フードアンドエトセトラ
ブレイクファースト(女の子とイザシズ)
父は朝に強い。
私も決して弱い方ではないが、父は仕事の関係もあってか眠りが浅く寝ざめがとてもいい。ただ低血圧ではあるようなので、暫くはボーっとしていることも多いようだが、私はそんな父を見かけたことがほとんどない。というのも、私よりも早くに父は起きてしまうからなかなか見ることができないと言うだけの話なのだが。
朝食を作るのは父の仕事だ。私は出来るだけ早く起きて、その横でお弁当を作るのが日課になっている。お弁当を作ると言っても、父の作った朝食を詰めているだけだが、最近は少しづつ父が教えてくれるようになったので、ほんのちょっとだけこそばゆいものを感じている。決して父には言わないが。
父は自宅勤務のためお弁当を作ろうかと尋ねても大抵はいらないと断られるので、大きく平ぺったい母のお弁当箱と、私の中くらいのお弁当箱二つだけがいつも朝のキッチンに並べられている。どうして私の弁当箱が二つなのかということは敢えて語らない。ただ、早弁も私の大事な日々の日課だということをさりげなく付け加えておこうと思う。
そういうわけなので、父は私よりも早く起きて、毎朝三人で食べるには少しばかり多い朝食を作るのだ。
「おはよう」
私が着替えもせずにキッチンへ行くと、黒いサロンの父は決まって母が胡散臭いと評する笑顔でもって私に挨拶する。今日の父はキッチンでフライパンを握っていた。
イカとトマトのマリネはもうテーブルの上に置かれていて、父はこれから卵で何かを作る様子だった。調理されていないツナがボールに入れられていて、パンはオーブントースターの中で焼かれるのを待っている。私はぐりっとオーブントースターのタブをまわし、それから冷蔵庫から買ったばかりのトマトと、レタス、きゅうりとチーズを出して父の横に並んだ。父は私の一連の行動に苦笑する。
父は起きるのが早い。なので、私が眼を覚ましてキッチンに下りていくころには朝食の大半が作り終えられているのが常だった。だから今日は珍しく父が寝坊したのだということが知れ、だから私はサンドイッチを作るための材料を冷蔵庫から出したのだった。父が寝坊した時は決まって簡素なサンドイッチになる。どういうわけでそうなったかは全く分からないが、取りあえず簡単であることは確かだし、野菜を切るだけなら私にもできるので問題は何もない。父は朝食を母が起きる前に作らなければならないので、仕方ないことなのだ。
父は低血圧だが、母も負けじと低血圧だ。しかも、母はとても深く眠るので寝ぼけている間がとても長い。この間は歯磨き粉で顔を洗おうとしたし、その前はご飯に醤油ならまだしもソースをかけていた、挙句の果てに壁に立ったまま頬をひっつけて、器用なことにそのまま寝ていたこともある。歩きながら眼を閉じていることなどはざらにあり、ある意味母のそれは、低血圧というよりも寝汚いに分類されるのかもしれないと私はこっそり思っている。
そんな母は朝食を食べる時も呆けたままの時が多かった。もちろんちゃんと起きている時もある。そういう時はお弁当を詰めるのを手伝ってくれたりするのだが、いかんせん男の弁当箱という仕様になってしまう、私はそれでも全然構わないのだけれど、父がそれを見て母にちょっかいを出し、結果朝のキッチンが酷いことになりかねないので、お弁当を作る権利は今のところ私の物だ。
「おはよう」
ようやく朝食を作り終えると、それを見越したかのようにTシャツにスウェットを履いた母が、頭をかきながら朝食の匂いにつられてかふらふらと寝室から出てきた。
まだ覚醒は遠いことが、取りあえず顔洗ってきなよ、という父の忠告にもおとなしく従っていることからもわかる。母がバスルームのほうへ向かったのを見届けてから父は皿に一口サイズに切ったサンドイッチを並べた。私は自分の分をテーブルに置くと、カフェオレの準備をする父を後目に野菜ジュースを冷蔵庫からとりだす。健康はとても大事だ。ついでに牛乳を出しシロップを並べてやる。父はブラックで飲むが、母はコーヒーがあまり得意でない。父のコーヒーはおいしいと評判らしいが(新羅から聞いた)私もコーヒーはあまり好きではないので良さまでは分からない。ミルクとシロップを入れてようやく母は飲むが、そんなんじゃ香りもなにも台無しだよと呟きながらも作る父の気持ちもやっぱり私にはよくわからない。
母がキッチンに戻ってこればようやく私たちの朝食が始まる。ブレイクファーストって断食の終わりのことを意味するらしいんだよ、という本当にどうでもいい父のトリビアにも寝ぼけている母はほとんど無反応だ。ああ、とかそうか、とか、頭に入っていないのだろう、どこか薄ぼんやりとしたまま母はフォークでサンドイッチをかじっている。
そんな母をみて、毎度のことなのでもう慣れっこなはずなのに、あからさまに溜息など吐いてしまって、しょうがないよね、というように私に目配せする父は少しばかりめんどくさい。父は立ち上がって母の隣に座ると、相変わらずサンドイッチに力強く刺さったままのフォークを抜いて、甲斐甲斐しくサンドイッチを母の口元に運んでやっている。
(実はこれがやりたいからだったりするのかな。)
私は好物のマリネに手を伸ばしながらそんなことを考える。狩沢さんに話したらイザシズktkr!なんてよくわからない言葉を連呼されそうな状況だと私は冷静に判断した。
「シズちゃんまだ眼が覚めないの?」
「……」
ぼんやりとした視線を彷徨わせながら父のほうを見る母に、上機嫌で甘ったるいカフェオレを差し出す父はとても面白い顔をしている。一度でいいから鏡を差し出してやりたい。見栄っ張りというか、プライドが高いというか、そんなところがあって、きっと私に指摘された日にはとても不機嫌になってしまうことが目に見えているのでやらないが。
私は程よくオリーブの香りのついた柔らかなイカを咀嚼しながら、未だ呆けたまま口を動かす母に一口サイズのサンドイッチを差し出す父を見て、なんとなく、男を掴むことは胃袋を掴むことだと言った誰かの言葉を思い出した。
作品名:フードアンドエトセトラ 作家名:poco