから扉に繋がっているという。
「今のあんたはこんな状態になのに、満足に戦えるのか」
『問題ない。ライフストリームはこの星固有の、いわば血液成分のようなものだ。次元の異なる扉を抜けてまでは、私を追っては来られない。その必要もない』
うまい例えだと聞きながらクラウドは思った。たしかに血液だ。すみずみまで常に流れ続け、エネルギーを運び、循環し、そして異物を徹底的に排除する。
『呆けるな。流されるぞ』
より力を込めてクラウドは抱き寄せた男は、この先いっそう深い淵に入ると言った。どれだけ目を凝らしても何ら変化のない魔晄色の流れが続くばかりだが、たぶん彼の目には見えているのだろう。いくら同じ細胞を共有しているとはいえ、その密度が違う。
『できるだけ気を強く持て。さもなくば、幾多の思念に流されて己の記憶さえも曖昧になる』
クラウドは顔を上げた。ひどく嫌だと感じたのだ、それは自分の記憶についてではなく。
彼の記憶の中からも、何かが抜け落ちるというのだろうか。
『私は忘れたことはない。おまえはどうか知らんがな』
容易く不安を見透かした男に、俺だって忘れたことなんかない、そう言いかけてクラウドは言えなかった。かつて無くしてしまった記憶と、無くすことのなかった記憶。その双方に思い至って呼吸が停止する。心拍さえ止まるかと。改めて自覚したのだ。その揺るぎない事実を。
かけがえのない友の名を、自分自身をすら忘れ、錯乱のさなかにあった時でさえ。
セフィロス。この男の名と、その存在を忘れたことなど一度としてなかった。
先刻の予言どおりに魔晄の海が濃度を増してゆく。
流されるまいと息を詰めると、大きく広げられた漆黒の翼がクラウドの身体を包んだ。
『はぐれるな』
腕ばかりか翼にまで拘束されながら、クラウドも男の背へと腕を回す。指先に触れる羽根の形がはっきりと感じられた。幸福なひとときを過ごした時期には無かったものだ。確かに、この翼こそが人ならぬ者の、忌まわしき異形の証なのだと。世界はそう叫ぶのかもしれない。
だが他にも片翼を持つソルジャーがいたと、クラウドはかつて共有した友の記憶で知っている。
つねに誇り高かった彼が、異形を嘆く戦友のそれを天使の証と呼び、力強く肯定したことも。
クラウドは回した腕に、強く強くありったけの力を込める。
「……あんたこそ」
ようやっと、それだけを伝えて目を閉じた。
作品名:LOST CHILD 作家名:ひより