フードアンドエトセトラ
ランチ(女の子とろっち)
「めっずらしー、お前弁当忘れたのか?」
カエルのがま口財布をもって購買の列に並んでいると、珍しく女の子たちをまとわりつけていない幼馴染が人懐っこい笑顔でよってきた。何でも彼女たちは今日は女の子の会話があるらしく、一緒にご飯を食べるのを彼自身が自重したらしい。気遣いは大事だと嘯く男をみて私は小さく溜息をこぼした。
「忘れてないよ。」
そう、忘れたわけじゃない。ただ作れなかっただけだ。ぱちくりと眼を瞬かせる彼は、へーとどこか不思議そうに返事を返し、まあ、そういう日もあるよなと笑って納得した。
きっと寝坊して作れなかったかそんなところだろうと彼は思っているに違いない。私だって、そんな風に友達が言っていたらそういう風に考えるだろう。とても、冷蔵庫がシンクに食い込んで、テーブルさえ叩き割れていて、キッチンが丸ごと使えなくなったからだなんて考えることなどない。まして、リビングのソファーの上で、塩おにぎりを三人顔を突き合わせて食べたあの空気の重さなど、この幼馴染にはきっと考えもつかないだろう。
ぼんやりとしながら私がキッチンのありさまを思い出していると、後ろに並んでいた幼馴染はやっぱり人懐っこい笑みを浮かべて(彼曰く女性限定らしいが)今日は昼飯どうすんのなんて聞いてくる。私は屋上で食べるのが好きだから、屋上で食べるけど、なんて返すと、じゃあおれも屋上行こう、と彼は笑った。なんか奢ってやろうかというので、暫く逡巡してからコーヒー牛乳を頼む。一連の言葉は彼の気遣いなんだろうとわかっているので、少しばかりずるいな、なんてことを私は思う。彼を取り巻く女性の一人になる気はさらさらないが、彼の女性に向ける愛情というか、そういったものは、彼の優しさから来るものなんだろうと、長い付き合いの私は知っている。
たとえ母に惚れていたとしてもそれが何一つ損なわれないということも。
屋上にはほとんど人がいなかった。珍しく閑散とした中を歩き、フェンスに凭れる。今日の昼ごはんのメニューは、あんパンと焼きそばパンとミニクロワッサン(三個入り)トマトとレタスのサンドウィッチにメロンパン、あと、おごってもらったコーヒー牛乳と抹茶プリンだ。お弁当がないせいで早弁し損ねたので随分とおなかがすいている。座ったそうそうあんパンにかじりつく私を横目に、ホットドック一つしか買わなかった幼馴染は、相変わらずよく食べるな、と呟きながら横に座った。私からしてみれば、健康な高校生男児がホットドック一個で昼を乗り切れること自体が信じられない。食が細いのか知らないが、いつまでたってもひょろひょろと身長ばかり延びていく彼が、私は半ば本気で心配だ。そのくせ、喧嘩は強かったりするのだからよくわからない。母ほどではないらしいが、彼もそれなりに頑丈だという。母然り彼然り、人はみかけによらないものだ。
購買のあんパンは、大きさはあってもやはり味は落ちる。胸の内だけで評価をつけながら焼きそばパンにかじりついていると、横では食べ終わった幼馴染がコーヒー片手に空を見上げていた。取り巻きの女の子もいないとなると、随分雰囲気が落ち着いたものになる。煙草が似合いそうだな、なんてことをぼんやりと思いながら頭の片隅で家のことを思い出した。
父の手配さえ早ければ今日帰るころにはどうにかなっているのかもしれないが、二人の喧嘩がどのように収束したか不明なため楽観視はできない。朝見た限りでは母の怒りもだいぶ収まってはいたが、無言が意味したことがキッチンに対する後ろめたさなのか、さめきらぬ怒りの残り火なのか、私には判断できかねる。
明日はちゃんとお弁当がいい、と思って、焼きそばパンの最後の一口を咀嚼し、飲み込み、溜息を吐いた。
「溜息なんてついてどうしたんだよ。」
目ざとく私のため息に気づいた幼馴染は、小さく首をかしげて私に尋ねる。
私はおおよそのことを黙したまま、簡潔に今思ったことだけを口にした。
「やっぱりお弁当のほうが好きだなって思って。」
「静雄の手料理食おいしいからな。」
私はその言葉に片眉をあげる。が、幼馴染はそれには気づかない様子で、少しだけ熱っぽく息を吐く。
昔、一度だけお昼ごはんに手を出されたことがあった。私は一言も母が作ったんだとは言ったこと無かったけれど、勝手に母が作ったものだと勘違いした彼はひどくうれしそうに卵焼きをほめたたえたものだ。
その時のことでも思い出しているのか、末期な幼馴染が、俺一度でいいから静雄の手作り弁当食べてみたいなんて、あんまり幸せそうに呆けた顔で笑うので、あれ、作ってるの父なんだよと、私はまた言いだせなかった。
言い出せないままコーヒー牛乳を啜り、クロワッサンを口に運んで、知らないほうが幸せなこともあるよなと、誰にするわけでもない言い訳を胸の中だけで吐き出した。
作品名:フードアンドエトセトラ 作家名:poco