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嗜好回路

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装飾品の類いはこれを身に着けることを禁じる、と常時鞄の底辺を漂流している生徒手帳の末尾、校則の服装規定の項目の中に確かに書いてあるが、そんなもの真面目に守ろうとは考えたことすらない。生活指導教諭が時折目を光らせてはいるが、大抵の教師は黙認していて有名無実も甚だしい当該規定を生真面目に守っている(ように見える)、からっきし飾り気のない同級生をまじまじと眺めている内に浮かんだ疑問はすぐ言葉に出る。
「お前はしないの」
何をですか。きょとんとした顔で問い返す菊が首を傾げた拍子に艶のある前髪がさらりと揺れた。
「ほら、指輪とかピアスとかネックレスとかさ。そういうの」
所謂、アクセサリー。
「…そういうの、確か禁止ですよね。校則で。」
一瞬の間を置いて返ってきたのは案の定の反応、というか予想通り過ぎてなんだか笑えた。苦笑混じりに肩をすくめるジェスチャーを付け加え、いやそうじゃなくてとアーサーは言い募った。
「別に学校いる時じゃなくてもいいだろ。休みの日とかは。」
再度同じ問いを重ねると、しないですよ、と菊はあっさりと即答した。
「興味ない、といいますか…扱いに困りそうで。」
「ふぅん?」
「細々とした物の管理は得意じゃないので、外したらそのまま失くしそう。なので、自分じゃしないです。」
というのは、わざわざ聞かなくとも容易に見て取れることではある。シャープペンを握ったまま宙に浮いた菊の手指は真直ぐとしてしなやかで、右手に恐らくペンだこだろう凹凸がある以外はなんの歪みもない造形をして、指輪の跡など残っていない。やや長めのサイドの髪に隠れたまろい耳たぶも普段は傷一つない事も知っているが、それでも手を伸ばし、髪を掻き分けて検分するように触れてみた。摘んだそこを親指の腹で少し強く擦ってやると、気まずそうな表情をちらりと浮かべて目を伏せる。何か拙いことを言って怒らせでもしただろうかと薄い瞼の下から用心深くこちらを伺う上目遣いが、善くない衝動の燻りに火をつけるのをアーサーは自覚した。手を引っ込めてなんでもないように笑いかけてやると、菊の肩から力が抜けあからさまな安堵の様子を見せるのだった。アーサーさんの、それはピアスですよね、話題を変えようと試みる口調にはまだ少し動揺が滲む。
「すごく素敵だと思います。いつ頃開けたんですか?」
あー、何時だっけ。自分の耳たぶに手をやりながら、アーサーは思い出す振りをした。
「中学ン時だな。フランシスの変態野郎がさ、紳士の嗜みよーとか言って、安全ピンでブスッと。放課後、学校で。」
まあ血も出たし痛かったが思ったほどじゃなかったかな、と事も無げに語って見せるが完全なでっちあげだった。ファーストピアスを開けたのは中学どころではなくそれ以前の経験で、当時の記憶もあまりない。ただ弟二人の耳には、何年か前、兄の真似をしたがる年頃だった彼らにせがまれたアーサーが手ずから穴を開けてやった。無論安全ピンなどではなくきちんと市販のピアッサーを使ったが。
安全ピンでブスッ、という状況を具体的に想像したのだろう、菊は少し青ざめた顔で眉をしかめた。その顔を、痛みを堪える表情を目の当たりにして、ああいい事を思いついた、何者かが頭の中で囁いた。
「菊は、しないの」
「え…?」
「ピアス」
「いえ、ですから私は…」
何か察したらしい菊はふるふると首を横に振るが、アーサーはこの機会を逃す気はなかった。…しない?とびきり上等の笑みに乗せて訊ねると最早否定の言葉もなく、精一杯の抵抗なのか僅かに唇をかんで俯いた。実のところ、一見容易く見える陥落までに菊が見せる、静かな、泥沼のような葛藤を引き出すことこそがアーサーの楽しみなのだ。周りからの圧力と、自らの内から起こる拒否反応とに、毎度羽虫の如く錐揉みされてしまうこの八方美人が愛おしくてたまらないと思う。机の上に広げたままの筆記用具を片付けてアーサーは席を立つ。置いていかれまいとそれにならう菊を促し、手を引いて廊下に出た。どこに行くんですか。おずおずと口を開く菊に、保健室だと答える。一般棟の人気のない階段を並んで降りながらあまり体温の高くない菊の掌がうっすらと湿り気を帯びていくのを感じ、アーサーの唇は鋭い歓喜に歪んだ。
都合良く保健室は無人だった。スチールの椅子に腰を降ろした菊に、途中遠回りして購買部で買ってきた緑茶の缶で耳たぶを冷やすように言い置くと、必要なものを手早く揃える。ガーゼを数枚と消毒薬、これも購買部で入手した校章のワッペン、それとペンケースから消しゴムを取り出す。アーサーの手元を凝視する菊の目に見せつけるように作業を進める。ワッペンの裏に縫い付けられた安全ピンを毟って外し、消毒液をたっぷり染みこませたガーゼで丁寧に何度か拭う。真新しいピンの針先は惚れ惚れするほど尖りきっている。湿ったガーゼにくるんだ安全ピンを傍らの作業台に置き、菊に緑茶の缶を寄越すように言う。
「耳、冷えた?」
アーサーの言葉にも、菊は黙って頷くだけだった。身体に穴を開ける行為そのものや、伴う痛みに対する恐怖、緊張、保守的でしかもアーサーを毛嫌いする兄に密事の痕跡を見咎められる不安、そしてこの期に及んで「なんて、嘘だよ」と冗談で済ませてくれはしないかという淡い期待で黒い瞳はぐちゃぐちゃになっている。そこまで見透かしながら、アーサーは菊の蒼褪めた唇に口付け、恐らくは喉元まで出掛っているだろう「嫌だ」の一言を飲み込ませた。
「すぐ終わるから」
効き目などある筈もない呪いとともに髪を撫でた。すっかり冷たくなった耳たぶの裏にガーゼを一枚挟んで消しゴムを当てる。消毒済みの安全ピンを取り上げると、床の一点を見つめたまま彫像と化している菊にできる限りの優しい声で好きなとこ掴んでいいよと告げた。揃った膝の上で固く握り締めていた拳がふと解けて、アーサーのシャツに伸びる。
「あ、すまん、腕はダメだ。危ない」
「っ、ご…、ごめんなさい」
掠れた声を搾り出して謝る菊の手を胸の辺りに移動させてから、アーサーは安全ピンを耳たぶに寄せた。ちくりと走る痛みに思わず体を強張らせた菊に「カウントする ?」と尋ねると、菊はぎゅっと目を閉じ、またも言葉無くただこくりと頷いた。
「じゃあいくな。力抜いて。3、2、」
1、で思い切り力を込めて柔らかな耳たぶを貫いた。手には貫通の鈍い感触が、そして鼓膜には菊が堪え切れずに漏らした小さな苦鳴がこびりつき、アーサーの昂ぶった精神はしばらくその余韻に浸っていた。一方で身体は至極冷静に動く。貫通したピン先を受け止めた消しゴムをてきぱきと取り去ると、自らの右耳のピアスに手をやった。四六時中身に着けたままにしている愛用の品だが、他でもない菊にならば与えることに躊躇いはない。そうして菊に向き直ると、血の気が失せ苦痛に歪む頬を掌で包みながら囁きかけた。
「抜くときの方が痛いかもしれない。あと少しだけ我慢、な。」
作品名:嗜好回路 作家名:みつき