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LOST CHILD

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 血塗れのバングルから緑のマテリアがひとつ、無造作に外されるのをクラウドは見た。
 それを手にした男が、自分の左腕を掲げ持つさまも。
 強く発光した宝珠がゆっくりと皮膚の上を這わされてゆくうちに、裂けた筋肉は繋がり、傷口が塞がれてゆく。
 やがて出血が完全に止まったあとも、男はしばらくクラウドの腕をとったままだった。その仕草があまりにも丁重で、恭しかったせいで、クラウドは動くことができなかった。
 ……復活と同時に、一刀のもとに斬り伏せられてもおかしくはないと思っていた。
 彼にはそうするだけの理由がある。
 しかし男はまるで小さな赤子でも横たえるようにクラウドの腕を離し、まっすぐに見下ろしてきた。
 その口元には彼独特の、薄い笑みが浮かんでいる。
 クラウド。美しい唇がそう名を呼ぶ形に動いた。
 応じようとしだが喉が震えて声を出せない。
 そんなクラウドの様子に目を細めた彼もまた、何らかの違和感を己の身体に感じているようだった。べっとりと血液の付着した革手袋に視線を移し、感覚を確かめるように動かしている。
『ふん。やはり未だ、時ではなかったか。いくらかの解離があるようだ』
 その呟きは生身の声帯から発せられるものではなく、直接に脳細胞へと伝わるものだ。
 なぜだと目線で問いかけるクラウドに、男はふたたび声なき声で応じる。
『どこか意識が浮遊している。星の意思たるライフストリーム粒子が、この肉体と精神とが完全に繋がるのを妨げているのだろう』
 口唇がうっすらと歪む。
『“災厄”の再来を防ぐためにな』
 その相貌に見入りながら、クラウドはようやく得心がいった。
 本来の肉体を伴っての再臨は、彼自身がもともと望んでいたはずだ。にもかかわらず、牢獄が砕けてからも、男はその肉体に戻ろうとする気配がなかった。
「あんたは……」
『そうだ。時を待っていた。ライフストリームは精神の流れだ。私の完全なる復活を妨げるそれを、上回る強さの意思の力を手に入れれば事は成る』
 男の言葉は明瞭だった。その意図も。しかし、行動は不可解だとクラウドには感じられた。
 まだ自身を取り戻すことが可能な時ではないと承知していたならば、なぜ不完全なうちに。
『おまえが呼んだ。ほかに理由が必要か?』
 心をそのまま読まれてクラウドは返す言葉がなかった。
 ただ考えを読まれていたばかりか、こう答えて欲しいという願望まで見透かされているようだ。
 男は人間離れした美貌に悠然たる笑みを浮かべ、クラウドを見つめている。
『案じる必要はない。段階が多少前後しようが、いずれ完全なる復活の日は訪れる。このまま時間をかけ、意思の力を増幅させてゆけばいいだけだ』
 そして彼はこう付け加えた。
『おまえへの執着を核として』
 クラウドは唇を噛んだ。
 自分の反応を見越した上での弄言だと、分かりきってはいる。にもかかわらず、先ほど流れきった涙がまたも零れそうなほど、心臓が揺さぶられるのを止めることができなかった。
「執着なんて……そんなもの、ぜんぜん足りなかったみたいだな」
『そうだな。まだ足りない。共に補ってくれるか、クラウド?』
「断る」
 反射的にそう口にしたはいいが、彼は多大な揶揄を含めてクラウドを見やるだけだ。彼がゆっくりと動かした手にも、その指先で示した胸板にも、クラウドが自ら流した血液が大量に付着している。どれほど虚勢を張ってみせたところで、その心のありかなど一目瞭然だろう。
『おまえの細胞は実に勤勉だな、クラウド。見るがいい、きれいに塞いでくれた』
「俺のじゃない。元々あんたのだろ」
『その区別に意味が? いまや同じものだ』
 囁くような男の言葉は抗いがたい誘惑だ。
 幾度倒そうとも、彼と共有する細胞に刻まれたリユニオンの欲求は消えはしない。
 ジェノバの残骸を手に入れ、彼とリユニオンを果たす瞬間のカダージュに感じたのは、かつて同じく操り人形であった記憶に付随する痛みと嫌悪と、哀れみと。そして身を焦がすほどの羨望だった。
 理屈ではなく感情ですらなく、生物としての本能が彼との再統合を求めている。
『おまえは私の与えた種を身の内にはぐくみ、花開いた大輪だ、クラウド』
 呟いた彼はクラウドの頬に、血塗れの手を添えた。
『……やはり私の旅路はおまえ次第だな。このまま手折らず置いてゆくには惜しい』
 かつてジェノバがそうしたように新たな星を見出すという彼の言葉を、馬鹿馬鹿しいと喝破することはできなかった。なぜなら彼には他に選択肢がないことを、クラウドは知っている。
 異分子を拒み続けるこの星に、彼の居場所はないからだ。
 クラウドは頬に添えられた手を握り、男を見上げた。
「行こう、セフィロス」
『どこへ』
「忘らるる都に」
 それは星の意思たるライフストリームと対話し、操ることができる、古代種たちの都だ。
 末裔たる彼女の力でジェノバの遺伝思念を取り除くことができたなら、あるいはその逆も。
「ミッドガルの教会へは行けない、どうあっても目立つあんたを連れては。だけどあの都なら」
 水底に眠る彼女に会えるかもしれない。クラウドは胸の中だけでそう呟いた。
「そして、もし彼女に、許してもらえるなら」
 ――罪深いこの男にも、大いなる福音を。
 彼女の与えてくれた恵みを想いながら顔を伏せるクラウドに、男が口を開いた。
『許される? 誰に?』
 もちろん、
「彼女に」
 躊躇なくクラウドは答えた。
 見上げれば男の唇からは皮肉げな笑みが消えており、ただ自分を見つめている。
『三度は訊かせるな。誰にだ? クラウド』
 その問いを聞いた瞬間、かつて彼女と交わした会話が脳裏へと蘇った。

「許されたいんだと思う。……うん、俺は、許されたい」
「誰に~?」

 今頃になって気が付いた。
 ただ瞳の色だけでなく彼らは似ている。陰と陽、鏡合わせにした一対の兄妹のように。
 そしてクラウドに同じ問いかけをする。
 彼女を救えなかった自分を許せないのは誰か。この男を許したいのは誰なのか。

 やがて、クラウドは幻視を振り払うように強く頭を振った。
「何だっていいだろ。行くのか行かないのか、どっちなんだ」
『おまえこそ、自分ばかり尋ねて質問には答えないのか。相変わらずだな』
 鼻で笑われる気配が伝わり、かっと頭に血が上った。
 クラウドは握っていた手を力いっぱい突き放し、
「もういい。あんたがどう言おうが、今度こそ俺の言うことを聞いてもらう」
 軸足を引いて間合いを開け、男の胸元にまっすぐ剣を突きつける。
「三度も俺に倒されたんだ。異論は認めない」


作品名:LOST CHILD 作家名:ひより