矛盾
次に臨也目を覚ました時、外には日が上がっていた。場所は昨日と変わらず自宅のソファの上。どうやらあのまま気を失いそのまま寝てしまっていたようだった。起きなければと思ったが、四肢が痛く、起き上がる気になれなかった。
――― 四肢が、痛い……?
臨也は勢いよく起き上がった。その衝撃さえも、痛みを増長させるものに変わりなかった。両腕が折られたのは覚えていた。恐る恐る、臨也は掛けられたブランケットを取り払った。
「……これ、リアルだよね」
足の状態を見て、臨也は頬を引き攣らせた。膝を折られるよりは良かったのかもしれないが、痛みの根源である腫れた脛の部分にはギプスが巻かれていた。それは両腕も同じであった。そして自分の格好を見れば、ご丁寧にも着替えさせられてあった。
「自宅で軟禁とか、マジ勘弁なんだけど」
臨也はあたりを見回した。いつも使っていた携帯は無残にも砕かれて、残骸がテーブルの上にのっていた。部屋もインテリア自体に変わりはないが、メインのパソコンは粗大ゴミと化し、ノートパソコンもあり得ない方向に真っ二つ。テレビや他の家電製品は運よく難を逃れたようでそのままだった。
何とかこの場から逃げないと。頭ではそう思うのだが、身体は当然言うことを聞かない。これが腕だけ、足だけならまだ何とかなったのかもしれない。体勢を変えてソファに座り、それを支えに立ちあがろうとしたが。
「ぐっ……」
すぐにその場に倒れ伏した。腕をついてはまずいと分かっていたので肩から落ちる羽目になった。すると足音が聞こえ、すぐ横で止まった。
「…何やってんだ」
もちろん音の正体は静雄であった。見上げれば、何故かひどく傷ついた表情をして立っていた。
「それはこっちのセリフだって。自分でやっておきながら何その顔?今更罪悪感?大体こんなことで俺が君に屈するわけないだろ」
「……」
「軟禁なんて言い趣味してるよね、化け物の癖に。君の望み通りさっさと殺せばいいだろ」
「……」
「…何か言ったらどう?」
先程から何も言わない静雄に、臨也は苛立ちが収まらなかった。何とか身体を起こそうとしても、じくじくと腕が、足が疼いた。すると静雄は手に持っている袋をその場において、臨也の身体を抱き上げた。そしてソファに座らせた。
「感謝なんてしないから」
「……」
隣に座る静雄から顔をそらして、臨也は言った。怪我のために脚を組むこともできない。ソファの背もたれに腕を掛け、両足は伸ばした。静雄も臨也に顔を合わせずソファの隅に座り、視線を下に落したまま、静かに言った。
「…謝って済むもんじゃねぇって、分かってる」
「……」
「何言ったところで、ただの言い訳だってことは分かってる。俺はこんな形でお前を殺す気は全くこれっぽっちもない」
「……」
「あの時、俺は俺を止めれなかった…ッ」
そう言うなり、静雄は頭を抱えた。なにこれ。それが臨也の感想だった。本当、頭を抱えたいのはこっちの方だ。昨日今日での静雄の態度は明らかに違いすぎる。とりあえず今は正気であることが見て取れた。臨也は自分を落ち着かせるため、大きく一度深呼吸した。
「正気ならさぁ、過程ぐらい言えよ」
「……笑うなよ?」
「別に笑ったり貶したりしないよ。というか今そんな気力無い」
そう言えば、静雄はぐっと息を詰まらせ、視線を泳がせ、目を閉じふいと顔をそっぽに向け、小さな声で言った。
「…てめぇが一週間顔出さなかったのが気持ち悪かったんだ」
さらに静雄は顔を赤くして俯いた。それを見て、臨也は新手の嫌がらせなのかと思った。
「たったそれだけ?」
「たった、って…俺にしてみれば死活問題だったんだよ!無駄にイライラしてたせいで周りに当たり散らしまくってトムさんに迷惑かけるわサイモンに止められるわ、門田やセルティに宥められるわ…全部てめぇが池袋に来なかったからだ!」
「……聞いたこっちが悪かった」
「っておい、言わせてそれかよ!」
そう大きな声を出した静雄に、臨也は笑った。あぁもうだめだ。矛盾が酷すぎて呆れを通り越し笑いしか出てこない。そんな臨也の様子を見て、静雄は笑われていることに怒ればいいのか何をすればいいのか分からず、ただ顔に手を当て縁に肘をつき、耐えた。
ひとしきり笑って、落ち着いた臨也は静雄に向かって全く脈絡もない言葉を言った。
「フレンチトースト、食べたい」
「…は?」
突然の要求に静雄は間の抜けた顔をした。まだ少し頬に赤みが残っていた。
「昼はラザニアと杏仁豆腐。冷食とかスーパーのは却下。ちゃんと作って。夜はロシア寿司の大トロ買ってきて。あとそこにあるのと同じ型のパソコン二台今日中に。携帯は処分しておいて。財布は右の二段目の引き出しの中。あぁ、金は俺がとか言わなくていい。シズちゃんに買ってもらったものなんか俺が使うわけ無いだろう。あくまで俺が買うから」
「…いきなり何だよ」
「俺とち狂った君のせいでこうなっちゃんたんだけどなぁ。責任感じてるならよろしく」
静雄は返事の代わりに舌打ちを一つ打ち、そのまま放置していたビニール袋をもってキッチンに向かった。
「あぁそうだ」
その背中に、臨也は声をかけた。
「言っとくけど、一生許さないから」
「……それでいい」
静雄は振り返らず、そのままキッチンに入っていった。
許す許さない以前に、臨也は自分が存外怒っていないことに気付いていた。それもそうだ。静雄とは殺しあいの仲なのだからこのぐらいの負傷は起こり得るはずのものでもあった。むしろいままで起きなかった方のが奇跡だ。後で手当てをしてくれただろう友人に連絡を入れておこうと思った。
しかしとりあえず今は朝食だ。あれから何も食べていないせいで腹は空腹を訴えていた。臨也はフレンチトーストを心待ちにした。